2013年5月16日木曜日

独り言

 経済というのは、ミクロ的な経済的事象が複雑に絡み合って成立している複雑系だ。ところが大学で教えられているミクロ経済学の理論もマクロ経済学の理論も諸要素を単純化した上で考えられた「仮想空間」を前提に組み立てられている「黒板経済学」のことが多い。新古典派の需要・供給による価格決定論、労働市場論、利子決定論しかり、規模に関する収穫逓減・費用逓増しかり、マネタリズム(貨幣数量説、自然失業率)、新ケインズ派のNAIRUしかり、利潤極大化の生産量決定論しかり。
 昔、1930年代初頭にケインズが『一般理論』を執筆したとき考えたのもそれだった。複雑な「経済社会の実相」は現実世界について学ばなければならない。
 労働市場論についていえば、雇用や失業を賃金だけから説明しようとするスタンス自体が間違っていることに気づかなければならない。もし経済学部の学生で、労働経済学で新古典派の労働市場論を教わったとき、おかしいと感じなければ、経済学研究を志すための素養・感性が欠けているといわざるをえないだろう。労働時間を「負の効用」としてしか捉えず、賃金を費用としてしか捉えないような経済学が事態を正しく把握できるわけがない。
 そういえば、1950年代にアイトマンとガスリーが企業調査を行なったとき、ある経営者(business)に「規模に関する収穫逓減」の正否を問うたところ、「どのような正気な経済学者」がそのように馬鹿げたことを考えたのかと言われたという。
 1990年代に米国企業を対象にS・Blinder、他が行なった調査でも同じ結果が出ている。しかし、そうした調査結果は主流の経済学者からは無視され、依然として大学では虚構の黒板経済学が教えられている。
 こんな状態では、経済学も役に立たないことがばれて、終わりかな。


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