黒田日銀による「異次元の金融緩和」の結果、日銀の総資産が異常に増加し、そのGDPに対する割合がほぼ100パーセントに達している。東京新聞(昨日)の数値では、93.6%とされている。
これは、日銀が市中銀行にマネー(ベースマネー)を供給するために、国債を購入したことが最大の要因だが、その他に日銀はETFなどの株式の購入を行っている。日銀ではないが、GPIF(公的年金基金)も株式による資産運用を行っており、日銀資金とGPIFによる「官制相場」が形成されてきたことは、本ブログでも紹介してきたところだ。
金利もぎりぎりのところまで引き下げられている。
安倍首相や黒田日銀総裁の最初の約束では、こうした「異次元の金融緩和」は「インフレターゲット」と呼ばれる政策目標によるものであり、この政策目標を2015年4月までに実現すれば、政策の役割は終わるとしていた。
「インフレターゲット」とは物価が毎年2パーセントずつ上がるように貨幣量(貨幣ストック)を増やして行き、また人々がそれを「期待」して(実質)消費支出を増やしてゆけば、景気がよくなり、賃金も利潤も増え、景気の「好循環」が生じるというアイデアである。
しかし、 このようなことは絵空事であり、実際には生じなかった。物価上昇率に限ってみても、下図(東京新聞より)のように、物価は最初の2013年~2014年に最高時で1.5パーセントほど上昇しているが、これとて円安・ドル高による輸入品価格の高騰、そして消費増税によるものであり、「インフレターゲット」論の主張とは真逆に、物価上昇は庶民の財布のひもを堅くし、消費(実質)は減少し、物価上昇率もマイナスになった。すでに、この時点で「インフレターゲット」論も、「異次元の金融緩和」政策も終わっていたのである。
東京新聞、2015年7月31日より。
だが、政治生命のかかった安倍首相はもちろん、日銀も政策をやめず、約束をやぶって継続し、目標実施を6度も延期してきた。2016年には「マイナス金利」政策を実施している。
さて、問題は、これまでの金融政策(主に貨幣政策)が効果をあげなかったので、やめますといって済むわけではないという点にある。例えれば、体調不良だからといって薬を飲んできたけれど、「効かないから今日からやめます」といってただやめれば、服薬の場合はそれでもよいかもしれないが、金融政策の場合は、それで終わりというわけではないのと同じである。
さて、いわゆる「出口」(金融緩和の終了)問題といわれる問題があり、数々のリスクが指摘されてきた。
もちろんリスクは不確実なものであるから、「必ずこうなります」と言って指摘できる性格のものではない。が、リスクが存在するのは厳とした事実である。
そうしたリスクは、金融緩和政策の関係主体、日銀、市中銀行、政府のそれぞれにあるが、それを通じて経済全体に及ぶ。かりに日銀、銀行、GPIF、政府が危機的な状況に陥れば、日本経済が無傷では済まないことは、誰にでもわかるだろう。
「出口」(金融緩和政策の終了)がどのような出来事をもたらすかを考えるには、少し想像力が必要である。それはさしあたり、日銀が国債購入も、ETF等の株式投資をやめる、あるいは国債や株式を売却することと並んで、金利(日銀当座預金の金利)引き上げを行うと想定する。それらが何をもたらすか、である。周知のように、2016年1月に日銀は、「マイナス金利」を導入したが、市場経済で、国債の利回りはもちろん、日銀当座預金でも金利がゼロ、あるいはマイナスということは異常である。質的・量的な緩和の終了は、金利の引き上げにつながると想定しなければならない。
まず日銀であるが、少し金利が上がれば、たちまち日銀は赤字に陥る。というのは、金融緩和で市中銀行に供給された巨額のマネーは、日銀当座預金の勘定に積み上げられている(6月360兆円以上)。
仮にごくわずか、例えば 0.1 パーセントの金利上昇でも、36兆円の金利負担増につながる。日銀は債務超過の状態に陥り、その穴埋めを誰が行うのかという問題が生じる。債務超過とは、負債が資産を超える状態(マイナスの純資産)であり、企業にとっては危機的な状態である。
ちなみに、日銀は国有銀行ではないかと思っている人がたまにいるようだが、「銀行の銀行」、公的銀行であることは確かだが、民間銀行であり、株式(1億円)も発行している。
もしその穴埋めを銀行が行う場合は、企業等に対する貸付金利をいっそう引きあげざるを得ないだろう。まさか、市中銀行に預金している人に「マイナス金利」を課すわけにはいかないだろう。そんなことをすれば市中銀行発の金融大混乱をひきおこすに違いないし、社会的に許されないだろう。
一方、政府が穴埋めを行う場合には、結局、政府はそれを国民に租税負担の形で転嫁するしかない。しかし、政府にはそれ以上の大きな問題が生じることになる。というのは、日銀が政府の巨大な借金(国債)の引き受けをやめると、「市場」からもう借金を返せない(国債)を償還できないとみなされれば、新たな国債発行が不可能となり、金利の急騰、国債価格の低下、円の暴落、激しいインフレーションなど、経済的大混乱が生じる懸念がある。言うまでもなく、実体経済(生産、所得、雇用)にも大混乱が生じることになる。また国債を日銀に売却してきたとはいえ、市中銀行も保険会社もまだ大量の国債を持っている。国債価格が下がれば、損失が生まれ、こちらの経路からも混乱が生じる懸念がある。本当になれば、恐ろしい限りである。
こうした事態は現在のところ「懸念」にとどまっている。
しかし、これは次のことを明確に示している。
1、「異次元の金融緩和」は、いったんはじめてしまったら、簡単にはやめられないということである。麻薬中毒のようなものである。続ければ、身体をむしばんでゆく。といって、やめれば身体中を塗炭の苦しみが襲う。
2、それでも、こうした金融緩和政策(アベノミクス)が表面上何の問題もないかのように維持されているのは、情報の不完全性、経済現象の本質的な「不確実性」のためである。もし人々が完璧に正確な情報を手にし、それにもとづいて将来の姿を合理的に期待するならば、国債を保有することの危険性を知り、合理的に行動する(つまり、国債を購入することをやめ、保有する国債を売る)ことによって、問題が露呈するだろう。
しかし、確かに日銀も政府も、生身の人間(個人)と違って、永続的な組織であり、(多分)死ぬことはない。したがって(いま利子の問題を考えないとすると)政府や日銀を信頼して、借りる人さえいれば、借金を先送りすることができる。理論上(?)は、100年だろうが、1000年だろうが先送りすることができることになろう。ただし、どのような出来事がその信頼を失わせることになるかは不明である。周知のように、日本の戦前・戦時中の政府の赤字財政が破綻したのは、1945年の敗戦をきっかけとしていた。破綻をもたらすきっかけがどのようなものかを予測することはできない。
(この項目、続く)
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