2014年2月17日月曜日

ユーロ圏の危機 9 資産バブルの発生と崩壊

 資産バブル(asset bubble)は、何故、どのような時に、どのようにして生じるのでしょうか?
 私の意見では、人々の貨幣信仰(貨幣的ユートピア信仰)が始まるときに資産バブルにとって絶好の環境が生まれます。資産バブルとは、資産価格の上昇を意味しますが、それはキャピタル・ゲイン(資産の売買差益)を求める行為、つまりは貨幣を増殖させるという行為、聖書が厳しく非難した貨幣信仰、「黄金の子牛」の崇拝、「貨幣愛」(love of money)から生まれる結果に他なりません。
 それでは、どのような時、貨幣信仰は生まれるのでしょうか? それは人々を捉えていた他の事象に対する熱狂や情熱、信仰が冷めるときです。
 例えば16世紀のルターとカルヴァンによる宗教改革は、福音主義と予定説という新しい教えを広め、人々の間に宗教的情熱をかき立てましたが、17世紀から18世紀にはそのような熱狂は冷めてしまいました。プロテスタンティズムの運動は危機に陥り、イギリス(イングランド)でも予定説を否定して人間の自由意思を強調するアルミニウス派が現れます。バブル事件として歴史上名高い「南洋泡沫会社事件」は1710年の出来事でした。
 日本でも高度成長時代が終わり、人々が1970年代の一連の混乱を経験した後、1980年代に資産バブルが始まりました。ヨーロッパでも、黄金時代の終焉は人々に対して貨幣信仰への道を整備したと考えられます。石油危機、成長率の低下と経済停滞、インフレーションの後進、失業率の上昇、そして1979年代末から始まる反インフレのマネタリズム政策、新自由主義の政策による勤労所得の停滞、高失業は、人々の貨幣愛を強め、貯蓄性向を高めました。
 もちろん、資産バブルの発生に対して果たしたいわゆる経済的要因、例えば中央銀行による政策金利の引下げ、巨大企業の内部資金余剰と銀行離れ、金融自由化、金融革新などの一連の事情を無視するつもりはありません。しかし、それらの事情だけでは資産バブルを結果しないのではないでしょうか。

 さて、20世紀末から21世紀初頭のユーロ圏における状況は、資産バブル形成のための土壌を準備するという点で、こうした一般論によく適合しているように思います。
 先に触れた1980年代までの経過に加えて、1990年代以降のマーストリヒト条約、安定成長協定に起因する停滞と高失業、ポスト・ソビエト後の興奮からの覚醒、米国のITバブルの崩壊による景気後退、途上国との厳しい競争(および労働条件の低下。少なくとも国債競争を勝ち抜くために賃金の引下げが必要だという言説)、少子高齢化等々、数え上げればきりがなありません。
 さらにECB(トリシェ総裁)の金融政策がそれに加わります。つまり、21世紀初頭の金融危機のためにヨーロッパの物価上昇率(ただし実際上はドイツの物価上昇率であることに注意!)が 2 %を割り込み、緩和的な金融政策が採用されましたた。
 周知のように、フリードマンに由来するマネタリズムは、基本的に資金需要が商品流通を媒介するために生じると考えています。しかし、市中銀行に対する資金需要は、資産取引からも生じます。実際、1927年の米国(景気後退に喘ぐ英仏による低金利据え置きの要請)、1985年の円高不況に際しての日本の政策金利の引下げ、1987年の低金利維持(株価暴落を恐れた米国からの金利据え置き要求)のように、低金利政策がバブルを生みだしたり、亢進したりする例はいくつも知られています。

 ところで、資産インフレーションは、商品価格の上昇とは異なったメカニズムを持っています。つまり商品価格の上昇は、それを生産するのに必要な諸要素のための支出(つまり費用)の増加を伴っていますが、資産バブルは異なります。土地や株式などの金融資産は(流通費は必要ですが)生産費を必要としません。したがって、本質的にいって、その価格は人々の期待にもとづいており、価格が上昇すると多くの人々が期待(推測, speculate)すれば、多量の資金が資産市場に投入され、資産価格は上昇します。そして資産価格が上昇すれば、さらに多くの人がキャピタル・ゲインの取得を目的としてより高い値段でも購入しようとするでしょう。それは原因が結果を生み出し、結果が原因となるような累積的な過程を生みます。もちろん、人が資産を以前より高い相場で買うのは、後で別の人がより高く買うだろうという期待があるからです。つまり「あと馬鹿」(the greater fool)がいるだろうという想定からです。しかし、資産バブルは、バブルである限り、いつかは崩壊します。そして、バブル崩壊時に資産を保有している者が「最後の馬鹿」(the final fool)になります。そのような者は資産価格の暴落の中でキャピタル・ロスを蒙り、もし彼/彼女がレバレッジを用いていたならば(つまり銀行等から借金して資産を購入していたならば)、金融機関に利払い不能や返済不能な負債を負うことになり、逆に金融機関は不良債権を抱え込むことになります。

 どんな時代でも、こうした資産バブルと金融危機の基本構造はほぼ同じです。ただし、その具体的な様相は金融技術の進展によって変化します。この点で、現在のバブルについて注意しなければならないのは次の点です。
 ・人々は資産取引に伴うリスクを考えないわけではありません。むしろそれを最小限度にとどめようとするでしょう。しかし、リスクはなくなるわけではありません。
 例えば保険会社の開発したCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)なる金融商品は、リスクを回避するために開発された金融商品でした。本来、これは人が購入した金融商品(株式や社債、MBS・不動産抵当証券など)がデフォルトに陥ったとき、その損失を保険会社が保証する(「プロテクトを与える」)ものでした。しかし、CDSは、金融資産を保有していない人も購入できる(!)商品となりました。この場合、人は保険料の支払を避け、プロテクトを受けるためにむしろデフォルトを期待するよううなるでしょう。いずれにせよ、大量の資産について価格が暴落した場合、保険会社は応じることのできないような巨額の支払いを求められ破産の危険に瀕します。
 ・短期金融の一手法として知られる「レポ取引」(repo transactions)もリスクを免れることはできません。この取引は、住宅バブル期の米国で広範に普及していたものであり、米国ほどではないとしても、ヨーロッパでも大きな役割を演じました。
 この取引では、例えば「陰の銀行」(shadow banks)は、投資家からキャッシュを提供される見返りに、買い戻し(repurchase)条件付きで担保(国債、社債、MBS、場合によっては株式など)を与えます。これによって仮に陰の銀行が破産しても、投資家は担保を売却してリスクを回避できます。その際、もし€100の担保価値に対して貸し付けられる金額が€90であれば、「ヘアーカット(haircut,  欠け目)は10%である」といったことが行われていました。しかし、この場合、リスクが高ければ、投資家はより多くのヘアーカット率を求めるでしょう。そして実際に金融不安が亢進して資産価格が低下するリスクが高まるにつれてヘアカット率は次第に上昇し、最終的には投資家はどんなにヘアーカットが高くなっても資金供給を行わなくなります。陰の銀行の多くはこのレポ取引によって短期資金を集め、長期貸し(有価証券の購入等)を行っているのですから、レポ取引の縮小は一種の「取り付け」(runs)に他なりません。それはそのような金融技術に依存していた金融機関の綻を結果します。しかも、「陰の銀行」だけでなく、そのスポンサーであった(商業)銀行も大きな損害を蒙ることになります。

 ここでは、金融上の複雑な連関を詳しく描くことはできませんが、さしあたり次の点だけは指摘しておきたいと思います。
 ・2003年から2006年頃にかけてユーロ圏内では、特にドイツの投資家・金融機関が周辺国に巨額の貸付を行っており、しかも、その借り手は主に民間部門(企業および家計)でした。この時点では、政府は主要な借り手ではなく、むしろ(ギリシャを除き)債務を減らしています。(ここでは、ブログの文字数制限の関係で統計資料は省略します。)
 ・こうした家計の負債は、ユーロ圏内でも米国のケースと同様に、住宅バブルの亢進と並行して拡大しました。住宅価格の上昇が各国でどのように進行したかを、下の図から確認してください。ただし、米国の住宅バブルが2006年に頂点に達し、2007年に最初の金融危機の徴候(レポ取引などの「取り付け」(runs)が始まるのに対して、ヨーロッパの住宅バブルは、国によって多少の相違はありますが、2007、08年頃まで持続しました。


 出典)The Economist, http://www.economist.com/blogs/dailychart/2011/11/global-house-prices
                をもとに作成。(国名挿入。)
 

 ・価格が上昇したのは、住宅だけではありません。株価も1990年代に急上昇し、21世紀初頭にいったん暴落したのち、2003年頃から2007年にかけてふたたび急上昇していました。(上図参照。)

 このようにユーロ圏内でも資産バブルが発生していたことは明らかです。
 しかし、多くの人にとって、ユーロ危機は米国の金融危機と連動して生じたように見えたかもしれません。実際、ヨーロッパ諸国の人々(銀行や投資家)は、一方では米国の短期資金を受け入れながら、米国に長期資金を供給していましたが、その米国でサブプライム住宅ローンの破綻し、資金供給が突然減少したのですから、ヨーロッパの金融機関がショックを受けることは、ある意味では当然でした。まず2007年8月に表面化した米国の住宅ローン破綻による銀行危機(BNPパリバ銀行の破綻など)がヨーロッパを襲い、次に2008年9月の「リーマン・ショック」がヨーロッパにも大きなショックを与えました。この間にヨーロッパ諸国の資産バブルも崩壊します。
 2008年にはヨーロッパ諸国の金融危機は、誰の眼にも明らかになります。そして、まさにこの危機の中で政府の財政赤字が拡大しました。言うまでもなく、金融危機のもたらした景気後退によって歳入が減少する一方で、歳出は増加しました。ヨーロッパ諸国、特に周辺諸国の財政赤字(対GDP比)は、1990年代初頭における規模(比率)をはるかに超えるに至ります。政府の粗負債(対GDP)も2008年以降に急速に拡大します。
 ある意味では、この政府粗負債の増加は、2007年以降の民間(企業、家計)の債務の縮小を代替するものだったと言えます。
 ところで、このとき周辺国の発行する国債を購入したのは、ドイツ等中心国の金融機関でした。金融危機の初期の段階では、その後のソブリン危機(財政危機)の深刻さは理解されていなかったということができます。しかし、2009年以降に長期金利が上昇し、国債金利が上昇するにつれて、しだいに財政不安の火種が大きくなります。特に2009年10月に新たに発足したギリシャのパパンドレウ政権(社会主義運動、PASOK)が前政権の財政赤字の偽りを報告するや、金融危機はソブリン危機(国家財政危機)にまで発展します。このとき、ユーロ圏の周辺国の場合、国債のかなりの部分が外国(ドイツやフランス)の金融機関や投資家によって保有されるようになっていたことが大きな問題となってきます。




 しばしば財政赤字(および政府粗負債)が拡大すると、それを減らすために緊縮財政政策、つまり一方では増税し、他方では支出を削減すればよいという意見が出てきます。しかし、実は、このような緊縮政策は大きな問題をはらんでいます。というのは、それが一方で国民の可処分所得の低下を通じて有効需要を減らし、他方では政府支出も減らすため、実体経済を毀損するからです。それは景気を悪化させ、かつ財政収入のいっそう低下をもたらすことになります。実際、2012年以降にヨーロッパ規模で実施された緊縮政策は、そのことを事実をもって示しています。

 人はヨーロッパ債務危機から何を教訓として学ぶべきでしょうか。一つは、金融自由化がマネーゲーム(カジノ資本主義)をもたらし、実体経済を混乱に陥れている事実をあげることができるでしょう。金融資本主義または金融主導型成長体制の怖さと言い換えることもできます。
 しかし、それとともに単一通貨圏の形成、マーストリヒト条約、安定成長協定自体が大きな問題をなげかけていると私は考えます。多様なヨーロッパ諸国を「単一通貨圏」にまとめあげるためには必要な前提条件があります。それなしに暴走してきたというのが、この20年間のヨーロッパではなかったでしょうか?
 
 そこで、私たちは、金融危機の分析というやりがいのない仕事をひとまず措いて、単一通貨圏を構築するためにはどのような条件が必要かという点を再度検討したいと思います。そのような条件が構築されない限りユーロ圏は最終的に崩壊するしかないでしょう。


 

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