カレツキの政治経済学 〜 企業家は完全雇用を好まない
ケインズが20世紀の最も優れた経済学者であることは言うまでもありません。
しかし、そのケインズの経済学の核心部分(有効需要の原理)を先取りした経済学者がいました。それがミハウ・カレツキです。しかし、カレツキは、ポーランド出身の経済学者であり、また初期の作品はポーランド語で発表されていたため、英語圏ではよく知られていませんでした。
ケインズとカレツキには、出身と言語だけでなく、出発点となった経済学の面でも相違があります。簡単に言えば、ケインズはイギリスの(新)古典派経済学から出発し、新古典経済学を自己批判する形で経済学を革新しましたが、カレツキは、マルクス派の経済学から出発し、ケインズと同じ経済理論に到達しました。つまりカレツキは、最初から新古典派の経済学の外部にいたことになります。
こうした相違は、ケインズとカレツキの2人が同じく「ポスト・ケインズ派」の祖と見なされているにもかかわらず、両者の経済学に微妙な相違をもたらしています。
よく知られているように、ケインズは、新古典派経済学者を味方に引き込むために、彼らを完全に批判するのではなく、いくつかの点で大きな「譲歩」をしました。その一つは、「規模に関する収穫逓減」(費用の逓増)の前提です。これに対して、カレツキは、そのような妥協をしていません。彼は、ケインズが高く評価していたイタリア人の経済学者 P・スラッファにならって、収穫逓増(費用逓減)という現実に即した前提から出発しています。ケインズのこの妥協は後に新古典派からのケインズ経済学批判に絶好の機会を与えてしまったと考えられます。
したがってポスト・ケインズ派の間では、多くの点でカレツキの経済学をケインズの経済学(『一般理論』など)より優れているという見解がかなり広まっています。
イギリスやヨーロッパのポスト・ケインズ派(カルドア、ロビンソン、その他)の間で、高く評価されているのは、例えばカレツキの次のような側面です。ケインズと異なって、カレツキは、「マルクス問題」を高く評価していました。マルクス問題というのは、「企業家経済」(資本主義経済)における資本と賃労働の間の関係、特に所得分配をめぐる対立です。労働市場において、労働者は、企業家(資本=生産手段の所有者)に対して、弱い立場(弱い交渉力)に置かれています。また政治もそのような状態を認めていました。例えば、19世紀のイギリスの法律では、団結禁止法や主従法という法律によって、労働者は労働組合を組織して労働条件について団体交渉を行うことを禁止されていました(違反者は3ヶ月の禁固刑など)。
労働者がその地位を高めたのは、政治的民主化が大きく進展した第二次世界大戦後のことであり、そのようなことは様々な労働保護立法(団結権の法認、団体交渉権の賦与など)、完全雇用政策によって実現しました。労働生産性の上昇に応じて実質賃金が引き上げられるようになり(労働生産性インデクス賃金体系)、そのようなシステムは後に「フォーディズム」という名称を得ました。特に戦後の諸政府が完全雇用政策を採用するようになったことは特筆すべきことです。何故ならば、労働側は、完全雇用(低失業)のときに賃金所得拡大のための力を得るからです。
しかしながら、カレツキは、この歴史的妥協が資本主義体制を修正し、安定化に貢献することを見ていましたが、それと同時に企業者の嫌うところだということも見抜いていました。何故でしょうか? 完全雇用政策下での労使同権は、賃金(これは企業者にとっては費用であることに注意)を引き上げ、利潤シェアーの拡大を阻止するだけでなく、その低下を甘受しなければならなくなるかもしれないからです。
事実、その時はもまなくやって来ました。
1973年と1979年の石油危機によってインフレーションが輸入され、原油輸入国から巨額のオイルマネーが輸出国に流出し、原油輸入国が世界の可処分所得の4%にも相当する有効需要を失い、不況に陥ったとき、企業(利潤)と労働者(賃金)との所得分配をめぐる紛争が始まりました。それはフォーディズムの危機を意味しました。
1979年にイギリスでサッチャー首相が、また米国でヴォルカーFRB議長が登場し、それぞれの方法で「マネタリズム政策」(デフレ政策)を実施したとき、石油危機による景気後退とはまったく区別される景気後退の波が世界を捉えました。大不況の中で、失業率は急上昇し、賃金引き上げの運動は抑圧されました。米国の航空管制官のストライキが弾圧され、イギリスの労働組合運動が弾圧されたのもこのときです。
1979年の英米における出来事は、それまでの「完全雇用政策」が明示的に放棄されたことを示しています。そして高失業率の中で賃金(貨幣賃金・実質賃金)の引き上げはほとんど不可能となってゆきます。実際、米国の労働統計局の統計では、1973年をピークとして管理職を除く普通の従業員の平均賃金(中位)は増えないどころか、低下してゆき、現在までに7パーセントも低下したことが明らかにされています。それはまさしくカレツキの政治的景気循環の状態に他なりません。
ところで、このことは現在という時期にとって何を意味するでしょか?
「マルクス問題」の復活です。1950年代から1973年までの「資本主義の黄金時代」には、フォーディズムの下で労使同権が実現され、「マルクス問題」は解決されたかに見えました。皮肉にも、東西冷戦の下で社会主義に対する「資本主義の優位性」を示さなければならなかったことも「マルクス問題」を歴史の表から消すのに大きく貢献したということもできるでしょう。しかし、1980年代におけるレーガン・サッチャーの新自由主義政策の台頭、計画経済(国家社会主義)の崩壊を経て、いまやふたたび「マルクス問題」が再登場しています。
米国では、以前、巨大企業のCEO(最高経営責任者)と普通の従業員との所得格差が40倍ほどと言われていました。しかし、今や両者の格差は、500倍とも1000倍とも言われています。低賃金労働が拡大し、それとともに貧困率も上昇してきました。これらのことが示すように、米国における”ウォール街を占拠せよ”運動も、英国における「暴動」も決して何の理由もなく生じたのではありません。
これに対して、新古典派の理論家は言います。「失業がいやなら、低賃金を受け入れなさい」。「賃金の引き上げはインフレを加速します」。「企業の高い社会保障負担や高賃金は企業の海外への流出を招き、失業を拡大します。それでいいのですか』、と。しかし、これまでも述べたとおり、それこそが現実に反する言説、ケインズとカレツキが見事に批判した「現実離れした理論」に他なりません。
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