1990年代の欧州連合、特に単一通貨(ユーロ)に参加した地域・国の経済危機と高失業は、端的に言って、1993年に批准されたマーストリヒト条約とその後に締結された安定成長協定(SGP)によるものでした。
それは、ドイツ、オランダ、ベルギーなどのもともと低インフレだった中心国にとっても厳しいものでしたが、相対的にインフレ率の高かった周辺国にとってはさらに厳しい政策を取ることを余儀なくしました。マーストリヒトと成長安定協定の課した収斂基準(財政基準と金融基準)については、前に説明したので、ここでは触れませんが、それらにもとづいてとられた経済政策(緊縮と金融引締め)は、労働者の賃金を抑制し、したがってそれぞれの国全体における賃金所得総額を圧縮し、賃金からの消費支出を停滞させ、かくして結局のところ景気を悪化させ、失業率を高めるという帰結をもたらしました。
1990年代のヨーロッパ(欧州連合に参加した国々)、特にユーロ圏の失業率が高いことはよく知られた事実となりました。これと対照すると、マーストリヒトの圏外にいた英国、それに米国の失業率がユーロ圏に比べてましに見えるほどになっていたほどです。
ところが、こともあろうに、OECDは、1994年に「職の研究」で英米の失業率が相対的に低いのは、実質賃金が抑えられており、また所得分配が不平等であるからであるというとんでもない、奇妙な議論を展開しました。それを著した経済学者は、自分たちの議論を「統一理論」と呼び、ヨーロッパ諸国の高失業は、その福祉政策、つまり高い実質賃金と平等な所得分配にあると主張し、失業率を下げるためには、労働市場の柔軟化、つまり最低賃金の抑制、失業保険水準の引き下げ(期間、率とも)、企業が解雇することを容易にすること、労働組合の団体交渉権の削減などを受け入れるべきだと論じました。いやはや何をかいわんやです。
ともかく、このような苦難の道を経て、21世紀初頭までにユーロは誕生しました。しかし、約束した黄金郷は実現しませんでした。依然としてマーストリヒトと安定成長協定の呪いはつづいていました。緊縮と引き締めの殺伐とした風景は変わりませんでした。
しかしながら、変わったことが一つだけありました。それは、一方には、中心国ドイツのように新重商主義政策によって(つまり外国への輸出拡大、あるいは外需の拡大によって)景気をよくしようとする志向の強化であり、他方では、多くの周辺国のように、ドイツからの借金によって輸出と消費を拡大しようとする志向の出現です。この2つの志向は、もちろん対称的となっており、一方なくして他方はありえません。ドイツは貸し付け、輸出する。一方、周辺国はドイツから借金し、その借金によって輸入(購入)する、という関係です。しかも、ドイツは輸出を増やすために国際競争力をつけるといって、単位労働費用の圧縮をはかりました(端的に言えば、賃金圧縮です)。他方の周辺国もユーロを受け入れた代償として賃金の抑制を耐えなければならない状態は続きましたが、借金を増やすことは受け入れられました。
もちろん、このような関係が成立するためにはある条件が必要だったことは言うまでもありません。それは一言でいえば、経済の金融化です。それは具体的には、金融と資本移動の自由化、一連の金融革新、借金を増やしても問題はないという意識(金融的陶酔)の人々への植え付け等々です。
そもそも金融の領域は不安定・脆弱生を特徴としています。モノの生産・販売の世界では、多少需要が増えても価格はあまり引き上げられません。しかし、資産市場(土地、株式取引など)では、購入者が増えれば資産インフレーション=資産バブルが生じます。そして資産インフレーションが生じれば、キャピタル・ゲイン(資産の売買差益)が生じ、それはいっそう購入者と購入資金を増やします。これは1980年代の日本のバブルを経験した人なら実感的に理解できるはずです。
しかも、銀行というところは、その気になれば(もちろん規制の範囲内ですが)いくらでも貸付(貨幣供給)を増やすことができます。
こうしてユーロ圏全体を巻き込むマネーゲームが始まりました。
しかし、資産バブルはいつか必ず崩壊します。そして、資産デフレーションが生じ、キャピタル・ロス(資産の売買差損)が生まれ、さらに銀行は貸し付けたお金を返してもらえなくなります。いわゆる不良債権が発生します。これは銀行が詐欺まがいの金融(つまり「ポンツィ金融」)を行ったことを意味します。
このことは、ECBが量的緩和の名の下に、銀行から巨額の不良債権を買い取って救済してあげるという禁じ手を行ったことからも明らかです。
人々は失業しても救済されませんし、普通の企業は破産してもそのような手厚い保護を受けることはありません(経営者はそれなりに罰せられるかもしれませんが)。ところが、銀行は巨額の公的資金をもって援助されたわけです。もちろん、金融部門で働いていた人々は、資産バブルのときには、ぼろ儲けをしていたはずですが、アメリカでもヨーロッパでも儲けの返却を命じられた人はほとんどいないでしょう。
ざっとデッサンすると、19世紀末から21世紀初頭にかけてヨーロッパで生じたことはこんなところです。
ギリシャの問題は決してギリシャだけの問題ではありません。それにカネを貸し付けたドイツの金融機関、特に銀行の問題であり、またそのローンを手にした人々にドイツ製品を売りつけたドイツ企業の問題です。
よく事情を知らない人が、ギリシャ政府やスペイン政府、ポルトガル政府が巨額の借金を背負い、デフォルト(債務不履行)の危機に陥っているのを見て、これら周辺国の怠惰な人々のために政府が借金したたために財政危機(ソブリン危機)がおきたのだといったりしますが、それは正確ではありません。むしろ政府が借金を拡大しはじめたのは、2007年に米国発の金融危機が進行していることが分かりかけてきたとき、危機を納めるために政府が借金を増やしたときでした。ソブリン危機はそこから生じたのであり、その前に民間部門が巨額の返済不能債務をかかえるようになっていました。
さて、それでは現在の金融危機がおさまれば、ヨーロッパ経済社会の健全な発展がはじまるでしょうか? 決してそうではありません。そもそも私がここで指摘した根本問題が残っています。つまり、ユーロ圏は、その内部の地域間の経済的にきわめて大きな発展格差にもかかわらず、為替相場による調整を不可能にする単一通貨を導入してしまいました。その際、為替調整の代わりに単一政府が存在して地域間格差の問題、「地方政府」の債務問題を解消することができれば、話は別です。しかし、そのような単一政府は存在しません。IMFもECBもただギリシャに「緊縮」を求めるだけであり、自らの利益に反して救済しようとは決してしません。
単一政府は成立しておらず、しかし為替調整の可能性は奪われている。これが現実です。
むかしR・マンデルというアメリカのノーベル経済学賞を受けたひとが「最適通貨圏」の考え方を示しました。このマンデルの言葉を使えば、ユーロ圏は「最適通貨圏」ではないことは今では誰の眼にも明らかとなっています。(ちなみに、マンデル自身もそのように考えているようです。)
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