次に、ガルブレイスが『悪意なき欺瞞』(*)で言及している「極めつきの欺瞞」と呼ぶ中央銀行制度(米国では、連邦制度理事会)をめぐる欺瞞を紹介することにします。
中央銀行の虚偽のシナリオ
しばしば金科玉条のようにされている金融政策上のスタンスがあります。それは次のように要約できます。
・景気後退の場合。中央銀行は、金融緩和(金利引下げ、買いオペによる貨幣供給)により、市中銀行が金利を引下げ、マネーサプライを増やすことが期待される。つまり、金利の引下げが、企業の借用を増やすことが期待されています。
・景気が加熱気味となる場合。中央銀行は金融引締め策(金利引き上げ、売りオペによる貨幣供給の縮小)によってマネーサプライを抑え、インフレ懸念を払拭するとされています。
これは多くの人によって正しいと考えられていますが、実際には教科書の中ではあり得ても、現実にはあり得ないシナリオだとガルブレイスは主張します。
このことは、私のブログでも説明しました。
ガルブレイスも指摘するように、それは現実や実務経験から生み出されたものでないことは確かです。これは私の補足ですが、19世紀のイギリスでは、このような考えは通貨学派に近いものがありましたが、それは金融の実務・実態に詳しい銀行学派から厳しく批判されました。19世紀の昔から、マネタリスト(貨幣数量説)と金融の実務家の間でマネーサプライの要因に関する論争があったことが注目されます。20世紀のイギリスでは、ケインズとその周辺の人々がその批判者となりました。実際、現実には、ケインズやカレツキの明らかにしたように、企業が投資するために銀行から借財するのは、将来の儲けが期待できるときだけです。
かくしてガルブレイスは結論します。実に簡潔にして要を得た名言です。
「金融政策が無効であることほど、歴史によって繰り返し証明されてきた経済法則は他に例がない。」
無為無策の歴史
ガルブレイスは、このことを示すために、第一次世界大戦から戦後にかけてのいくつかの事例を挙げていますが、ここでは省略します。ただし、別の所で、ガルブレイスが「紐で引っ張ることは出来るが、押すことはできない」と述べていることに注意しましょう。これは、1979年以降の極FRBの端な金融引締め策によって激しい景気後退が生じたことが示すように、景気を悪化させることは簡単だが、悪化した景気をよくすることは絶望的に難しいということによって例証されます。また、それは金融危機に見舞われた1990年代から現在にいたる日本経済を見れば、簡単に分かることです。
幻想に過ぎない中央銀行の役割
ガルブレイスの結論です。
われわれがなすべきことは、彼らの役割が無意味だということを理解した上で、その存在を「仕方ない」ものとして容認することしかない。
ガルブレイスが語るように、そろそろ金融政策という非本質的な領域から離れて、本質的な領域を問題とするべきでしょう。しかし、こう言うと、金融政策に利害を感じている人は、必死で反論するでしょうが、・・・。
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