1950年代中葉〜1973年頃の「資本主義の黄金時代」の根底にあったと考えられるフォーディズムについて、補足的な説明をします。
1 所得分配をめぐる歴史的妥協
フォーディズムの一つの側面として所得分配をめぐる歴史的妥協がありました。
国民生産は、所得分配面から見ると、賃金と利潤に分かれます。
Y=W+R
(利潤は、さらに経営者報酬、株主に対する配当、内部留保、利子・地代、法人税などに分かれますが、これについては省略します。)
国民生産=国民所得は、ある時点では一定ですが、労働生産性の成長や有効需要の拡大にともなって増加します。いま労働生産性が5%上昇し、それに伴って一人あたりの国民所得も5%上昇する場合を考えます。このとき、賃金と利潤は、どのように変化するでしょうか? (以下では説明を簡単にするために、特に断りのない限り、物価上昇率はゼロとします。)
もちろん賃金と利潤がいつも同じ率で増えるとは限りません。むしろ歴史的傾向としては利潤の方がより早いペースで増えるほうが普通でした。理論上はともかく、実際には賃金がほとんど上がらず、利潤だけが増えることもあったのです。
ところが、フォーディズムの時代(黄金時代)には、労働生産性の上昇に合わせて賃金が増加してゆきました。しかし、それには様々な歴史的条件(社会の雰囲気、法律、制度、経済状態など)が必要でした。
特に賃金が増えるためには、労働側の力が一定水準に達しているという条件が必要です。そして黄金時代には、そのための条件が存在しました。以下にそれらを列挙しておきます。
1 労働保護立法の制定(労働基準法、労働組合法など)
特に労働組合の承認、労働者の団体交渉権の承認、社会保障制度の整備
2 失業率の低下・完全雇用の達成
完全雇用(低失業率)の下では、労働側の交渉力が高まります。したがって以前は実現できなかった、賃金引き上げ交渉が可能となりました。
3 政治的条件(冷戦、民主化と社会民主政党の台頭など)
米ソ冷戦の中で、資本主義体制の正当化のためには、所得分配の平等化、賃金の引き上げの実現、完全雇用の達成などが必要でした。
ただし、企業は市場競争の条件の中で常に賃金を費用と考える傾向があるために、賃金の労働生産に応じた引き上げを好意をもって実現してきたわけではありません。むしろ、それはあくまで歴史的環境の中で行われた「妥協」だったというしかありません。(近年フランスで生まれた有力な理論「レギュラシオン理論」がフォーディズムを歴史的妥協の一制度的形態と見なすのはそのためです。)誤解のないように言いますが、私は企業家個人の思想・見解を問題としているのではありません。個人としてはどのような考えを持っていようと、企業者としては賃金は抑制するべき費用です。
そして、1970年代にこの歴史的妥協は崩壊しました。その証拠は、様々な統計からうかがうことができます。
1 失業率の上昇、完全雇用政策の放棄
2 所得分配の格差拡大
3 労働生産性の増加率よりはるかに低い賃金の引き上げ率
この3つの事実を示す統計は、これまでにも掲げましたが、これからも折に触れ掲載することになると思います。
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