2015年6月19日金曜日

金融化 金融の支配する経済

 英国のエリザベス女王が2008年11月5日、つまりあのリーマン・ショックが起きたあと、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスを訪問したとき、「そんなに大きな出来事なら、どうして誰も気づかなかったの?」と質問したというのは有名な話しです。

 それに対してどのような回答があったかは知りませんが、確かなことは女王の質問は精確ではなく、気づいている経済学者はかなり多くいたというのが事実です。
 もちろん、主流派の経済学者の多くは、そのような危機(金融崩壊)が生じないと思っていたのですから、質問が主流派に向けられたと考えれば、質問は成立します。

 さて、気づいていたのは、例えば英国では、Susan Strange 氏(『カジノ資本主義』の著者)をはじめとする非主流派(マルクス派、ポスト・ケインズ派)の決して少なくない経済学者、米国ではガルブレイスや、ハイマン・ミンスキーの伝統を受け継いで「金融脆弱性」を研究していたLevy Economics Institute of Bard Collegeのスタッフ諸氏、クルーグマン等でしょうか。

 金融がきわめて脆弱な(不安定な)領域であることは、かなり早い時期からよく知られていました。金融が脆弱な(不安定な)理由は、それ自体に内在しています。
 一つは、銀行が無から貨幣(お金)を創り出すことができるという特性に由来しています。
 お金とは何かというのは、古くからの哲学的な難問でしたが、ここでは簡単に、さしあたり①交換手段・支払手段、②度量単位、③富の蓄蔵手段としての3機能を備えているものを貨幣(お金)と考えておきます。
 このように定義された貨幣は、現在では、①正貨(金貨など)、②中央銀行券(現金、紙幣)、③預金通貨の3種類しかありません(少額のコイン=補助貨幣を除きます)。しかも、このうち①正貨は、1930年代にほぼ消滅しました。

 さて、よく銀行は人々から受け入れた預金を人々に貸し付けると理解されていますが、これは誤りです。銀行が一方で預金を集め、他方で貸し付けていることは事実ですが、預金を貸し付けているわけではありません。
 銀行は、人々の預金口座に貸付額を記帳することによって貸し付けることが可能です。1億円なら1億円と記帳するだけです(現在ではパソコン端末で処理するのみ)。また貸付を受けた人は、その預金を利用して支払を行うことができます。難しい話しではありません。多くの人々は、給与の受け取りを預金通貨を使って行っており、電気料やガス代を口座振替で行っています。
 それでは、銀行は何故預金を集めるのでしょうか? 一つの最も大きな理由は、現金準備に備えるためです。預金者は、その預金が自分の預金によるものであれ、貸付によるものであれ、現金(銀行券)を引き出すことができます。銀行はその準備をしておかなければなりません。銀行は、理論上、準備さえしておくことができれば、不良債権がどんなにたまっても(節度を失って)営業を続けることができます。
 もちろん、それでは困るので、現実には様々な規制(BIS規制など)がしかれます。
 ともあれ、銀行は規制の範囲内で貸付という形で巨額の貨幣を創出することができます。
 つぎに取り上げなければならないのは、貨幣需要です。銀行は、貨幣を供給するわけですが、貨幣に対する需要があってはじめて供給することができます。したがって銀行も、いわんや中央銀行も「外生的に」(ある目的から裁量的に)貨幣供給を行うことはできません。貨幣は「内生的」であり、経済の内部から生じる貨幣需要に応じて生まれます。
 それでは、その貨幣需要とは何でしょうか?
 第一に、そもそも貨幣がなければ、市場取引は不可能ですから、現代の経済社会では、本源的な貨幣需要があると考えなければなりません。モノを買う時、労働者を雇うとき、貸借のとき、などのための需要です。
 第二に、設備投資のための需要です。現在の経済では、企業は内部資金(減価償却費、内部留保)、株式の新規発行の他に、銀行からの借入によって投資資金を調達することが行われています。意外と知られていないかもしれませんが、特に大企業では、このうち内部資金が設備投資資金のほとんどを占めています。
 第三に、貨幣に対する投機需要です。土地や株式、その他の有価証券などを購入するための貨幣需要が投機需要です。最近では、金融機関が「投機」という言葉を避けるために投資という言葉がよく使われますが、新規発行株式を購入する場合ならともかく、インカムゲイン(配当)やキャピタルゲイン(資産の売買差益)を得るために金融資産を購入するのを「投資」と呼ぶべきではありません。

 ここで第二の投資需要と、第三の投機需要を比較考量してみます。
 投資需要を決定するのは何かというと、これまでも説明してきたように、基本的には将来における有効需要の期待です。もし消費財であれ生産財であれ、売上げが伸びると期待されれば、企業は生産能力を拡大するために設備投資を実施します。
 ここで注意点を一つ。それは1920年代〜1930年代のオックスフォード調査以来知られているように、銀行借入額が金利の変化に対して敏感ではないことです。その理由はいくつかありますが、一つは上記の事情(投資資金のほとんどが内部資金から)によると考えられます。また景気循環の中で、景気後退期に金利を下げても借入が増えず、逆に好況時は金利が上がっても借入が増えるということもあるでしょう。これは低金利(高金利)が借入額を増やす(減らす)という傾向を帳消しにします。
 次に投機需要ですが、こちらは金利に敏感に反応します。しかも、普通の財やサービスと異なって、金融資産の価格は需要供給関係の変動に応じて著しく変化するという傾向を特徴としています。
 最近の株価の上昇を見てもそうですが、政府が年金基金を株式市場に投入するや、株価が急激に上昇したことがその一例です。さらに、資産市場では期待がもっと資産価格の変動性を激しいものにします。われわれの例を続けると、日本政府・日銀の金融政策を見た外国人「投資家」が株価の上昇を期待すると、彼らは日本株を購入し、それがさらに株価を押し上げるといったことが生じます。
 ここに金融脆弱性の原因の一端があります。つまり、資産市場では「バンドワゴン効果」や「自己実現的期待」といったことが成立しやすく、多くの人々が株価が上昇すると期待すると、資産購入の動きが拡大され、資産価格を押し上げます。すると、それは巨額のキャピタル・ゲインをもたらし、資産インフレーションのスパイラルを生むことになります。
 さらにこれに金利の作用が加わります。もし資産インフレーションが進行しだすと、それはキャピタル・ゲインを含めた期待利子率を引き上げるでしょう。例えば10億円で購入した株式が一年で20%上がると期待されるならば、期待利子率は20%+配当率になります。このとき、銀行の貸し出し金利が低いならば、銀行ローンを用いない手はないでしょう。
 ここで、21世紀初頭のECB(欧州中央銀行)の金融政策を確認しておきます。19世紀末以来、ECBは、(財とサービスの)物価だけを判断基準として金利を決定してきました。その判断基準は、物価上昇率を2%以下に抑えるが、できるだけ2%に近い値に誘導するというものです。ずいぶん乱暴な話しです。各国の失業率が高かろうが低かろうが、とにかく物価だけで金利を決めるというのですから。
 さて、21世紀初頭の米国ITバブルの崩壊による金融危機の影響はヨーロッパにまで及び、ECBは物価上昇率が基準値以下になったのを見て、金利を引き下げました。それに対して実体経済が反応したでしょうか? そうではありません。反応したのは、資産市場です。住宅価格が上昇し、住宅市場にマネーを供給する分野が拡大し、株式市場が拡大し、負債の拡大によって消費ブームが実現しました。

 私はちょっと先走りすぎたかもしれません。というのは、もちろん、ヨーロッパやアメリカの金融危機は単に中央銀行の低金利政策によってもたらされたものではないからです。それを説明するには、別の側面に触れる必要があります。しかし、ここで強調したいのは、金融が資産市場に大量のマネーを供給するとき、それがバブル=資産インフレーションを引き起こし、ついでそれがピーク(ミンスキー・モメント)に達した時に、金融崩壊が生じる、という事実です。
 バブルが崩壊したのち、資産デフレーションが生じ、キャピタル・ロスが生まれ、資産を売り逃げしようとする流れの中で資産デフレのスパイラルが生じることは、日本人も身をもって知ったことです。もちろん、その中で銀行が巨額の不良債権を抱えるにいたることは言うまでもありません。
 
 さて、それでは、戦後、1970年代まで比較的なりをひそめていた金融危機が1980年代から再頻発するようになったのは何故でしょうか? 
 答えはある意味では簡単です。一つは、戦後、金融脆弱性が発現しないように様々な規制がなされていたのに対して、1970年代以降、特に1980年代から20世紀末にかけて規制が撤廃されたことであり、もう一つは、金融化が進展し、金融の支配する経済(finance-led economy)が成立したことです。
 それを説明するには、米国では1980年代のレーガン時代にまで、ヨーロッパでも1980年代のサッチャー時代にまで、そしてEU (EC) とユーロ圏の成立史にまでさかのぼる必要があります。EUとユーロは決してヨーロッパの人々にエルドラド(黄金郷)をもたらしたわけではないことを知らなければなりません。

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