EU債務危機について説明するとき、債権者はなぜ「緊縮」を求めるのか、また世界の指導的な経済学者(クルーグマン、スティグリツ、ガルブレイスなど)が「緊縮」に反対するのか、質問されることがあります。
一見したところ、緊縮というのは当然の正しい要求のように見えるかもしれません。たしかに単純な算術計算上では、そのように思えます。例えば政府の収入(歳入)が100、歳出が200ならば、赤字は100ですから、その他の条件が等しいならば(ceteris paribus)、歳出を 50 削減すれば、赤字は 50 に減少します。
しかし、この ceteris paribus という呪文のような言葉が問題です。というのは、経済の世界では、ある変化が生じると、前提条件自体が変わるからです。例えば、上の削減額の 50 が GDP の15%に等しいと仮定しましょう。この削減は政府支出による有効需要を総需要の少なくとも15%ほど削減する危険性を持つからです。それは総生産を激しく収縮させる効果を持ちます。つまり、ceteris paribus はまったく成立しません。
ここでギリシャで実際に生じたことに移りましょう。
2010年に当時のギリシャ政府は、IMFから救済融資を受け、その際、2010年〜2013年にGDPの16%に等しい財政調整に同意しました。このとき、IMF は、当初、GDPは2011年にかけて5%低下し、2012年に安定し、2013年に成長に転じると「予測」しました。また政府債務・GDP比は2013年までにいったん150%に上昇するものの、その後は低下するとも「予測」しました(いったいこの予測がどのようにして出されたのかは問わないことにします)。しかし、実際は、実質GDPは累積的に25%も低下し、現在も回復していません。また債務・GDP比は180%ほどに上昇しています。
かくしてガルブレイスが述べるように、「改革」(緊縮)と成長とのリンクは崩壊しています。実際には、「改革」を実行するほど、経済が破滅してゆき、失業率も上昇してゆきました。(全体で25%以上、若年者65%ほどになっています。)
政府債務について言えば、GDPが収縮しているのですから、仮に債務総額が同じでも、債務・GDP比は上昇します。また同じくGDPが縮小しているのですから、政府の歳入も縮小してしまい、政府債務はさらに拡大せずにはすまされません。
しかも、このような時に新たな救済(貸付)はどのような意味を持つでしょうか? それは債権者が貸付相手に返済と利子の支払いをせまると同時に、相手をいっそう貧窮化させ、それに対して貸付を増やすようなものです。
まさに悪魔の循環とでもいうしかありません。
この悪循環から逃れるためには、債務の延期と(ギリシャ国民投票で示された)緊縮の中止(ノー)しかないという結論が導かれる所以です。
それではギリシャに貸付を行なった債権者は、なぜ、そのような「改革」という名の下に緊縮を強要するのでしょうか? これは難しい設問ですが、ケインズなら「思想」と「利害」と答えたでしょう。
これに対するガルブレイスの答えは、フリードリヒ・フォン・ハイエクを哲学上の祖とする市場原理主義の思想と、スターリンを政治上の祖とする全体主義との混合物、すなわち「市場スターリン主義」であるというものです。私は、ここに1930年代に見られたケインズやジョン・ガルブレイスとハイエクとの対立がいまだに続いていると感じられてなりません。はたして私たちはハイエクが支持したような「自由市場」(労働組合の禁止、最低賃金制や失業保険制度の廃止、解雇規制の撤廃、あらゆる社会保障の停止、あらゆる金融規制の撤廃など)を強制されなければならないのでしょうか? ハイエクはどのような規制も人を隷属に導くという独自の教義を唱えました。しかし、それは「個人の自由」ではなく、巨大企業・金融利害の自由、それに隷属する自由でしかないのではないでしょうか?
それは「悪い信念」(bad faith)であるとしか言えません。
Bad faith, June 6, 2015.
Greece has made tough chooses. Now it's the IMF's turn, June 17, 2015.
The great Greek hope, January 25, 2015.
Greece: Only the 'No' can save the Euro, July 1, 2015.
The IMF's "Tough choices" on Greece, June 16, 2015.
What is reform? The strange case of Greece and Europe, June 12, 2015.
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