2014年2月9日日曜日

ユーロ圏の債務危機 3 マーストリヒト条約と安定成長協定

 政治経済統合や通貨統合の理念は、ヨーロッパではかなり早くからあったことは間違いないとしても、それが現実化したきっかけをなしたのはドイツ統一という歴史的事件であったことは間違いないでしょう。
 フランスのミッテラン大統領は、ドイツの勢力的拡大を恐れ、単一通貨圏の中に封じ込めることを意図し、ドイツのコール首相がそれを受け入れたという経過は、おそらく間違いない事実と思われます。
 しかしながら、こうしたミッテランの目論みが実現したかというと、決してそうではありません。むしろそれはドイツの勢力拡大に寄与したとさえ言えるように思います。

 さて、このことを示すためには、欧州通貨統合に関する最低限の制度設計を説明しなければなりませんが、ここではそれについて詳しく説明することは省略します。ただ念のために、1989年に「ドロール報告」が発表され、翌年にEMU(経済・通貨同盟)の第一段階が始まったこと、また1991年に「マーストリヒト条約」草案が合意に達し、この「報告」と「条約」を基礎にしてEMUの三段階スキームが成立し、1999年1月に単一通貨(€、ユーロ)が導入されたことだけを示しておきます。(欧州通貨統合について詳しくは、飯田豊光『欧州通貨統合のゆくえ』(中公新書、2005年)をおすすめします。)

 さて、私は、欧州通貨統合の歴史の中で、「マーストリヒト」(Maastricht)が(そしてその後に続く安定成長協定SGP)が果たした役割・影響は、どんなに強調しても強調しすぎることはないと思います。また諸外国の多くの経済学者もそのように考えています。
 何故でしょうか?
 これについて語るためには、やはりマーストリヒト条約の内容を見ておく必要があります。その内容はここで紹介する必要もないほど、よく知られているかもしれませんが、念のために簡単に記しておきます。(後で必要に応じて詳しく説明します。)

 1 1990年代における第一段階から第三段階に関する規定
 2 第三段階に移行するための経済収斂基準
     物価安定 物価上昇率の最低の3カ国からの1.5%ポイント以内の乖離の原則
     適度な金利水準 最低3カ国からの2%以内の政府長期債利回りの原則
     為替相場の安定 直近2年間のERM変動幅の維持、かつ平価切下げなし
     健全財政    政府赤字3%(GDP比)以内、政府債務60%(GDP比)以内

 なお、この経済収斂基準は、第三段階に移行するための基準であるばかりでなく、「安定成長協定」(SGP)として統一通貨に参加した国をその後も縛るものとなっています。

 この他に、新しい金融システムでは、欧州中央銀行(ECB)が統一的な金融政策をとること、各国の中央銀行は欧州中央銀行の政策に従う(業務委託と報告義務)ことなどがありますが、これについては周知のこととして、省略します。

 さて、このような欧州通貨統合にかかわる制度的な話は、無味乾燥で何の興味も引き起こさないのではないでしょうか? 私の演習に参加する学生にもたまに欧州通貨統合をやりたいという者が出てきますが、最初は意気込んでいても、教科書の制度的な説明を読んでいるうちに飽きてくるようです。
 しかし、そのような学生に対して、次のような多少とも具体的な(数字は必ずしも現実の数字ではありません)話をすると、少し元気を取り戻します。

 例1)ある国(例えばイタリア)で物価上昇率が高く(例えば3%)、さらに財政赤字がGDP比3%を大幅に越えており、また政府債務も60%を超えているとします。しかし、この国は景気が停滞・悪化していて、失業率がかなり高くなっています。
 この場合、この国の経済(イタリア経済)や政策はどうなるのでしょうか?

 もちろん通常の経済政策では、景気後退を治癒し、失業率を引き下げるために、イタリアの中央銀行は名目金利を引下げる政策(金融緩和政策)を取り、政府は財政支出を拡大し、失業率を引き下げるということになるでしょう。(最後の点には、主流派からの反論もあるかもしれませんが、・・・。)
 しかし、マーストリヒト条約では、そうはいきません。もしユーロ圏全体(ということはドイツやフランス!)が同じような苦境にあれば別の可能性もありますが、そうでなければ金利は必ず引き上げられることになります(不況時の金融引締め)。また好況であろうが不況であろうが、財政基準を満たすために政府は緊縮財政政策を取ることを求められます。もちろん(1998年まで存在した)イタリア・リラを切り下げ、輸出(外需)を拡大することによって景気を好転させるという方策も禁じられています。

 私がここであげた例は、まったく現実離れしたといったものではありません。むしろ、多くの国が1990年代に経験した当の問題でした。そこに次のように2重の問題がありました。
 1 多くの国は、多様な経済状況にあり、その政策課題も別々なのに、統一的な金融・財政基準を課せられている。
 2 全体的にも、マーストリヒトの収斂基準は、有効需要を抑制する傾向をもち、失業率を高める傾向がある。
 
 これに加えて通貨統合のための金融・通貨政策は、1990年代の初頭に通貨・金融危機という思わぬ贈り物をヨーロッパにプレゼントしました。1990年代にヨーロッパでは、失業率が異常に上昇しますが、それがマーストリヒトと無関係だとは決して言えません。そして、ここにこそヨーロッパ通貨統合に「一部のエリートたち」が積極的に関わりながら、人々の多くが反感と不信感を抱いてきた最大の理由がありました。
 それを検討するのが次の課題となります。

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