前回は、将来の人口減少がどのような経済的帰結(問題)をもたらすかという点について、ケインズの講義の要点を説明しました。
繰り返すと、従来の貯蓄率(投資率)を維持したままで資本蓄積を進行させると、過剰投資(生産能力の過剰な成長)または過小消費(有効需要の不足)が生じ、景気が悪化し、悲観主義的な見方が広まることになる、と要約することができます。
数値例では、人口増加率がゼロ、貯蓄率が8パーセント、資本係数(K/YまたはI/ΔY)が4の場合、資本ストックは毎年(累積的に)2パーセント(I/K)の割合で増加するが、一方で、消費需要は生活水準の増加率(<1パーセント)でしか増加しない、といった具合になります。貯蓄率が15パーセントの場合は、両者の乖離はもっと激しくなります(つまり資本ストックの成長率が4パーセント、産出量の成長率が1パーセント)。
この場合、もし資本ストックの増加がすべて労働生産性の成長に寄与するならば、それは失業率を引き上げることになります。なぜならば、ケインズが別のところで詳しく論じているように、雇用(労働需要)は生産量が増えれば増え、労働生産性が上がれば減少するからです。最も簡単なモデルでは、それは次のような式で示されます。
N=Q/ρ (ただし、N:雇用量、Q:生産量、ρ:労働生産性)
例えば一定期間あたりの生産量が1,000単位、労働生産性が10単位/人ならば、100人の労働者が必要となることは、サルは無理としても、小学生でも理解できるでしょう。
ところが、上記の場合、労働生産性が毎年2パーセント(または4パーセント)上昇するのに、生産は1パーセントしか増えないのですから。
もちろん、この数値例がいつでも当てはまるというわけではありません。重要なことは、資本ストックの増加率、労働生産性の成長率、産出量がバランスよく調和的に発展することが肝要であり、人口減少の場合には、不均衡という結果が現れる蓋然性が高いということにあります。
そこで、次の問題は、それを社会全体でどのように調整するべきかということになります。
繰り返しますが、貯蓄率(投資率)が高く、資本ストックや労働生産性が所得、そして消費需要より急速に成長するような場合には、きわめて深刻な場合が生じます。またスランプの中で、個々の企業が激化する競争の中で生き残りをかけて大きな投資を行った場合、少数の企業は生き延びることに成功するかもしれませんが、多数の企業が破産することも避けられません。
したがって、ケインズは結論します。「私たちが所得中のより小さい部分が貯蓄されるようにするために(つまり貯蓄率を下げるために)制度や富の分配を変えるか、それとも産出に比してより多くの資本の使用をもたらすような技術または消費の方向へのきわめて大きな変化を有利とするのに十分なほど利子率を引き下げるか、のいずれかである。」
何だ簡単なことじゃないかという人がいるかもしれません。しかし、それは決して簡単なことではありません。というのは、貯蓄率を引き下げるということは、より富裕な人々が富(資産)を増やすペースを引き下げることを意味します。また貯蓄率を引き下げるように制度や富の分配を変えるということは、富裕者の所得を減らし、より低い所得者の所得を増やすことを意味するからです。その理由は明白です。所得の高い人ほど、貯蓄性向が高いからです。
したがって「求められている変化に反対する多くの社会的および政治的勢力が現れる」ことが予想されます。昔(21世紀の初頭に)、小泉首相は彼の「構造改革」に反対する人々という意味で「抵抗勢力」という言葉を使いましたが、実は、「抵抗勢力」というのは、ケインズの意味では、むしろ小泉氏の構造改革政策を支持する人々に対して用いられるべきでした。
ともかく、好ましい変化を実現するためには、そうした変化を賢明にも徐々に実現しなければならない、とケインズは言います。しかし、そうでない場合はどうでしょうか。ケインズは言います。
「もし資本家社会がより平等な所得分配を拒み、銀行および金融の勢力が利子率を19世紀に平均的だった数値にだいたい近い数値(つまり高金利)に維持することに成功するならば、資源(労働力を含みます)の過小雇用へと向かう慢性的な傾向が(経済社会の)活力を失わせ、その社会を破壊するに違いありません。」
実際には、ケインズの指し示した方向とは逆の方向、むしろケインズの危惧した方向へ現在の日本社会が向かっているように思われます。
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