2015年8月31日月曜日

なぜ現代経済は不安定化したのか?

 近年の資本主義経済がきわめて不安定化したことは、経済の専門家、非専門家を問わず、多くの人々が広く認めている。
 その理由はどこにあるのか?
 グローバル化と金融化の2つの要因をあげることができよう。
 1)グローバル化
 グローバル化とは、「自由市場」、つまり市場優先主義または市場原理主義の世界的な普及であるが、これは従来からの国民経済を根本的に不安定なものとする。何故か?
 それは根本的には有効需要が不安定化することに由来する。
 比較のために、まったくグローバル化していない経済(閉鎖経済)を考えよう。このケースでは、国内の有効需要(総需要)は、次の式で示される。
   Y=C+I+G  総需要=消費需要+投資需要+政府支出
 有効需要の各項目は、よほど危機的な状況が生じない限り、安定的である。たしかに個々人は個人的な事情により消費支出の金額をかなり大幅に変えるかもしれない。またその内容(構成)は漸次的に変化する。しかし、社会全体では大数の法則が作用するため急激な変化は生じない。変化は生じるとしてもゆっくりしている。そのため投資額の変動も比較的小さい。たしかに、投資が将来の消費需要に関する期待に依存し、例えば消費支出が拡大すると企業が期待すれば、積極的な投資がなされ、機械産業はムームを迎えるであろう。また逆に消費が停滞すると期待すれば、投資も抑制される。
 問題は政府であるが、政府が(例えば1980年代のサッチャー首相や、1997年の橋本首相のように)緊縮財政をとらなけれは、経済を安定的に維持するだろう。ただし、緊縮財政は景気を急速に悪化させる(経済を不安定化する)危険性がある。例えば1980年代のイギリスでは政府は社会保障関係を中心として政府支出を大幅に縮小するというマネタリスト的緊縮政策をとった。その結果は、激しいデフレ不況であった。(これについてはイギリスの経済学者、カルドアの『マネタリズム』等に詳しい。)また1997年のように消費増税と公的医療費の引き上げを行ないながら(つまり11兆円ほどの国民の購買力を奪いながら)政府支出を増やさないような場合も、事実上の緊縮政策であり、それは国民の財布からの消費支出を2パーセントほど引き下げた。
 しかし、政府がこのような誤った緊縮政策を実施しない限り、経済は安定的である。もちろん、その場合でも、景気循環(在庫循環)は生じるであろうが、それは短期間かつマイルドなものにとどまる。
 しかしながら、開放経済のモデル(つまり現在のグローバル化した経済)の場合にはそうはいかない。有効需要には輸出と輸入の2項目が加わる。
 これは外国における景気循環に大きく左右される。これらがきわめて大きく変動してきたことは、ちょっとでも国際経済統計をかじったことのある人なら、常識である。とりわけ輸出は外国(残余の国)全体の景気に左右される。外国の経済規模は一国の経済規模に比べてはるかに巨大であり、それらが相互に関係しあっている。その大きなインパクトが貿易を通じて国民経済に与えられる。
 しかも、近年、そのインパクトが拡大する傾向がある。
 その一つの理由は、FDI(外国直接投資)と企業の多国籍化にある。先進国の企業は相互に相手の国に浸透しあっている。また先進国の企業は開発途上国に進出し、技術を移転させるとともに、低賃金を利用してより安価な製品を生産・販売し、莫大な利益を上げている。しかし、それが実現した付加価値の(すべてではないとしても)多くは企業の利潤に含まれ、配当として株主に、経営者報酬としてCEOsに支払われるか、会社の内部に留保される。先進国の労働者はその分け前を要求する力を持たず(いや、むしろ交渉力をしだいに失ない)賃金シェアーは低下する。しかも、開発途上国における「過剰労働力」のプールの存在によって「失業」という脅しを受ける。
 理由のもう一つは、金融化にかかわる。

 2)金融化
 金融化とは、金融にかかわる一握りの人々がきわめて多くの利得(金融所得)を得ることである。例えばCEOsは、株主の利益に奉仕ることによって、ストック・オプションという報酬を得ることができる。また株主(投資家と呼ばれるが、実際は投機家)は利潤の中から配当というインカムゲインを得るだけでなく、金融資産の売買によってキャピタル・ゲイン(資産の売買差益)を得ることができる。そして、そのためには株価が上昇しなければならないが、それは「株主価値」を高めるために会社のトップ経営者が利潤を、そして配当を高めるためにあらゆる方策を用いて努力することによって実現される。そして、そのような行動の中には労働者の賃金を抑制することが含まれる。さらに商業銀行や投資銀行(証券会社)、保険会社が金融化の受益者となる。商業銀行は、言うまでもなく様々な制約(例えば現金準備、BIS規制など)の範囲内であるが、自由にマネーを生み出すことができる。このマネーは、実体経済活動を行なう企業に貸し付けられることもあるが、投機者(個人や金融機関)に貸し付けられることもある。後者の場合、資産を運用する人は10倍〜30倍もの資金を借用によって得ることになるであろう。そのような巨額の資金が資産市場に流入すれば、当然、資産インフレーション(バブル)が生じる。そして、膨大なキャピタル・ゲインが生じれば、多くの「あと馬鹿」(greater fools)が資産市場に資金を投じるであろう。
 現在、つまりブレトンウッズ体制が完全に崩壊した1973年以降は、変動相場制の下で、外国為替市場自体が投機の場となり、不安定化してしまった。1980年代のBISの調査が明らかにしたように、現在、為替売買は実需取引の30倍以上に達している。これは外国為替市場が投機の場となり、為替相場が投機によって動かされていることを意味している。そのため為替相場自体が不安定化する。そして、投機によって決定された為替相場が輸出量・額と輸入量・額に大きなインパクトを与える。
 ちなみに、1973年以降も米ドルは基軸通貨でありつづけているが、それはブレトンウッズ期と同様に、ドルは不変の価値尺度であり、ドル以外の様々な通貨の価値がドルを基準として度量されていることを意味している。(ただし、ドル以外の通貨を共通のバスケットに入れて、一つの通貨と考えれば、ドル高もドル安もありうる。)
 
 近年の経済は金融化によって実体経済(賃金、設備投資など)がますます脇役の地位に追いやられてきた。これは2008年のリーマンショックの前に金融会社の利潤総額が非金融会社の利潤総額に匹敵するほどになっていたことからもうかがわれる。金融会社ではたらく人々はアメリカの全労働力の1パーセントにも達していなかった(!)にもかかわらず。
 しかも、金融化とともに登場した金融崩壊のインパクトは強烈である。それは膨大なキャピタル・ロスと不良債権を生み出し、その上、実体経済を破壊した。米国の失業率は事実上10パーセントを超えたと考えられている(労働統計局のデータ)。
 現在、人は、2008年の金融崩壊・債務危機が大した事件ではなかったと思っているかのように見える。しかし、それが大した事件とならなかったのは、中央銀行と政府がなりふりかまわず巨額の公的資金を投入したからである。その金額は米国だけでも100兆円を超えている。
 
 余談ながら、米国の金融崩壊ののち、米国のバーナンキFRB議長は、金融危機は、グローバルな(特にヨーロッパの)「投資家」が米国の保証債(財務省証券など)に向かい、米国の投資家が安全な資産に向かうことができなかったと述べ、問題をグローバルな過剰資本の存在のせいにしようとした。しかし、それは正確ではない。「過剰な資金」(投機資金)は銀行によって人為的に生み出されたものであったからである。
 
 不安定化した世界経済を安定化するためには何が必要なのか?
 その答えは一つしかない。グローバル化(「自由市場」、市場原理主義の世界的波及)と金融化をやめることである。世界の経済は地域や国の文化・制度の尊重の上に構築されなければならず、人々は決して巨大多国籍企業の要求のままに行動してはならない。金融化もまた大幅に制限されなければならない。金融からの不労所得(CEOsの不労所得、インカムゲインとキャピタルゲイン、金融機関の利潤など)ではなく、勤労所得を増やすことが個人の自由を尊重し、平等で真に生き生きした社会を創る上で重要である。
 
 1970年代から長い時間がかかったが、やっと人々はそのことに気づいてきた。

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