2012年12月23日日曜日

転機となった1997年 2

 1991年の「複合不況」(平成不況)が日本の「失われた20年」の出発点だったとするならば、1997年頃はそれを決定づけた時期といえます。このことを示すために、前回は日本における一人あたりの雇用者報酬がこの年あたりから低下してきたと述べました。今日はまず、その事実を如実に示す図を掲げましょう。雇用者報酬の統計資料は、政府の「国民経済計算統計」からとっています。


 貨幣賃金(名目賃金)は、1997年にピークに達した後、低下しつづけています。また実質賃金(物価調整済み)は1995年〜1996年にピークに達してから徐々に低下してきました。実質賃金のほうの低下が穏やかなのは、1997年頃から始まったデフレーション(物価水準の持続的低下傾向)のためです。つまり貨幣賃金は急速に低下しましたが、物価水準が低下傾向にあるため、実質賃金の低下が穏やかになっているのです。
 ただし、言うまでもないことですが、勤労者の賃金所得がおしなべて低下したというわけではありません。むしろ非正規の低賃金労働者が増加したために、平均すると一人あたりの雇用者報酬が低下したというべきです。このことは、国税庁の民間企業の給与に関する調査などから明らかとなります(下図)。

 
 この図からは、1997年から2007年の10年間に相対的に高賃金の正規労働者の数が大きく減少し、低賃金の非正規労働者が大幅に増えていることがわかります。

 それでは、1997年頃に何があったのでしょうか? 多くの人は覚えていることと思いますが、橋本首相の「財政構造改革」に他なりません。
 上で示した賃金低下の始まりと財政構造改革は関連していたのでしょうか、それとも両者の符合は偶然の一致でしょうか? 私は偶然の一致ではなく、まさしく密接に関連していたと考えます。
 そのことを少しずつ説明して行きたいと思いますが、その前に、まず銀行の不良債権の金額を示すグラフを示しておきたいと思います。下図は、1993年から2003年における銀行の不良債権の比率を示すグラフです。この時期はまだ「不良債権」の統計上の定義が揺れており、一定ではありませんので、この図だけから不良債権の増減を判断することはできませんが、一定の傾向は明らかになります。

出典)清水克俊「1990年代の銀行行動と金融危機への政府の介入」(財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」2006年10月)。
 注)1993〜95年の不良債権は破綻先債権と延滞債権、1996〜97年は旧基準にもとづく公表不良債権(破綻先債権、延滞債権、金利等減免債権)、1998年以降は新基準のリスク管理債権。統計数値は、3月末の数字。

 出典)金融庁ホームページ、「金融再生法開示債権の状況等について」より作成。
注)統計数値は、3月末の数字。

 これらのグラフから見られるように、不良債権は1996年3月から1997年3月にかけていったん減少し、その後1998年3月にかけて急速に増加しています。しかし、1998年3月から2001年3月までは不良債権の額は安定的に推移しますが、21世紀に入り、2001年3月から2002年3月にもふたたび急増しています。その後、2002年3月から2006年3月に不良債権は、急速に減ってゆきます。政府は、2005年度をもって不良債権の「処理」が終了したと宣言しています。つまり、1990年代と2000年代の日本における不良債権の金額の変化を見ると、大きく2つの時期に分かれることに気づきます。第一の時期は、1997年3月〜2002年3月の5年間ほどの時期であり、第二の時期は2002年3月〜2006年3月の4年間ほどの時期です。

 さて、一体不良債権は、バブルが崩壊し複合不況の始まった1991年から数年経ってから何故急速に増加したのでしょうか? その理由の少なくとも一部は、橋本「財政構造改革」にあります。
 この点は次回に詳しく論じますが、今日は最後に一点だけ指摘しておきます。それは、1996年には、日本経済が長い「平成不況」から漸く抜け出し、人々がホッとしかけていたということです。1996年は、GDP成長率が3%近くに達し、失業率も低下の兆しを示していました。この年は、多くの企業にとっても一息つくことのできた年でした。産業によっても異なりますが、多くの企業は1991年以降資産デフレーションの環境の中で巨額のキャピタル・ロスを計上していました。そうした企業は、自己資本や当期の利潤を犠牲にしてキャピタル・ロスを補填しなければなりませんでしたが、長期不況の中で利潤率も著しくて以下していました。3%のGDP成長率は、企業にとっても所得(利潤)を拡大できるチャスを提供するものでした。(事実、景気の回復とともに、上記のように不良債権も減少しはじめていました。)ところが、橋本「財政構造改革」はそうした企業の期待をも打ち壊しました。1997年3月以降、日本経済はふたたび景気後退の局面に入ってゆきます。そして、その後もずっと続く日本経済の負のスパイラル的な連鎖がここに始まります。
 

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