2013年5月22日水曜日

奨学金を考える

 奨学金の返済が大きな社会問題となっています。
 大学や大学院を卒業した時点で、数百万円という巨額の借金。しかも、利子付きです。
 その上、きちんとした会社(ブラック企業ではない会社)に「人並みの生活を送ることのできる給与・労働条件」で就職できない人が増えています。それが深刻な問題になることは火を見るより明らかです。
 
 ちなみに、私も昔奨学生でした。しかし、昔は国立大学の授業料が月千円です。毎月の奨学金額(8000円)の8分の1に過ぎませんでした。その他にバイトで10,000万円ほどを稼いで、合計18,000円ほどが総収入。そこから、学寮にいた時は寮費が1000円ほどだったでしょうか。支出の最大項目は食費だったと思います。しかし、本も買い、アルコールもたまに飲むことができました。
 また返済時は石油危機によるハイ・インフレーション後だったこともあり、実質的な返済額は軽減されていました。
 思えば、古き良き時代(資本主義の黄金時代)の教育政策や経済状況の恩恵を受けた世代の一人だったと言えるでしょう。
 もちろん、私学に進学した場合は学費が結構高かったので、もっと大変だったに違いないと思います。
 
 いまはどうか? 授業料も高くなり、生活費もかなりかかります。もちろん、昔は4畳半、テレビ、冷蔵庫、クーラーの類いはいっさいなしでした。それに比べて、今は生活水準が上がっている(恵まれている)というシニア世代がいるかもしれません。しかし、人は社会的動物ですから、昔は昔、今は今、です。現在の学生に昔風の生活をしろと言う訳にはいきません。今の学生が昔風の生活をしなければならなくなったら、昔の学生が決して感じなかったような貧困を感じることでしょう。
 
 政権に就いたばかりの民主党は、若者の教育には金がかかるので、社会の負担で支出をしようという姿勢を示していました。それに反対する人も周辺にはいましたが、私は賛成でした。
 もちろん、若者に対して社会に依存して生きるべきだといのではありません。むしろ逆です。社会の恩恵を受けたのだから、学生時代にきちんと勉強し、卒業後は、職と所得を得、自立して社会を支援するような人になりなさい、という意味です。(福沢諭吉の『学問のすすめ』にもそのような趣旨が書かれていたような気がしますが、間違だったでしょうか。)
 
 あるいは、 

 自分の権利が守られていない状態にいる時、人は、他人の権利に思いを馳せるような余裕などない。


 教育の機会均等といいながら、有利子の貸与しか行なわず、卒業後はブラック企業以外に就職の道なし。これでは踏んだり蹴ったりです。

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