2015年9月27日日曜日

風刺画にみるアベノミクス 2 戦争立法

 違憲の戦争立法は、ついに衆議院と参議院で強行採決された。
 アーミテージやナイのようなジャパン・ハンドラー、彼らの代表する米国の軍産複合体は日本の軍事費増加を喜ぶだろう。また世界中のミリタリストや右翼勢力も喜んでいるようだ。もちろん、世界中のリベラル派・民主派・平和主義者は悲しみ、同情し、怒っている。

 それはさて、日本経済は重篤の状態に陥っている。財政赤字は毎年拡大し、政府の粗債務(残高)も累積的に増加している。軍事費の増加は、人々の可処分所得を圧迫し、経済をさらに悪化させるだろう。
 政府と経団連は、武器輸出の拡大をはかっているが、そのような「死の商人」の活動は世界の平和を脅かし、海外における日本人をいっそう危険の状態においやる。
 日本の観光業の経営者、従業員は自分の生活のためにも、戦争立法の廃止のためにがんばりましょう。

 
 巨額の軍事に押しつぶされる日本経済
 アベノミクスの第二の矢は、軍事費という財政支出の拡大だった。




風刺画にみるアベノミクス 1 量的緩和の虚

 安倍晋三氏の宣伝では、による量的緩和は景気を浮揚させるはずだった。
 (マスコミもこの宣伝には大いに貢献したが、・・・)

 実際は、
 1)日銀の市中銀行に対するマネタリーベースの供給を増やしただけで、銀行の民間に対する貸付(貨幣供給)はほとどんど増えていない。企業の設備投資もほとんど増えていない。しかも、
 2)円安による輸入品の価格上昇をもたらし(ということは、国民の可処分所得の外国への移転をもたらし、あるいは有効需要の外国への漏れをもたらし)、景気を悪化させた。一方、輸出はそれほど促進されていない。
 日本経済は、強い逆風にさらされている。



アベノミクス? ニューヨーク・タイムズの風刺画も揶揄

 アベノミクス? これまで説明してきた通り、単なる政治的宣伝に過ぎないものをまだ信じている人がいるのでしょうか?

 ニューヨーク・タイムズに載せられた風刺画(2014年11月23日)
 (あるフェースブックの紹介から知りました。)
  重篤の日本経済
  救急車には、タイヤがついておらず、病院にゆくこともできない。
  (日本経済に対する処方箋になっていない。)
  まさにこの通りです。
 

2015年9月26日土曜日

賃金を上げられない安倍晋三氏

 国民経済計算統計(財務相)のデータによれば、2013年の日本全体における「雇用者報酬」、つまり労働者が受け取った賃金所得はおよそ248兆円でした。国民所得(約400兆円)のおよそ62.5パーセントにあたります。国民粗所得は、この国民所得に減価償却費(固定資本ストックの減耗分)を加えたものであり、きわめてラフに言えば、500兆円ほどになります。2014年の数値もそれほど変わっていません。
 つまり、国民所得 賃金       248兆円
          利潤+混合所得  152兆円
          減価償却費  約 102兆円
 ちなみに、支出(有効需要)から見ると、粗投資は108兆円弱であり、これは減価償却費102兆円を除いた純投資がわずか6兆円ほどとなっていることを示しています。ほとんど純投資が行なわれていない状態ですが、その理由ははっきりしています。消費需要が増加しないので、企業は将来も消費が伸びないと「期待」(予測)して、生産能力を拡張するために積極的に設備投資をしないからです。
 ではなぜ、消費需要が拡大しないのでしょうか? それは雇用者報酬(賃金)が1997年の278兆円から2013年の248兆円までずっと低下したからです。言うまでもなく、賃金からの消費需要は消費需要の中で最も大切な部分です。
 ではなぜ、雇用者報酬が低下したのでしょうか? それは企業が様々な方法で(特に低賃金の非正規雇用の拡大によって)賃金を抑制してきたからです。
 もう少し詳しく言うと、21世紀に入ってからは、比較的高賃金の団塊の世代がごそっと退職したことも関係しています。これによって各企業は人件費負担が大幅に軽減され、企業経営がやり易くなると期待しました。個別企業(資本)の立場から見れば、たしかに人件費を削減できれば、その他の事情が変わらない限り(ceteris paribus)、製品価格を引き下げたり、それとも利潤を増やすことができたりと、あかるい展望が開けたように見えたのかもしれません。
 しかし、そうは問屋が卸しません。経済は複雑な生き物です。社会全体で見れば、賃金総額の減少は、有功需要、とりわけ消費需要の縮小を意味します。商品が売れなくなるという状況が生じます。
 しかも、現実の経済では、残念ながら、人々は経済をより悪化する方向に向かうという傾向(法則的とも呼ぶべき傾向)があります。上のように消費需要が抑制されたとき、企業はさらに賃金抑制でそれを切り抜けようとし、さらに結果的に賃金を抑制する政策が「改革」「構造改革」という名の下に政府によって推進されました。日本的雇用が批判の対象となり、労働市場・雇用の柔軟化が進められ、低賃金の非正規雇用、派遣労働が拡大されました。これは一時期きわめて人気のあった政策であり、実際には柔軟化の被害者までも構造改革を支持したと考えられています。その理由は、小泉純一氏が例の国民受けするキャッチコピーを用いて、「高給の」公務員批判などを行なったためです。昔からいう<国民は分割して統治せよ>(お互いを対立させなさい)という手法です。
 
 その上、ひとたびこのような状態が生まれてしまうと、元の景気回復の経路に戻すのがきわめて困難になるという問題があります。
 今日企業は消費不況の中で、そっせんして従業員の給与水準を引き上げようとはしません。むしろ逆でしょう。しかし、それが今度は社会全体で景気を抑制します。
 かといって、労働側には、昔のような賃金引き上げのための団体交渉力はありません。かつては、企業は労働側の力に押されて、いやでも、やむなく労働生産性の上昇に応じた賃金引き上げを行ないました。そして、それは日本全体の賃金総額を拡大し、その結果として消費需要を増加させました。まさに期せずして<景気の好循環>の社会的メカニズムが生じており、存在したのです。

 さて、現在、安倍政権の下では、どのような成長レジームが存在するのでしょうか?
 安倍晋三氏は本気で労働者の賃金率の上昇を実現しようとしているでしょうか? もしそうだとすると経団連に対する政治的圧力によって(つまり自由市場外のメカニズムによって)実現することになりますが、そんなことはありうるでしょうか? 常識のある人なら、そんなことはないと考えるでしょう。
 では、金融主導型の成長レジームでしょうか? つまり、株価を引き上げると、人々が「資産効果」によって豊かになったような錯覚に陥り、消費を増やすといったことがありうるのでしょうか? しかし、それは一時的には可能であっても、長期にわたって持続可能でないことは、現在では広く知れ渡っています。

 財政主導型の成長レジームでしょうか? しかし、日本の政府粗債務が巨額に達している状況では、それは難しいはずです。

 それとも1980年代の米国大統領、ロナルド・レーガンのように、巨大企業と富裕者を優遇すれば、自ずと貯蓄(企業の内部留保プラス富裕者の個人貯蓄)が増え、投資が行なわれるという図式にしがみつくつもりでしょうか? たしかにこのような思想は一部の日本の経済学者の間では信奉されており、日本の保守政治家の間でも主張されています。しかし、繰り返しますが、企業は将来消費需要が増えるという「期待」が成立しない限り、投資しないことは、1980年代のアメリカでもすぐに明らかとなったところです。そこで、供給側の経済学はあっと言う間に放棄されました。当初、純粋に理論的観点から供給側経済学やマネタリズムを信奉し、レーガノミックスを推進しようとしていた人々もすぐに(遅くとも1980年代末までには)誤りに気づき、様々に転向したことは米国ではよく知られているところです。それが成立しないことは日本でもまったく同じことです。

 要するに、安倍晋三氏は、2020年までにGDPを600兆円にするという新アベノミクスなるものを打ち出しましたが、その根拠はまったくありません。それは選挙目当ての宣伝でしかないというのが真相です。

 とりわけ99パーセントにとって重要jなことは、GDPではなく、賃金です。 
 あなたは、安倍晋三という人物が賃金の大幅な上昇を実現するために努力すると思いますか? 常識と正常な判断力を持つ人ならば、そんなことは考えないでしょう。それに彼はGDPを増やすとは言っていますが、賃金の引き上げを実現するとは決して言っていません。彼らが経済成長という一般論で有権者の関心を買おうとしているに過ぎないことは明らかといわざるをえません。

怪しげな新アベノミクス GDP600兆円のデタラメ


 新アベノミクスと称し、また怪しげなことが言われています。その一つ2020年までにGDPを600兆円にという話しがありますが、緊急に、この点をちょっと見ておきましょう。

 これを実現するためには、今年のGDPを500兆円とすると、毎年3.7パーセントのペースで経済(GDPの規模)が成長しなければなりません。これは経済全体の話しです。しかし、ラフに言って、生産年齢人口は毎年1パーセントずつ減少するので、経済全体を毎年3.7パーセント成長させるには、一人あたり4.7パーセントの経済成長が必要となります。もうこれだけで、新アベノミクスのデタラメさは明らかです。
 が、ひょっとすると、これは実質GDPではなく、名目GDPの話しだというかもしれません。つまり、物価が毎年2パーセントずつ上昇すれば、実現可能ではないかというわけです。ということは、実質では毎年経済全体で1.7パーセント、一人あたり2.7パーセントの経済成長が見込まれるということになります。この場合には、実質GDPは2020年に544兆円となります。
 しかし、これもほとんど実現不能、選挙目当ての単なる宣伝、デマの類であることは明白です。何故でしょうか?
 経済が成長するためには、まず何よりも有効需要が増えなければなりません。どんなに生産しても購入する人がいなければ、在庫が増え、結局、生産は頓挫するからです。(これは経済学部の学生なら誰でも知っている基礎知識です。)
 そこで、いま一つのシナリオ、つまり労働者の所得が経済全体と同じペースで増加するというシナリオ(人々が新アベノミクスに期待するであろうシナリオ、また安倍晋三が人々にそう思わせようといているであろうシナリオ)を考えてみます。
 仮にある年齢(例えば40歳)の人々の平均年収が現在500万円だとしましょう。その2.7パーセントは13万5千円ほどになります。月あたりでは1万1千円以上の上昇です。つまり、1997年から減少しつづけた平均賃金が今度は急激に上昇することになります。しかし、よく考えてみてください。日本の企業が急に気前よく月給を毎年一万円以上も上げ続けるでしょうか? アベノミクスが喧伝された昨年からでも物価が2パーセント近く上昇したため、平均給与500万円層にとっては年収10万は上がらないと実質的低下を意味したにもかかわらず、巨大企業でもわずかな昇給が実現されただけです。物価上昇の下での実質賃金の低下、これが客観的な結果でした。このような状況の中で、企業が急に給料を上げ始めるという根拠はどこにあるのでしょうか? 
 もちろんまったくありません。要するに新アベノミクスは、次の選挙をめあてにしたデマに過ぎないことは明白です。

 しかし、忘れていました。理論上は、もう一つのシナリオがありえます。つまり、巨大企業が労働者の実質賃金を上げず(また下請け企業の単価を上げず)、ひたすら利潤を増やそうとするというものです。もしこれが実際に実現されれば、巨大企業の経営者報酬は増え、また巨大株主に対する配当も増加するでしょう。つまり99パーセントの犠牲で、1パーセントの所得と富が増加するという帰結です。またこの場合には、企業の内部留保が著しく増加するでしょう。しかも、世界一企業が活動しやすい国(法人税の低い国)では税引後の利潤と企業の内部留保はさらに大きくなります。しかし、その結果、国内投資が増加すると期待してはなりません。むしろ大衆の所得が抑制され、消費が抑制されるのですから、生産能力を拡大するための国内設備投資は行なわれず(現在と同様です!)、そのため企業はますます投資機会を求めて外国に進出するでしょう(空洞化の進行)。

 私は決して想像上のシナリオを語っているのではありません。実は、これこそが小泉構造改革、それに安倍政権をはじめとする自民党政権の下でずっと行なわれてきたことです。
 この構造を安倍政権はどのように変えるというのでしょうか? もし変えることができるとしたら、それは労働側に「対抗力」を与え、団体交渉における賃金引き上げ要求権を強めることによるしかありません。しかし、経団連にべったりの安倍政権がそのようなことを実現する意図も力もないことは言うまでもありません。要するに、新アベノミクスもまた挫折した旧アベノミクスと同様に、単なるデマゴギーです。
 それは違憲の戦争法案を強行した政権が次の選挙で敗北を避けるための作戦に他なりません。大手マスコミがまた持ち上げるかもしれません。注意しましょう。
(この項目は、後日、もう少し詳しく紹介する予定です。)

2015年9月11日金曜日

アメリカ経済は「自由市場」の経済か? 二枚舌に気をつけよう

 アメリカ経済はよく「自由市場」の経済だと言われる。
 本当にそうだろうか?
 結論を最初に述べると、本当のところは「自由市場」どころではない。

 まず「自由市場」の定義だが、普通、それは政府が市場に干渉しない、あるいは干渉が最低限に抑えられている国民経済(つまり夜警国家)と定義される。

 実際のところはどうだろうか?
 ジェームス・ガルブレイスが『プレデター国家』(2008年)で詳しく検討し、明らかにしているように、米国のGDPに示す公的支出の割合は50パーセントを超えている。その詳しい内訳は省略するが、公的支出の主な項目は、軍事、教育(高等、中等、初等)、社会保障(これは米国では概ね退職者の年金のことである)、医療・健康(ヘルスケア、メディケイド)であり、これだけで40パーセントを超えている。
 政府(連邦、州、地方)が経済に大幅に介入しているのである。こんな経済が上のように定義される「自由市場」経済のわけがない。
 そこで、「自由市場」神話がどうして生まれたか、その理由が知りたいところである。ちなみに、このような「自由市場」神話は、実証研究を行なっている経済学者、それも(例えば)レギュラシオン派のようなリベラル派の良心的な経済学者の間でも、語られることがある。すなわち、福祉国家、調整された市場経済、社会民主主義の要素を持つヨーロッパvs「自由市場」的アメリカ、と言った具合である。
 このような対比自体が、「自由市場」神話の一つの源泉になっている可能性も考えられるかもしれない。しかし、実際にはヨーロッパも米国も政府の市場介入が相当程度行なわれているのだが、その介入様式が異なると言ったほうがよいのではないかと思われる。
 私の意見では、「自由市場」神話の生まれる基本的理由としては2つの点を指摘できるように思われる。
 1)レーガン革命の余波
 1980年代のレーガン大統領(米国)とサッチャー首相(英国)による「自由市場」を看板に掲げたマネタリズム・供給側の経済学にもとづく「新自由主義」政策(ネオリベラル政策)の実施以来、米国では、ケインズとフランクリン・ローズベルト、ニューディールと「偉大な社会」が否定され、崩壊したという見方が広まったという事実がある。
 これらの政策は強烈であり、今日でもその影響のあとは残されている。
 実際、ヴォルカーの金融超引締め(超高金利)=反インフレ政策が実施され、高失業や実質最低賃金の低下の中で、労働者の賃金が抑制されたことは事実であり、また供給側の経済学(新古典派の一派)に理論的に支えられて1981年に実施されたレーガン「再建税制」が法人税率の(実質的)引き下げ、所得税の限界税率(高所得者の税率)が引き下げられたことも事実である。さらに金融の自由化も1980年代から徹底的に実施された。
 しかしながら、マネタリズムの実験は失敗し、すぐに停止され、また「再建税制」も保守派の唱える「均衡財政」を実現できないどころか、大幅な財政赤字をもたらした。
 その上、レーガン革命は、決してニューディールや「偉大な社会」の実現したことを根本的に葬ることは決してなかった。もしそれを行なったら、共和党は、大量の票を失ってしまい、政権に戻ることはなかっただろう。それに加えて、レーガン(反)革命は、ケインズ主義的福祉国家を全面的に葬りさることができないだけでなく、減税による税収減+軍事の膨張によって反動的な「軍事ケインズ主義」を生み出した。
 すでに1980年代に、米国の保守派(経済学者+政治家)は、「自由市場」の失敗をよく理解していた。国家の介入なくして資本主義経済は運営できない。問題は、「国家」対「市場」ではない。これが事態をよく理解した人々の認識だった。ただ彼らは、そのことに一言も触れずに、そっと転身しただけである。もちろん、環境が変化したことに気づかず、今でも「自由市場」神話を信奉しているKYな経済学者は存在する。しかし、それは大学の中に閉じ込められており、現実の政策に大きくかかわることはない。(ただし、事情によっては部分的に利用されることは今でもある。)
 2)二枚舌(ダブル・スタンダード)
 今ひとつは米国の二枚舌(ダブル・スタンダード)である。
 米国は、その誕生のときから「自由」のスローガンなしには存在できない国である。彼らは自分たちの経済が「自由市場」ではないと知っていても、「自由市場」によって運営されている「ふり」をする。(エマニュエル・トッド氏なら、これをアングロ・サクソン民族固有の家族形態(不平等な相続制度を特徴とする自由な小家族)と関係づけることだろう。私もたぶんそうだと思う。)実際、アメリカの制度には、準公的(parapublic)なものがきわめて多い。(その一例は住宅におけるファニーメイとフレディマックである。)
 この二枚舌が存分に発揮されるのが、とりわけ外に対するときである。彼らは、それが有害と知ってか知らずか、開発途上国に対して成長するには「自由市場」、マネタリズム、供給側の経済学、マクロ的経済安定(インフレ抑制+為替相場の安定)、均衡財政などが有効だと主張する。上記のように国内ではとうの昔に放棄されていても、である。
 もちろん、時と場合にはよっては、国内でも二枚舌は使われる。とりわけ労働者の所得(つまり賃金)については、今でも、高賃金が高失業をもたらす要因であるとして、「自由市場」の諸理論(自然的失業率、NAIRU、つまり<失業を加速させない失業率>以上に現実の失業率を高くしなければならない(!)という「理論」など)が動員される。ただし、この最後の理論などは、有権者に知られるとまずいので、極力隠される。
 
 要するに「自由市場」の偽装の上に成立している国家介入型の経済、これが現代の米国経済の実際の姿である。

 最後に二つ。
 誤解を避けるために述べると、私はヨーロッパと米国が同じような経済構造を持つと主張しているわけではない。ここでのポイントは、「自由市場」ではなく、政府介入の上に成立しているという意味での同質性である。だが、そこから先は大きく異なる。ヨーロッパ経済が相対的にはるかに平等主義的・福祉国家的であるのに対して、米国経済は「コーポレート・プレデター」(一握りのプレデター=補食者による企業支配、政府支配)の傾向が強いという相違は否定できない。もちろん、プレデター国家を「自由市場」と同一のものと見ることはできない。
 また私たちは「自由市場」神話を信奉する必要はまったくない。正当な政府・立法府の介入を得て、最低賃金を引き上げたり、労働条件を向上させ、国民の生活をよくすることが結局は経済社会をよくする道であることを知るべきである。
 



2015年9月7日月曜日

アベノミックスの政治学 かくして戦争法案は準備された

 アベノミックスが「デタラメ経済学」であることをこれまで述べてきた。それは人々に幻想を与えたにすぎない。
 しかし、その政治学的側面を見なければ、本当にアベノミクスを論じたことにはならないだろう。
 
 実は安倍晋三という人物にとっても、アベノミクスがどのような帰結をもたらそうと、どうでもよかったといってもよいだろう。
 というのは、それが打ち出されたとき、マスコミがそれに乗り、当面、人々に経済が成長し、人々の所得(そのほとんどは賃金だが、自営業者の所得も含む)が増加するという「幻想」を生み出せばよかったのである。そうすれば選挙で勝利することができる。そして勝利してから戦争法案を国会に持ち出せばよい。

 もちろんこのようなやり方では反対が起きるだろう。しかし、民主的な総選挙で自民党と公明党が政権についたのであり、これが民主主義だと言えば、一部の人はともかく多くの人は納得するだろう。あるいは反対できないだろう。
 それに一度国会で議決してしまえば、人々は次の選挙までには忘れているに違いない。これが安倍晋三と自民党の考えたことである。
 私は今になってはじめてこのように言うのではない。実は、衆議院選挙の直後にアベノミクスがそのように政治戦略的に位置づけられていることを、ある人と話していた。
 もちろん、このように述べる十分な根拠がある。
 1)自民党は選挙前・選挙戦時には、アベノミクスが争点だと主張して、戦争法案のことなどおくびにも出さなかった。ただし、候補者と支持者のとの内輪の集会では、反中・嫌韓を語り、「やります」「まかせてください」というようなことは言っていたらしい。しかし、それはあくまで支持者だけの集会の時である。
 2)自民党にとって、しかし、経済政策にも不安や弱点はあった。それは TPP や残業代ゼロ法案、雇用柔軟化(解雇規制の撤廃など)など多くの勤労者に不安を与えるものである。しかし、彼らは<TPPには断固反対する><ぶれない>などと反対するポーズは見せた。<新自由主義><市場原理主義>に反対すると述べた候補者もいる。しかし、これが単なるポーズであることは選挙すぐにわかった。
 アベノミクスは、「異次元の金融緩和」を第一の矢としていると宣伝された。しかし、それは他方では世界一企業が自由に(つまり、勝手気ままに、やりたい放題)ふるまうことがでくる国(簡単に言えば企業のブラック企業化を許す国)、そして法人税などの企業負担を世界一低い国にすることをめざしている。(ちなみに、日本の法人税は主要国の中では低いほうだが、企業の社会的負担全体は決して低くない。例えばドイツの法人税率は日本より低いが、社会保障負担率ははるかに高く、全体ではドイツのほうが日本よりはるかに重い。)ともあれ、企業が世界一自由にやれる国を創る。これは政権側の文書に明記されている。
 
 おそらく今年に入るまで、安倍晋三と自民党・公明党は、この筋書きがうまく行くと思っていただろう。
 ところが、戦争法案に対する理解が進むとともに、人々はそれが違憲であり、危険であることに気づいてきた。危険というのは、最終的には、日米が合同軍事行動を行なうことになるということであり、日本は常に世界中の戦争に参加を強いられるということである。多くの人がそれに気づいてきている。

 またアベノミクスのデタラメさも徐々にであるが理解されてきている。端的に言えば、実質賃金が低下したのである。その理由は、円安とともに(ドル高となり)輸入品価格が上昇し、消費者物価が上昇したのに、賃金率はほとんど増えていない(たしかに安倍自民党の要請により経団連が音頭をとり、大企業を中心にわずかばかりの賃上げを実施はしたが、それさえも物価上昇率に比べればわずかな上昇である)。
 かくしてアベノミクスの最後の期待の綱は、株価である。(といっても株価が上がってもほとんどの人々には何の関係もない。)しかし、前に述べたように、この株価も年金基金や日銀の介入による「官製相場」に過ぎない。そして、そのゆくえも中国上海バブルの崩壊によってさきゆき不透明となっている。

 アベノミクスは単なる経済政策ではない。それは背後に日本国民の生命を左右する政治的策略が隠されている。
 この意味で、アベノミクスは「小泉構造改革」よりはるかに有害で、キナ臭いものである。