1997年から現在まで、名目賃金(貨幣賃金)は趨勢的にずっと低下してきた。昨年度は貨幣賃金が増加したが、物価がそれ以上に上昇したため、実質賃金は低下した。
なぜだろう?
理由は簡単。貨幣賃金を決めるのは企業であり、その企業が従業員の貨幣賃金水準が低下するように決めたからに他ならない。
それでは、企業はなぜ賃金水準がより低くなるように決めることが出来たのだろうか?
その理由も簡単だ。労働側の力が弱く、経営側の力が強いからだ。
そもそも企業は、費用が低いほど競争上有利である。その費用には様々な種類があるが、最も重要なのは人件費(賃金)である。もし自由に賃金を引き下げる立場を実現できれば、実際に賃金を抑制し、より多くの利潤を獲得するか、製品価格を引き下げるかして、いずれにせよ競争相手に対して有利な立場に立つことが出来る。
しかし、賃金は労働者にとっては所得である。いくら企業が引き下げようとしても、それに対して様々な手段、チャンネルを通じて抵抗するだろう。またかつてマルクスが論じたように、その社会に特有な最低限度が存在する。もしそれ以下に低下したら、労働者の生活が崩壊し、社会自体も崩壊を免れない。この限度がどれほどかを論じることは、今ここでの課題ではないので、この点についてはここまでにしておこう。
もう一つ賃金所得は有功需要と密接に関係しているという事情を忘れてはならない。つまり、社会全体の賃金所得(W)からはかなりの消費支出CLが行なわれる。いま、簡単のために労働者の賃金所得からの貯蓄はなく、すべてが消費されるものとすると、
W=wN=CL w:一人あたりの賃金、N:労働者数
したがって個別企業にとっては、一人あたりの賃金wを引き下げ、賃金総額wNを減らすことが理に適っているとしても、社会全体では、消費支出を湿らせてしまい、景気を悪化させる可能性がきわめて高い。*
*実際、日本では、生産年齢人口が1997年頃から減少しはじめ、それと同時に非正規雇用の多用による一人あたりの賃金率の低下が計られたのであるから、ダメージはダブルとなっている。つまり、wの低下+Nの低下→wN=CLの低下である。なお、利潤が増えるという反論がありうるかもしれないが、利潤からの消費性向はきわめて低い。したがって賃金の低下による負の影響を取り戻すことはできない。
しかし、社会全体では景気を悪化させるように作用しようとも、個別企業にとっては、そんなことはどうでもよいのかもしれない。企業は労働側の力が弱ければ、賃金を引き下げることができる。そして、人々のより多くが貧困に沈もうと、景気が湿らせられようと、それは自分たちの責任ではないと主張することが可能である。
それにしても、労働側の力は、なぜ弱くなってしまったのか?
今私は弱くなったと言ったが、強かった時はあったのだろうか?
少なくとも、国や地域によってことなるが、1970年代、1980年代頃までは相対的に労働側の力が強かったときがあったことは事実である。しかし、その後、ほぼ世界中で労働側の力が弱くなった。その理由はなにか?
そもそも企業と労働者は労働契約を結び、雇用・被雇用関係に入るが、そのとき、現代の経済体制では、企業は普通独占体である。日本の法人企業のほとんどは小企業でも従業員数が100人を超えるかなり大きな企業である。巨大企業の中には従業員数一万人、数万人を超えるものがある。このような状態で、企業と労働者が対峙するとき、その力(power)の差は歴然としている。巨人とアリのようなものである。
だからこそ、戦後の混合経済体制(ケインズ主義的福祉国家体制)の下では、政府が一定の労働保護政策を実施して、「組織された労働」=「労働組合」に団体交渉権を認めることによって「対抗力」(counterveiling powe)を与えることとなったのであり、したがって戦後の何十年かは労働側はそれなりに力を持ったのである。
だが、企業経営者にとっては労働組合は煙たい存在である。それがなければどんなによいことだろう! 労働組合がなければ、貨幣賃金をはじめとする労働条件についてややこしいことを考えずにすむ。企業が投資と技術革新によって生産性を上げ、付加価値を増やしても、それを労働側に分配せずにすむ。企業はどんなに発展することだろうか! 企業が考えるのは、こんなところである。
ところが、この思想は1980年代に米国と英国で思わぬ形で実現されることとなった。つまり、1970年代のハイ・インフレーションがきっかけとなり、サッチャー首相とレーガン大統領(およびヴォルカーFRB議長)の「革命」によって労働側の力が大幅に削がれることになったのである。それは一言で言えば、労働組合(組織された労働)の「対抗力」を削ぐというプログラムであったが、そのメニューはかなり多様である。ざっと示しておこう。
1)高い失業率(当初は、高金利=米国と、財政緊縮=英国)
2)労働市場の柔軟化(労働組合の無力化、最低賃金の引き下げ、制度自体の廃止、失業手当の引き下げ、解雇規制の軽減・撤廃、派遣などの非正規雇用の容認など)
3)インフレーション(物価上昇)の責任をすべて高賃金のせいにする失業理論、マネタリズムの自然失業率、NAIRU(インフレーションを加速しないためには一定率以上の失業率が必要!という理論)。これが先進国の政府の公認の理論!であることは、国民には秘密にされている。構造改革はこれを推進する政策のこと。
4)株主価値の喧伝。ストック・オプション(利潤→配当→株価が上がると経営者に与えられるご褒美。これは賃金を抑制して利潤と配当を増やそうとする経営者を増やした)、など。
5)グローバル化(企業が低賃金国に進出し、ハイ技術を移転するとともに、低賃金を利用して低価格製品を輸入するシステム)
6)金融化(資産インフレーション、金融危機→高失業)
7)その他(例。すぐ上で示したように賃金の低下が景気を悪化させ、失業を増やすことなど。)
これだけの反動攻勢があれば、労働側が「対抗力」を失って、賃金がさがることになるであろう。まったく単純なしくみである。
最後に、もう一つ大きな質問をあげておこう。それは賃金が低下すれば、企業は雇用を増やという結果がもたらされ、あるいは日本の企業が国際競争力をつけて輸出を増やすという結果がもたらされ、経済の好循環が実現するだろうか、という疑問である。
残念ながら、それはまったくない。むしろ逆である。というのは、社会全体の消費支出が湿り、消費財の生産が大幅に抑制される。すると企業は将来も消費の抑制が続くと期待し(予期し)、生産能力を拡張しようとも思わなくなる。その結果、投資需要が抑制され、生産財(設備、機械類)の生産もスランプに陥る。
これは私の創り話しではなく、実際に近年の日本で生じたことである。小売り売上高はずっと停滞しており、純投資(粗投資から減価償却費を差し引いた額)は近年ずっとマイナスとなっている。そして、その結果、企業が利潤の中から留保した(内部に蓄積した資金)は国内では使い道がなく、日本企業の海外進出(多国籍企業化の推進)のために利用されている!
もちろん、その背景には、一人あたりの貨幣賃金の眼をおおうばかりの低下がある。(政治的な理由で、自民党の政治家は決してこれを口にしない。)またそれと並んで、1997年頃から生産年齢人口が毎年減少しはじめたというきわめて重要な事実がある。(これが近年の日本経済の動態の根本にある事態である。これを直視しない安倍政権の政策、例えば「異次元の金融緩和」などデタラメ経済学もいいところである。)
これに対して、1980年代以前、すなわち賃金がまだ上がっていた社会は、消費需要も成長し、投資・技術革新が行なわれ、活力に満ちていた。もちろん、いつまでも高成長が続くわけではない。しかし、1997年以降「構造改革」「雇用の柔軟化」とともに賃金を含む労働条件が悪化するとともに、企業はブラック化し、社会全体の活力も失われた。
最後に一言。ジョン・レノンの POWER to the PEOPLE という歌がある。これは経済学的に見ても、正しい。たとえ企業経営者が組織された労働がどんなにうっとうしくても、それは社会全体から見れば必要な費用であり、むしろ景気を支える制度的保証だったのである。めざわりなものを除去したいという気持ちはたぶん多くの人々が持っているものである。しかし、本当に生き生きとした社会は不純物を含むものである。純化された社会(粛正された社会!)は活力を失う。「人々に力を」。これが日本社会の実現するべき目標である。
0 件のコメント:
コメントを投稿