安倍氏の経済政策の中に、明確に「新自由主義」政策的な要素が混入していることを確認してきた。
ところで、経済社会は複雑系であり、様々な要因が複雑にからみあっていて、相互に影響しあっているため、またそれに応じて因果関係も、原因(A)→結果(B)という単純なものでないため、私の説明も先に進んだり、後ろに戻ったりしなければならないが、ここではさしあたり、前に進むことにしよう。
アベノミクスには、様々な要素が雑然と混ぜ合わさっているため、「小泉構造改革」の論理のような単純さに欠けている。そこで、新自由主義政策の側面を持つとともに、またそれと対立するように見える側面も指摘しなければならない。
それというのは、いわゆる「ケインズ政策」のことである。そもそもケインズ自身がどのように捉えていたかは別として、不況・景気後退・停滞に際して財政支出を拡大すること、したがって単年度の財政赤字の拡大を許容し、また累積的な政府粗債務(gross debt)の拡大を許容するような政策を俗に「ケインズ政策」と呼ぶことが多い。もちろん、ケインズ(Keynesian)の修飾語を付けるのがまったく誤りというわけでもない。何故ならば、政府支出の増加は、その他の事情が同じなら(other things being equal)、それと等しい社会全体の有効需要を拡大させ、さらには--必ずそうなるというわけではないが(注意せよ!)--民間投資や家計の消費支出を拡大させるという効果を期待することができるからである。
実際、安倍氏の経済政策には、こうした政府支出の拡大を可能とするような制度的装置が前提とされている。それは、いわゆる「異次元の金融緩和」策である。
このように言うと、首をかしげる人もいるかもしれない。異次元の金融緩和策とは、貨幣供給(貨幣ストック)を拡大させ、インフレーションをもたらし、それによって景気をよくする政策ではないのか、と。たしかに、アベノミクスが喧伝されていたアベ政権の初期には、そのような解説が広く行われていた。しかし、それが効果(成長)をもたらさないだろうということは、本ブログでも何回も触れたし、またその通りとなっている。このt点については、今後も触れることがあるだろう。
しかし、貨幣ストックを増やすためにという名目で実際に採用された具体的な手段を理解すれば、「異次元の金融政策」が通俗的に理解された「ケインズ政策」に他ならないことが自ずからわかるだろう。
ごく初歩的なことだが、社会全体の貨幣供給(貨幣ストック)を増やすためには、銀行が社会。つまり企業(会社)や家計・政府に対して提供する資金を増やさなければならない。ルーズに言えば、それが「貨幣ストック」の定義であり、それ以上でも以下でもない。
では、会社(ここではさしあたり会社だけを取りあげる)は、どのような時に新たな資金を銀行から調達するのだろうか? これも細かく言えばきりがないが、ルースに言えば、例えば会社が生産能力拡大のために設備投資を実施しようとしており、そのための資金を内部では調達しえないときである。会社は、銀行に貸付を依頼する。銀行は審査の上これに対応するだろう。では、その先に行って、会社が設備投資を行うのは、どのような時か? これも多様だが、最も簡単なケースでは、社会全体またはその会社の商品に対する消費需要が拡大しており、適正な生産能力の限界に近づいているときである。
要するに、通常の因果関係から言えば、<消費需要→設備投資需要→資金需要→貨幣ストック>という流れが考えられるはずである。
ところが、である。アベ政権と黒田日銀(およびその理論的支持者、岩田氏)は、まった逆の因果関係を考えていた(くどいようだが、本当に考えているとしたら、という条件つきであるが)。彼らは、日銀が市中銀行に供給するマネー(ベースマネーという)を増やせば、自動的に銀行は会社にカネを貸し、会社は借りたカネで設備投資を行い、設備投資を行えば生産能力が拡大し、そうすればセイ法則(新自由主義の理論上の支柱)によって有効需要(消費需要)が増え、経済は成長する、メデタシメデタシ、考えたことになる。まさに逆転の発想だが、このような逆転した因果系列が実際に生じるはずもない。これはちょっと考えれば、誰でもわかるはずである。そこで、彼らもひとひねりする。
それが「期待」(expectation)である。ただし、ここでいう期待とは、希望という意味あいはなく、むしろ推測という意味に近い。要するに、彼らの説明では、日銀が本気を出して経済を成長さえようとしているという気迫が社会に伝われば、人々は将来の成長を期待して、消費を拡大するだろう。そうすれば、設備投資も拡大し、生産能力も増え、会社の資金需要も増え、銀行の貸し出しも増えることになる。メデタシメデタシというわけである。
しかし、ここでよく考えてみよう。人々は、あるいはすべてといわないまでも多数派をなす人々が本当にそのような期待をいだくだろうか? そのような期待をいだく人はまったくいないとは言わない。しかし、多数派(majority)がそのような期待をいだくと期待するのは、カルト信仰に他ならないではないか。あるいは米国の有名な経済学者、ジェームス・ガルブレイスの言い方を借りると、「バーナンケンシュタイン」という怪物(バーナンキは、同じようなことを考えた前アメリカ中央銀行・FRB議長)に他ならない。
実際、この4年間を振り返ってみても、このような期待が生じた気配はなく、上記の因果関係に沿った成長が生じた形跡もない。
ここで私の経験談を書いてみるのも、無駄ではないかもしれない。ある場所で社会人相手にまだ「アベノミクス」が始まってまもないころ、それについて勉強会を開いていた。ところが、その中の一人(シニアの人)が「インフレーションを人為的におこすなんてとんでもない。私たちの年金が減額され、貯蓄しても利子がゼロなのに、物価があがったら、どうして生活してゆくのか?」とご立腹。もちろん、安倍・黒田の「期待」(希望的観測)に反して、経済が成長するなどという期待は持ち合わせない。これはほんの一例であるが、成長の期待を持っていますという人に私はついに出会わなかった。私が聞いたのは、本当に物価は上がりますか? 利子は上がりますか、経済は成長しますか? といった疑問・質問の声ばかりだった。
だが、「異次元の金融緩和」には、もう一つのサーキットがある。それは、日銀が市中銀行にマネー(ベースマネー)を供給する方法にかかわっている。これもご存じの人はご存じの通り。日銀が市中銀行に貨幣を供給する主な方法は、銀行の保有する有価証券、とりわけ国債を購入することである。もし銀行が10億円の国債を日銀に売却すれば、10億円が銀行の対日銀預金口座に振り込まれる。もちろん、振り込まれたからといって、銀行が会社に貸し付けるマネーを自動的に増やすわけでないことは、上で説明した通りである。
だが、国債というのは、政府の借金である。それを日銀が銀行から買うということは、政府にとっては国債を発行しやすくなることを意味している。
そして、財政支出は、有効需要の拡大を通じて、経済を成長させることになるのではないだろうか?
この「期待」が実際にその通りに働いたかどうかは、実際のデータを用いて検証してみるしかない。 (次回に続く)
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