生活保障賃金または最低賃金の引き上げはしばしば批判や反対運動に出会いますが、そうした反対・批判は一つには古典派の理論からなされます。古典派は、実質賃金率が上がるにつれ労働需要量(雇用量)は減り、労働供給量は増えると想定しているので、何らかの事情で実質賃金率が均衡水準より高くなると、失業(労働供給量ー労働需要量。ただし労働時間で計られる)が生じると、主張します。また古典派は、市場が均衡を達成するので、政府などが労働市場に介入することを批判します。つまり、市場の「自由」にまかせなさいというわけです。
例えば、あの有名なクルーグマンも最低賃金制には反対しています。
しかし、こうした古典派の労働市場論が現実はなれした奇妙な「理論」であることは、本ブログでも説明した通りです。
しかも、様々な実証研究は、古典派の想定と正反対に、(少なくもマクロ・レベルでは)賃金が上がるにつれ労働需要量は増加し、労働供給量は減少することさえ示しています。(米国のダグラス少佐、日本の元一橋大学教授江村氏などの研究など。モーリス・ドッブの『賃金論』を参照。)
もしそうだとすると、賃金を引き下げると、むしろ労働供給量の方が労働需要量より大きくなって、失業が拡大することになります。しかも、失業の拡大は、貨幣賃金をもっと引き下げるように作用するでしょう。すると、失業はもっと拡大することになります。そして、それは貨幣賃金をさらに引下げ、・・・と、賃金デフレーションのスパイラルが進行する危険性さえ認められることになります。
この想定があながち間違いでないことは、1997年以降の日本における貨幣賃金の低下、失業率の上昇、デフレーションが累積的に進行したことからもうかがわれます。
しかし、かつてケインズがしたように、経済学者は主流の「思想」の虜になっています。何といっても、彼らの頭には学生時代から労働経済学の講義で接した労働市場論が何の疑いもなく刷り込まれてきているのですから。
本当の学者ならば、少なくとの一度は疑いをもって自らの分析装置を検討しなければならないはずですが、そのようなことを考えたこともない人が多いのでしょう。経済学者の中には、ケインズの『一般理論』を呼んだこともない人が(しかも、「ケインズは死んだ」という人が)いるようです。ケインズを盲信しなさいとはいいませんが、恐ろしいことです。
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