2013年3月26日火曜日

IMFと国際通貨体制の混乱 その2

 戦後の国際通貨体制をどう構築するべきか? ケインズはこの問題を考えるとき、次の2点を基本的なビジョンとしました。
 1 貿易収支(経常収支)の均衡を達成しながら、貿易(輸出入)の拡大を可能とするような体制を構築する。
 2 資本移動(とりわけ直接投資の動き)を禁止してはならないが、その管理は必要である。特に「投機」を目的とするポートフォリアオ投資(証券投資)の有害な作用を抑制しなければならない。

 1に関連して特に触れておかなければならないのは、戦前の恐慌の中で、多くの国が「隣人窮乏化政策」を採用したことです。これは、市場(販路)を確保するために、外国への輸出を拡大し、それと同時に外国からの輸入を抑制しようとする政策を意味します。
 この政策は、具体的には、しばしば政府の保護主義(輸入関税率の引き上げ)によって実現されたと主張され、保護主義の攻撃材料としてしばしば利用されます。例えば米国の1930年6月17日に制定されたスムート・ホーリー法がその一つであり、それは米国の完全率を記録的な高さに引き上げたとされます。例えば先ほど確認してみましたが、ウィキペディア(「スムート・ホーリー法」の項目)でも、そのように説明されています。
 しかし、これはまったくの間違いです。米国は19世紀初頭以来ずっと後発国として英国などに対抗するために高関税率を採用してきたのであり、1930年に突然記録的な高さに引き上げたのではありません。その引き上げ率はごくわずかにとどまっています。(よく調査もせず、誰かが広めた「通説」を盲信する人がいるのは、本当に困ったことです。)米国が1930年代に輸入額を縮小させた最大の理由は、関税法の作用というよりは、不況により需要が急速に収縮し、輸入需要も大幅に低下したために他なりません。
 そして、この大不況をもたらしたものこそ、野放しにされていた国際的なマネーゲーム=資産バブルとその崩壊、金融危機に他なりません。世界貿易の縮小の主犯を関税法に求めるのは決して正しくありません。ともかく、この点に対する配慮から、上記の2が出て来ました。
 さて、隣人窮乏化政策のもう一つの政策手段は、為替相場の利用です。現在でも、輸出を拡大し、輸入を抑止するために各国政府が自国通貨安を導こうとする傾向があることは、よく知られています。現に日本でも、何故か円安・ドル高になると安心したり、安倍政権が円安・ドル高を実現したと賛美する人が多いことはご存知の事実です。
 ちなみに、これが「隣人窮乏化政策」であることは、よく理解されていないようです。しかも、自由、自由といって自由貿易を賛美する人々(経済学者、政治家)の中に自国通貨安という隣人窮乏化政策の推進派がいるのは、注目される点です。
 ケインズは、もちろんこうした傾向に気づいていました。つまり彼は、各国が良好な・均衡の取れた対外経済関係を維持しながら、自国経済を安定化させることが如何にして可能かという根本問題を考えていたのです。
 
 それでは、これらの点を配慮して、どのような国際通貨体制が好ましいのか? これこそケインズが1941年頃から1943年にかけて考え抜いた点でした。
 前回、書いたように、この案は事実上アメリカ側から完全に無視されました。それが米国に利害に沿わなかったからです。しかし、このことが戦後の国際通貨体制のつまずきの石となり、その影響は現在まで続いています。
 ケインズの案は、国際清算同盟という一種の国際銀行の設立と「バンコール」という国際通貨の創設をめぐる案でした。それが混迷を深めている現在でもきわめて示唆的なものであることを次に説明します。

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