自国通貨安を始めとする方策を通じて外国への輸出を増やすこと(つまり外需依存)によって経済成長をはかる方法を「近隣窮乏化」政策と呼びます。これは第一次世界大戦前に行なわれドイツとイギリスの通商戦争の原因をもたらし、最終的には世界戦争をもたらしたと考えられます。両大戦間期にも、特に不況時に「近隣窮乏化」政策が採用され、結局は戦争を導きました。そして、現在も・・・。
どうして「近隣窮乏化」なのか? それが外国人の需要(市場)を奪うことによってその国の経済成長のポテンシャルを奪うからです。ただし、輸出を増やそうとする国の側でも、輸出を促進するために「国際競争力」を上げようとして価格を抑制するために賃金を抑制します。昔もそうでした。今も、特に1992年のマーストリヒト条約後のドイツ、1997年以降の日本もそうです。したがってドイツや日本では、経済が成長する(GDPが増加する)のに賃金所得が増えないと、人々の不満がたまっています。そして、だからこそ、政治家は人々の不満のはけ口を外の世界に求めることになります。19世紀末のドイツ皇帝、ヴィルヘルム二世の「新航路」政策もそうであり、それに対するイギリスの自由主義的帝国政策もそうでした。
話を現在の日本にもどします。どうして安倍政権の政策が「近隣窮乏化」政策なのか?円安・ドル高のどこが問題なのか?
日本と米国の間の経常収支・貿易収支をよく見てください。日本の黒字・米国の赤字です。ですから、本来は均衡を回復するためには、円高・ドル安であるべきはずです。それなのに、円安・ドル高を求めるのは、定義上「隣人窮乏化」政策に他なりません。
これに対して安倍政権の政策を近隣窮乏化政策ではないといって弁護する見解もあります。また日本が近隣窮乏化をしかけたのではないから、というものです。また安倍政権は金融緩和策を行なっただけで、結果として円安・ドル高になっただけともいいます。しかし、前者は近隣窮乏化政策を否定する根拠にはなりません。お互いにやりあっているというだけです。後者は、一見正しいように見えますが、やはり間違っています。もしそうでないならば、円安・ドル高を修正する政策努力をするはずですが、むしろ大歓迎していることは誰の眼にも明らかです。円安によって多くの人々が輸入される商品(石油、小麦など)の価格上昇を耐えているのに、一部の輸出産業の利益が拡大していることを歓迎さえしています。それに何よりも日米間の経常収支不均衡の問題を度外視しています。
さて、誇り高い日本を取り戻すには、外国などへの輸出に依存するのではなく、国内需要を拡大しなければなりません。そして、そのためには99%の人が得ている賃金所得を高めることが必要になります。
ところが、このように言うと、賃金が高いと海外に流出しますよと恫喝する企業経営者が沢山出てきます。また彼らの提灯持ちの経済学者がそれを囃し立てます。しかし、このような日本社会を軽視するような人(財界人や御用学者)に対してこそ、自民党の政治家に頑張ってもらって、日本国家のために頑張りなさいと諭し、道徳を説いてもらいたいものです。
もちろん、現実は逆になっています。海外に流出するといって脅す反日本・反社会的な大企業の経営者の身勝手な要求を聞き入れ、日本のために頑張って働いている人々には「ナショナリズム」と国民としての「義務」を説いているという図式、奇妙と思いませんか?
この一年間で大幅な円安が進んだために、輸入コストの上昇する内需産業や消費者は厳しい状況に追い込まれるはずでした。しかし、実際に起きたことは輸出企業を上回る内需産業の好調と、旺盛な消費でした。これは為替の上昇が中弛みする前であり、なおかつ消費税による駆け込みが本格化する前である、年前半の方が顕著でした。
返信削除その原因は輸出企業が好調であったことから、そこに原料・材料を回す内需企業が伸びたこと、そしてそれら企業の社員による購買意欲のおかげで小売りが伸びたこと、加えて円安を受けた株高による資産効果です。特に、地方にある輸出企業の下請け工場の従業員が増えたことは、地方経済に大きな影響を与えました。
内需は日本国内で完結していないということです。輸出企業が対応する外需も、内需を生み出す非常に重要な要素だという、考えてみればこの上なく当たり前のことが確認されたに過ぎません。外需よりも内需を優先する、のではなく内需のために外需も重視するということが必要です。
実際、120円を超えていた2002年から2011年まで給与総額は少ないとはいえ名目でも11%弱増える一方で、円高が大幅に進みました。しかし、それで内需が大きく拡大したかと言えば、そんなことはなかったでしょう。交易利得も大きく悪化するなど、円高による所得の下支え効果は微々たるものでした。