現在ユーロ圏で生じている経済危機は、一言で表現すれば、人口もきわめて大きく、産業・貿易構造も技術水準・所得水準も宗教・文化・言語・家族形態も異なる多様な国・地域が一つの「通貨圏」(currency area)を生み出したことに起因していると、私は考えています。
もとより、多様だから単一通貨圏への統合が不可能だと最初からアプリオリに断定するわけではありません。しかし、様々な困難があると思うようになりました。その一つは貨幣ユートピアの幻想です。単一通貨が発明される前は、それらの国・地域間には大きな不均衡(imbalance)があり、そこから生じる問題が様々な方法による調整(adjustment)によって解決されてきました。そのような調整手段の一つは為替調整です。前々回も書きましたが、ドイツとフランスの経済には大きな制度的相違が存在しました。そして、それらの体質を異にする経済間の調整において大きな役割を演じていたのが為替相場です。ところが、単一通貨の導入はそのような調整の可能性をほぼ完全に廃止しました。
もしかすると「それでいいではないか」と考える人がいるかもしれません。確かに調整を必要とするような本質的な「不均衡」を解消するような別の仕組みがあるならば、問題はないと言ってよいでしょう。しかし、ユーロ圏という単一通貨圏の創設は果たして問題となる不均衡をなくしていたのでしょうか?
決してそうではありません。
大きな不均衡が少なくとも2つ存在していました。
一つは、中心国・周辺国を問わず、それぞれの国内における不均衡の存在・拡大です。これは、特にマーストリヒト条約や安定成長協定(SGP)によってもたらされたものであり、端的に言って、きわめて賃金の圧縮圧力の強化という事実に示されます。もう一つは、(core)と周辺国(periphery)の国内経済的、および国際経済的(例えば国際収支上の)不均衡の拡大です。
しかも、これらの2つは相互に関係しあっていました。
1 ケインズ・カレツキ問題
これらの不均衡問題については、すでに触れましたが、いま一度簡単に要約しておきたいと思います。
まず、現在のグローバル化した経済の下では、しばしば賃金に対する執拗な圧縮圧力がかかります。そして、その際、グローバル化の条件下における激しい競争(特に途上国の低賃金労働に由来する競争)を勝ち抜くためには、労働条件(賃金など)を引き下げなければならないという大合唱のような言説がそれを正当化します。人々は「底辺への競争」(race to the bottom)を強いられます。特に失業率が高くなると、労働者は交渉力を大幅に低下させ、巨大企業のいいなりになるしかありません(「君の代わりはいくらでもいるのだよ。」)。実際には、利潤とその分配分(経営者報酬、配当など)は増えているのですから、労働生産性に応じて賃金を引き上げることも可能なのですが、時流に乗じるエコノミスト諸氏は決してそれを認めません。また商品の価格は、賃金だけで決まるわけではなく、利潤、労働生産性、為替相場によっても左右されますが、巨大企業の利益をおもんぱかる御用学者はそれを意図的に隠します。
しかし、貨幣賃金が引き下げられたからといって、雇用が増えるわけではありません。むしろ「合成の誤謬」(fallacy of composition)が作用します。つまり、実際には、企業は雇用を増やすために賃金を引き下げるわけではありませんので、社会全体の企業が賃金を引下げると、総賃金所得が低下し、そこからの消費支出総額も、人々の消費性向も低下します。その結果、企業も投資意欲を失い、経済全体が停滞します。
これは、マルクス・ケインズ・カレツキといった優れた経済学者の見解から導かれる見解であり、悪名高い「セイ法則」(「供給は必ずそれ自らの需要を生み出す」という供給側の経済学)の誤りを暴露するものでもあります。ところが、1970年代の混乱の中から「セイ法則」(宇宙論における地動説ともいうべきもの)が復活してしまいました。
さらにドイツの中央銀行(ブンデスバンク)の伝統的な反インフレ的・マネタリスト的金融引締め政策がECB(ヨーロッパ中央銀行)に引き継がれ、1990年代以降、こうした傾向が強化されてきました。(こうしたブンデスバンクの政策は、輸出主導型のレジームと親和的だったことも指摘した通りです。またそれが景気を悪化させ、ヨーロッパの失業率を高めたことも既に述べた通りです。)
2 新重商主義=「近隣窮乏化政策」の推進力
ところが、まさにこのように、国内需要が停滞し、景気が後退し、失業率が上昇すると、外需(輸出)によって事態を打開しようとする思想・政策が生まれてきます。たしかに開放マクロ経済学における均衡式 Y=C+I+G+(XーM)が示すように、B=XーMが純外需(Xが外需、Mが需要のもれ)であることは言うまでもありません。そこで、内需(C、I、)が不振であり、政府も支出(G)に消極的なとき、外需(B=XーM)を出来るだけ増やそうという発想が生まれてくるのは理解できないことではありません。
しかし、用心しなければなりません。このような場合、<輸出を増やすためには、国際競争力をつけなければならず、そのためには人件費を削減しなければならない>というおなじみの議論が繰り返し出てくるからです。
このような議論は、昔からよくある型の議論で、「新重商主義」(Neo-mercantilism)と呼ばれたり、「近隣窮乏政策」(beggar-thy-neighbour)と呼ばれたりしてしました。アダム・スミスが批判の対象としたのが、このような思想の一種、国内需要が狭小だった18世紀以前の「貿易差額主義」・「重商主義」だったということは経済学史の初歩的な知識です。ケインズも、『一般理論』(1936年)の最後の章で、それに言及し、本質的にはそれこそが世界市場をめぐる諸列強間の対立・紛争を生み出し、最終的に世界大戦の根本原因となったことを喝破しました。(彼は、アダム・スミスの批判した重商主義ではなく、自由貿易主義的な重商主義を批判したのです。)
こうした「新重商主義」「近隣窮乏化政策」の問題性・誤謬は、次のことからも明らかになります。
・すべての国が同時に国際収支の黒字国になることはできません。簡単のために2国で説明すると、例えばA国とB国の2国間の貿易取引で、一方の黒字は必ず他方の黒字を意味しますす。世界全体の輸出が世界全体の輸入に等しく、全世界の国際収支がゼロとなることから考えても、一方の黒字が他方の赤字をもたらすことは当然の結論です。(借りる人がいないのに貸すことができないのと同じ理屈です。)
・ところが、次のように考える人がいるかもしれません。そうだとしても、われわれは「勝者」(勝者という理由は不明ですが、往々にして、国際収支の黒字国がそのように考えられます)になるべきであり、「敗者」(赤字国)になってはならない、と。
しかし、これも決して正しい見解とは言えません。というのは、国際収支の不均衡は、必ず大きな問題をもたらすからです。例えば国際収支(貿易収支や経常収支)の赤字国は、理論上、巨額の負債を抱えることになりますが、それは必ず通貨危機・金融危機を導きます。その事例は枚挙にいとまありません。1992〜93年のヨーロッパ通貨危機、1997年のアジア危機、1998年のロシア危機、2006〜07年の米国の金融危機、ラテン・アメリカの一連の通貨・金融危機(*)をあげれば十分でしょう。
(*)いまA国のB国に対する貿易収支(純輸出)が黒字(1,000単位)であるとします。これはA国が(例えば)B国に2000単位を輸出し、B国から1,000単位を輸入するといった取引から生じます。
この差額がどのような意味を持つかを検討するために、A国が10,000単位を生産・販売し、それに等しい所得を得ていると仮定します。
この例では、A国の人々は、10,000単位を生産しているのに、9,000単位しか消費していないことになります。せっかく10,000単位を生産したのに、そのうちの1,000単位は自国民ではなく、他国(B国)の人々の消費のために生産していることになります。
逆にB国の人は、(例えば)8,000単位しか生産・販売しておらず、所得も8,000単位しかないのに、9,000単位を消費していることになります。
この差額1,000単位は一体どこから来たのでしょうか?
その答えは簡単です。A国の人々(個人、企業、または政府)が貯蓄し、B国の人々(個人、企業、政府)がその貯蓄を借りたことを意味します。つまり、A国の人々は、B国の人々から借金をして、そのお金でモノを余分に購入していることになるのです。逆にA国の人は、B国にお金を貸し、そのお金でA国の生産物を購入してもらることになります。
たしかに人々(家計、企業、政府など)の負債がすべて危険だというわけではありません。しかし、負債が膨張し、返済不能な額が増加したとき、あるいは債務者が実は信頼されない人々であることがわったとき、つまり当該金融が利子も元金も返済不能ないかさまな「ポンツィ金融」だったことがわかったとき、それらは金融危機という悲惨な結果をもたらすことになります。(アメリカでは、金融債やレポ金融という、一見したところ保証されているかに見える金融取引において「取り付け」(runs)が生じたとき、潜在的な「ポンツィ金融」が本当の「ポンツィ金融」となりました。)
その上、重要なことは、こうした金融危機が赤字国だけでなく、黒字国をも襲うという、今では常識となった事実です。
・一方、国際収支の黒字国でも、大きな問題が生じます。先に述べたように、輸出主導型の経済を達成するための賃金引下げがいっそう国内需要(有効需要)を損なうからです。その上、いったんこのような景気後退の状態に陥ると、今度は国内需要の不振をカバーするために、輸出を振興しようとして、いっそうの賃金引下げの圧力が強まります。こうして、賃金引下げ→国内需要の停滞・景気後退→外需(輸出)志向の強化→賃金引下げという悪循環の罠にはまりこみ、そこから抜け出ることができなくなるということが現実に生じてきました。
しかも、往々にして、そのような罠にはまった人たちは、それを変えることのできない現実だと思い込み、抜け出すことを夢想だにしなくなります。それどころか、抜け出そうと提案する人々を非難することさえあります。
さて、現実のヨーロッパ世界で、A国やB国に当たるのはどの国でしょうか?
ヨーロッパでは、ドイツ、オーストリア、オランダなどの中心国がA国に相当し、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャなどの周辺国がB国に相当します。1999年のユーロランドの誕生から2006、07年にこれらの国々は2つの対照的な経済圏を創り出していました。
そのことを具体的に示すことが次の課題になります。
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