佐和隆光氏の『経済学のすすめ』(岩波新書、2016年)は、いろんな意味で関心を引く良書であり、一読をお勧めしたいが、その中でアベノミクス(安倍氏の経済政策)について触れたところがある(98ー100ページ)。
最初にその箇所を要約しておこう。
一体アベノミクスは「新古典派」なのか、「ケインズ派」なのか、と問題提起したのち、佐和氏はそのどちらでもないとして、「国家資本主義」と断定する。その証左は次の通りである。
1,日銀のインフレターゲット論は、個人や企業の(期待や行動の)多様性を認めない新古典派仮説の典型であり、上位下達の愚民政策である。
2,インフレ期待が成長と賃金上昇に結びつかないことに業を煮やした政府は、経団連に賃金引き上げを要請した。労使交渉に政府が介入するという前代未聞の挙。(国家主義の一連)
3,政策が「期待」という人により異なる要素に依存しているため、政府は、マスメディアにおけるエコノミストの発言に用心深くなっている。冷水をあびせるような発言を封印しようとしてきた。(メディア、市民監視の一例)
安倍氏の政策運営は、法案の強行採決に見られる通り、自由主義と民主主義を踏みにじるという点で異例きわまりない。安倍国家主義への懸念は、いまや日本国内を越えて国際的なものとなっている。その一例はフィナンシャル・タイムズの社説「安倍の国家主義のゆくえを懸念する--NHKの国家統制を憂う」である。
結論。中曽根・小泉元首相は保守主義者であり、社会的・政治的には秩序と伝統を重んじるが、経済的には徹底した自由主義者(新自由主義者、構造改革論者)だったが、安倍晋三氏は、社会的・政治的には両元首相と立場を同じくするが、その経済政策は政府主導の統制色が強い。
私も基本的には、この佐和氏と同じように、安倍経済政策の国家主義的色彩を強調しておきたいと思う。
しかし、若干注意が必要なのは、佐和氏も否定しないと思うが、安倍晋三氏は決して「新自由主義的」な政策をイデオロギーとして全面的に放棄したわけでは決してないことである。
そもそも「新自由主義」政策に対して財界から決して強い批判が出てこなかったこと、むしろ現在でもそれを推進すべきという声が強いのは、新自由主義が大企業の利益にマッチしているからであり、その限りにおいて、である。法人税や企業の社会負担に対する不満が(場合によっては、それを理由とした脅しが)並べられるのは、そのことを明確に示している。
このように一方で新自由主義を声高く唱えながら、他方では富裕者、特に大企業の経営者、株主、金融関係者の利害を忖度するのは、現在の資本主義経済の常である。
このことを明確に指摘したのは、米国では、ジェームス・ガルブレイス氏の『プレデター国家』(2008年)であった。すでに20世紀末から米国の保守派・プレデター(捕食者たち)は、「自由市場」を放棄している。それは依然として彼らのキャッチ・コピーではあっても、彼らと国家権力との癒着が進行している。これがガルブレイス氏の結論であった。またガルブレイス氏は言う。彼らは、軍事支出の拡大はもちろん、社会保障(年金)、教育に対する政府支出などに必ずしも反対しない。もちろん、それが彼らの利益に奉仕するからであり、その限り、その程度に応じてである。しかも、その際、もし必要とあれば、「自由市場」の効用を宣伝することもいとわない。
これが現在米国や日本で進行中の事態であることを心に銘記するべきであろう。
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