これまでアベノミクスについて、様々(というほどではないか)な観点から検討してきたが、一つの点についてはまったく検討していない。それは、安倍首相の頭の中ではどうなっているのかという点である。これは非常に興味深い問題だが、残念ながら、論じるための材料がほぼまったくないも同然である。したがって、まともな経済学者なら避けるにちがいない問題である。
私が以下に述べることも、ほぼ仮定の話しとなる。本ブログを読みすすめる人は、その点を了解した上で、読んで欲しい。
さて、最初から大きな仮定の話しだが、安倍首相は、(1)アベノミクスを心から信じていると考えていることも可能であろうし、(2)まったく逆に信じてはいないが、憲法改正等の政策を実現するために、有権者の票を期待しなければならず、そのためにたとえ有権者を瞞着するものであろうとも、人気取り政策を実施しなければならないと考えていると仮定することも可能であろう。もちろん、この両極端ではなく、中間のどこかのポジションにいると考えることも可能であり、さしあたりはそう考えるのが説得的であろう。
さて、まず「異次元の金融緩和策」(質的・量的緩和)であるが、これは上記の(1)の可能性が高いように思われる。たとえそうでなくても、そう仮定しよう。
周知のように、これは日銀が「2パーセントの物価上昇」を目指して、金融緩和を実施すれば、その通りになり、またその結果(またはそれに伴って?)、景気も回復するというシナリオである。
しかし、このシナリオを支えるどのようなロジックがあるのだろうか?
私がこれまで50年近く学んできた経済学には、そのような説得的なロジックはないのであるが、あえて考えてみよう。究極的には、それは多くの人々が<消費者物価が上昇し、景気がよくなる>という「期待」を持つことに帰着する。つまり、物価が恒常的・安定的に上がってゆくということは、貨幣価値が恒常的に低下するということであり(正確には、そういう期待を人々が持つということであり)、したがって人々は貨幣価値が前に消費財・サービスを購入しようとするだろう、と。消費支出の増加あるいは消費需要の増加が景気をよくすること自体は言うまでもない。またある人はこうもいう。政府や日銀が異次元の金融緩和策を実施し、景気をよくすると約束しているのであるから、将来賃金所得も増加するであろう。したがって人々はそうした景気回復、賃金所得の増加を「期待」(経済学的にはこれは「予想」を意味する)するであろう。いや、当然期待するべきである。そこで、もし人々がこのように政府・日銀のやる気を信じて消費を拡大すれば、景気は回復する、と。
このように主張する人は、白川日銀は、たしかに、欧米諸国に比べても、きわめて大きな規模の量的緩和を行ってきたが、そこには人びとに上記の「期待」をいだかせるに十分な「やる気」が欠けていた、と。
ここまでくると、ほぼ戦前・戦中の精神論(竹やり訓練、大和魂など)と同類のものを感じるが、それは置いておこう。
この点について、二点ほど補足する。
一つには、経済現象が人々の意識と密接に関係している以上、精神論がいつも全面的に間違っているというわけではないが、上の議論では、日銀が異次元の金融緩和をしたら、多くの人がみな同じような「期待」を持つという点がまったく説得的でないというしかない。
いま一つには、そもそも量的緩和といっても、日銀ができるのは、市中銀行から国債などを購入して、銀行に貨幣(マネタリーベースという)を供給することができるだけである。市中銀行が企業に無理に貸し付けを増やせるわけではない。(経済学者の中にさえ、この点を理解していないのではないかと疑われる人がいるが、この点は深く追及しないことにしよう。)
そもそもケインズなどが明らかにしたように、企業の貨幣需要の中でも大きな設備投資のための資金需要は、大企業の場合、将来有効需要が拡大するという「期待」を持つ場合に行われる。しかもその期待は(企業者の本能的な「アニマルスピリット」を別とすれば)、経済の現状を基準にして持つことが多い。さらに現在の日本の大企業は、設備投資のための資金を内部資金からまかなっている。したがって日銀が市中銀行に対するマネタリーベースを増やしたところで、設備投資のための銀行融資が増えるとは到底思えない。同じ理由で、き企業の設備投資は金利に対しても敏感ではない。
さらに、国民大衆はどうか? 彼らが消費支出を増やすとしたら、それは賃金所得が確実に増加するという期待を持てるときである。もしそのような期待を持てずに、物価だけ上昇するとしたら、どうであろうか? これについては、2013年春における私自身の経験がある。
当時私はある理由で、社会人を相手に講師として経済学の勉強会を行っていた。その中で、あるいシニアの人が、「年金も増えない、賃金も増えるかどうかわからない、預金金利もほぼゼロの状態で、物価を上げるなどけしからん」と怒り心頭の様子であった。これはその通りである。もし自分の家計収入が増えるかどうかわからないという状況の中で、物価だけ上がるという期待(予想)が生じたら、庶民のとる道は一つしかない。消費を増やすどころか、減らす、つまり節約である。
その勉強会で、私はなるべく予断を与えないように逆に参加者たちに質問した。日銀は2パーセントの物価上昇をターゲットにした量的緩和を行うそうですが、あなた方は物価について、また景気について、どのような「期待」(予想)を持ちますか?
参加者たちは一様にとまどっていたが、物価が上昇し、景気がよくなるという期待を持つと明言した者はいなかった。
その後しばらくして、ある女性の事務職員が私に質問しにきた。私たちの夫婦は、住宅ローンを組んで家を購入したが、将来物価はどうなるのか、金利はどうなるのか、という質問である。これはもちろん、住宅ローンを繰り上げ返済したほうがよいのか、それとも長く寝かせたほうがよいのかという判断をするための質問でもあった。私の回答はここでは述べないでおこう。ともかく、これが庶民の中における「期待」の実態である。
さて、ここで述べたようなことを安倍首相がどのように頭の中で考えたか、あるいは考えなかったかは残念ながら不明である。
私の推測では、彼は質的・量的緩和の理論や効果などどうでもよかったのではないように見える。ただ、票を集めるために使えそうだ、この一点ではなかったか。
実際、普通なら、経済政策を説く場合、問題となる事象の理由・要因が何なのか、多少とも学問的に検討するはずであるが、安倍首相のあらわしたもののなかに、そうしたことを見つけることはできなかった。ただ、アベノミクスをしっかり実施すれば、「デフレ不況」を克服できますと繰り返すばかりである。
ただし、一つ、彼にとっては、私のように言う経済学者が邪魔であることは間違いない事実であろう。つまり、人びとは政府・日銀がせっかく本気になって物価上昇期待、景気回復期待を醸し出そうとしているのに、その邪魔をする「悪い輩」がいる、といったところである。
ところで、アベノミクスの効果については、物価が一時的によせ上がったではないか、名目賃金も上がったではないかという人がいるかもしれない。
しかし、物価上昇は、円安・ドル高による輸入品物価の上昇によるものであり、このような輸入インフレは、1970年代のインフレと停滞が示すように、景気にとってはかえってよくない代物である。(それは、その他の事情が等しいならば、輸入額の増加分だけ国内の可処分所得を減らすことになるからである。石油危機の時は、可処分所得の減少は、世界の石油輸入国の3パーセントほどにも達し、国内景気をそれだけ冷却させた。)
また安倍政権下の名目賃金の上昇は、金融緩和とはほぼ無関係である。それは、安倍首相が経団連との談合で、法人税の引き換えに経団連傘下の巨大企業に実施してもらい、かつNHKをはじめとするマスメディアによる宣伝によって広報したものである。しかも、その幅は、輸入インフレによって帳消しにされ、実質賃金率は低下さえした。
近刊の『経済学のすすめ』(岩波新書、2016年)の中で、佐和隆光氏が述べているように、安倍のミクスには、国家主義的な要素が色濃く表れている。政府と経団連との談合、期待の強制という愚民政策、株価の官製相場などはその本の一例である。
*アメリカでも、本ブログで扱ったようなことをジェームス・ガルブレイス氏が論じている。
James K. Galbraith, Bernankenstein's Monster, 'Mother Jones', January-February, 2006. 後日紹介したい。
(未完)
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