2017年7月17日月曜日

安倍氏の経済政策の経済的帰結 14 日本経済は英米独仏の経済とどう異なっているか?

 かつて安倍首相は、「私の名はアベノミクスによって歴史に残る」と語ったそうだが、たしかにネガティブな意味ではそうだろう。

 かつてある社会科学者が述べたように、人間は歴史を作るが、自由に作ることができるわけではない。与えられた条件の中で、またそのときどきの歴史的・制度的条件によって制約された手段を用いて作ることができるだけである。
 したがって何かを変えるために政策を打ち出す者は、最初に現状を分析し、所与の条件や利用できる手段の妥当性を検証しなければならない。しかし、安倍氏には、これらの必要条件とも言えることを行う能力が欠如している。「云々」という感じを「でんでん」と読むのはまだ無害であり、許容しうる。だが、政策立案に能力の欠如については、決して許すことができない。
 
 さて、同じ資本主義経済でも各地域、各国によって大きな歴史的環境・条件の相違、制度的相違があり、それが人々の経済活動の結果、パフォーマンスに大きい相違をもたらすことはよく知られている。そうした制度的相違は、労働慣行、企業統治、財政・社会保障制度、医療制度、金融制度など、あらゆる社会経済領域にわたっているが、ここでは、さしあたり人口と労使関係における相違をとりあげておこう。

 広く人々に周知となっているかどうかはわからないが、現在、人口の成長率には、専心資本主義諸国の間でも、大きい相違が認められる。大雑把に言えば、英米仏、それに北欧(スカンジナビア諸国)の出生率(fertility、合計特殊出生率)がほぼ  2.0 の水準にあり、人口が長期にわたって維持される条件を満たしている(当面については、人口成長が見込まれる)のに対して、日本、ドイツ、イタリアではかなり低い(ルーズに言えば、1.3前後の数値を示している)。
 このように先進諸国が人口成長率の点で大きく二分され、英米仏 対 日独伊という対照は、第二次世界大戦の構図を思い出させるが、それはともかく、その理由・事情は、複雑な社会政治経済文化的要因と関連しており、簡単には説明できない。そこでその説明は他日を期すこととして、ここでは所与として措こう。一方では、人口はわずかながら増加すするグループがあり、他方では停滞または減少しつつあるグループがあるわけである。
 ここで、労働人口(生産年齢人口)一人あたりの成長率が同じ、例えば低めに1パーセントと想定する。このように一人あたりの成長率が同じでも、社会全体の成長率は、英米仏などでは1パーセントより高くなり(例えば2パーセント)、日独伊などでは、1パーセントより低くなる(例えば0パーセント)。もちろん、理論上、後者でも高い成長率を達成することは不可能ではないが、それは一人あたりのより高い成長率の実現を前提とする。
 人口増加率、つまり出生率(fertility)を引きあげるための諸政策をとたらどうかとも考えられる。しかし、かりに今から恒常的に出生数が飛躍的に増え、出生率が2.0になったとしても、今年出生した乳児が労働市場に登場するのは20年後であり、日本全体の生産年齢人口が増えたと実感できるようになるためには、30~40年はかかるだろう。
 さて、こうした相違は、後者(日独伊)の場合、かなりやっかいな問題を惹起する可能性(注意。可能性ですが、その蓋然性は高い)がある。それは企業全体の労働力の縮小であり、利潤の縮小である。言うまでもなく、「競争的市場」の中で営まれているここの企業は、こうした縮小する労働力や利潤を平等にシェアーすることができるわけでは決してない。確かに、シュンペテリアンの吉川洋氏(『人口と日本経済』中公新書、2016年)が楽観的に語るように企業者がアニマルスピリットを発揮して行う「イノベーション」に期待できる部分もあろう。しかし、楽観的になるためには、一定のかなり厳しい条件が必要となり、その条件を企業社会が全体として満たすとは限らない。
 考えられる危険な経過は、個別の会社が競争的市場の中で、自社の生き残りをかけて、労働力と利潤の奪い合いを行うことである。それにもっとも成功する個々の会社は、低賃金の従業員を多数確保する会社(多分にブラックな会社)ということになるだろう。もちろん、失敗する会社は、競争的市場から退場するしかない。もちろん、これは最悪の経路であろう。しかし、それにリアリティがないわけではない。
 目下のところ、日本で生じているのは、女性の就業者の増加である。2013年から現時点までに男性の就業者(正規、非正規)の数はほとんど変わっていないが、女性の就業者数(正規、非正規)はかなりのペースで増えている。しかし、そのような増加には限度があり、数年以内にはピークに達するだろう。

 いまひとつの相違、労使関係について見ておこう。
 今後は人口論的には、同じグループに属するドイツと比べてみることとする。
 端的に言って、この点におけるドイツと日本との相違は、従業員・労働組合の賃金交渉力の相違である。もちろん、19世紀以来の労働組合運動の伝統、1918年のドイツ革命にはじまる労働者の政治的力の成長、戦後の一連の労働保護立法などの要因によって、ドイツの労働組合の中央組織は、強い交渉力を持っている。これに反して、1980年代以降、日本の労働組合は力を失ってきた。その一つの理由が国鉄などの民営化による労働組合の弱体化にあり、またそもそも日本の労働組合が産業別・職業別組合ではなく、基本的に「企業別組合」(外国語風に言えば「会社組合」。この言葉は英米では御用組合を意味する)であり、特有の脆弱性を持っていたことである。
 ドイツでは、経営者は労働組合の強い交渉力のために貨幣賃金(名目賃金)を引きあげることを余儀なくされる。これは、日本の貨幣賃金が1997年以降ずっと趨勢的に低下してきたのと好対照をなしている。日本について「長期デフレ」を語ることができるとしたら、それはこの賃金低下による。要するに日本の「デフレ不況」と言われているものは、本質的に「賃金デフレ」である。その結果、国全体の消費需要が縮小し、経済が停滞してきたことはすでに述べた通りである。ドイツには、この「賃金デフレ」はなかった。
 賃金が上がるためには、労働側に経営者に対する「対抗力」(counterveiling power)がなければならない。
 とはいえ、ドイツの労働組合にも一つの大きい弱点がある。それは日本とかなり相違して(日本に流通している常識と反するかもしれないが)、ドイツ経済が戦後一貫して輸出志向的(新重商主義的)であり、その輸出依存度がかなり高かったことである。このことは、ドイツの職・雇用が輸出に大きく左右されていたことを意味する。そこで、次のようなことが生じる。
 もし賃金上昇率が労働生産性の成長率を超えると、この単位労働費用の増加は、輸出製品の価格を引きあげ、ドイツの輸出量(対EU、対米)を減らす危険性があった。または少なくとも、そのように当局(政府、中央銀行=ドイツ連邦銀行)に認識されていた。そこで、貨幣賃金の一定程度以上の上昇が、その結果、高いインフレ(例えば2パーセント)が生じそうになると、中央銀行は、金利を引きあげる。それは景気を悪化させるだろうが、同時に賃金の引き上げに対する抑止策として作用する。
 以上である。

 さて、アベノミクスと称するものには、貨幣賃金の引き上げを許容するような、あるいは促進するような新たな制度的装置がつけ加えられただろうか?
 答は、ノーである。前に書いたように、彼は自分の政治的支持率を上げるために、財界と談合を行い、賃金引き上げを演出したにすぎない。アベノミクスは失敗するべく運命づけられていたのである。
 
 
 
 
 
 

 

 


 
 
 







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