2015年11月27日金曜日

インフレの理論とデフレの理論 1

 その昔、インフレーションが大きな問題だったとき(特に1970年代)には、インフレが何故生じるのかが、経済理論上の大きな論点をなしていた。
 思いつくままに、その当時唱えられた「理論」を並べてみると、
 <デマンド・プル論>
 <コスト・プッシュ論>
 <貨幣数量説>
などがあった。しかし、これらはすべて説明理論として失格である。何故か?

 <デマンド・プル論>
 これは需要側にインフレ発生の原因を求める考え方であり、一見したところ、非のうちようのない理論に思えるかもしれない。が、よく考えると奇妙である。まず需要側という意味を、需要量が供給量より超過しているという意味に取った場合、これは事実に反している。何故ならば、当時、とりわけ1970年代にインフレーションが亢進したときには、需要量が供給量(生産能力)を超えることは決してなかったからである。むしろ1970年代は停滞と景気後退によって特徴づけられていた。言い換えると、設備の稼働率(生産能力の利用率)は、決して需要に応じることができないほどではなかった。
 しかし、需要という意味を<名目需要総額>という意味に取ればどうだろうか? 当時はインフレーションが進行していたのであるから、この<名目需要総額>は確かに増加していた。石油危機の年などには、名目需要総額は年30パーセント以上も増加したことがある。だが、よく考えてみよう。名目需要総額が増加したのは、インフレの結果である。したがってそれはインフレーションの要因を説明したことにはならない。単なるトートロジー(同義反復)にすぎない。インフレが起きたからインフレが起きた!

 <コスト・プッシュ>
 これはコスト(費用)の増加がインフレの原因だというものである。これも一見したところ正しい見方のように思われるかもしれない。事実、個別の企業者の立場から見れば、自社の製品を生産するための費用(機械・設備・原材料などの価格や賃金)が上がったから、自社の製品価格を引き上げなければならない、というの真実である。しかし、これも社会全体から見れば、トートロジーである。A社の製品価格が上がったから、B社の製品価格が上がり、C社の製品価格が上がった、等々。この連鎖は無限に続く。つまりこの「理論」は、費用が上がったから費用が上がったという説明でしかない。

 <貨幣数量説>
 これについては本ブログでも何回も触れたので、省略しよう。ただし、次の点だけは指摘しておきたい。すなわち、現実の経済では、諸物価があり、インフーションの中で、諸物価は一様に上がるのではなく、様々に変化することである。しかるに、貨幣数量説はすべての物価が一様に上がることを想定している。現実離れした想定である。

 これらの「理論」が実際には何も説明しないなら、インフレは説明できない現象なのだろうか? いや、一つだけ真剣に検討するべき理論が存在していた。それは、物価を費用=所得に関係づけた上で、所得分配をめぐる人々の紛争(コンフリクト)がインフレーションの背後にあるという思想である。
 これは経済学の初歩的な知識であるが、モノの生産には費用がかかる。そしてその費用は社会における誰かの所得となる。その費用は一般的には次のように示される。
 A=M+D+W+R   費用=原材料費+減価償却費+賃金+利潤
 社会全体では、原材料費も減価償却費も賃金と利潤に還元されるから、費用は次のように示される。
 Y=W+R         総費用=総所得=賃金+利潤

 この費用=所得は、実際の社会では、経済成長とともに年々増加してきた。また賃金も利潤も増加することが可能であり、多くの場合には増加してきた。しかし、その増加率には自然的なルールがあった(ある)わけではない。そして、そのために紛争(コンフリクト)が生じることは決して稀というわけではなかった(ない)。
 もし出発点(の年)で、100Y=60W+40R であり、その後、Yが120まで増加したと想定しよう。このとき、120Y=72W+48R となれば、すべてが20%ずつ増加したことになる。しかし、必ずそうなるという保障はない。もし企業が賃金を抑制し、利潤として60を得れば、賃金は60のままである。それは労働側の不満を引き起こすであろう。一方、労働側が交渉力を発揮して80の賃金を得れば、企業は40の利潤に甘んじなければならない。
 もちろん別の結果も考えられる。もし(例えば)労働側が80の賃金を得、企業が60の利潤を得ることになれば、その合計140は、名目所得(付加価値)が増加したことを意味する。しかし、この場合、実質的な生産額は120なのであるから、20パーセント弱の物価上昇が必至となる。もちろん、賃金および製品価格を決定するのは、最終的にはそれを生産した企業である。だが、それは一方では名目需要総額を上昇させ、デマンド・プルの様相をもたらし、他方では費用を増加させ、コスト・プッシュの様相をもたらすことになる。
 いずれにせよ、インフレーションの背後には、所得分配をめぐる紛争(コンフリクト)が介在していることになる。この所得分配をめぐる紛争の理論は、例えば米国の経済学者、Sidney Weintraub の説くところであった。彼は、所得分配論なしのインフレーションの理論が無意味であることを明らかにした経済学者として特筆されるべきである。

 ところで現在の私たちにとっては、インフレーションではなく、デフレーションが問題となる。(1997年頃から現在までは日本だけが特殊な「デフレ経済」とされてきたが、金融危機後の米国や欧州もその仲間入りをし始めている。)
 このデフレーションも<所得分配をめぐる紛争(コンフリクト)>によって説明できるだろうか? 
 私は、可能だと考える。というよりも本質的には、所得分配の問題なしにデフレも説明できない。もちろん、インフレもデフレは貨幣的現象である。しかし、現代における人々の所得は貨幣所得であり、そのためにインフレもデフレも貨幣的現象となっていることを理解しなければならない。
 (続く)


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