雇用を確保するために、賃金を引き下げなければならないという人(エコノミストや政治家)がいます。
そのような人たちの主張に対して反論するもっともよい一つの方法は、どこまで下げれば失業がなくなるのですかと問う事でしょう。
もちろん具体的に答えることのできる人が一人でもいるとは思えません。そもそもマーシャリアンクロス(新古典派の労働市場論)では、均衡点にある賃金率は一つだけですが、現実には様々な賃金率が存在し、広範囲に分散しています。高い方を下げるのでしょうか? それとも低い方をもっと下げるのでしょうか? すべてを下げるのでしょうか?
人々に賃金の最底辺へのレースを強いる武器として使われているこの理論が実は矛盾だらけだということを思考実験で示しましょう。
*マーシャリアンクロスではまた、すべての人が質的に同じ労働をしており(!?)、同じ実質賃金率で働くことを理論の絶対的な前提条件とされています。それは前にも述べたように考えれば考えるほど不可思議な「理論」なのですが、ここではその点は置いておきましょう。
いま仮に百歩譲って、平均して10%だけ引き下げればよいという回答があったとしましょう。例えば平均して100(指数)の水準にあった実質賃金が90にまで引き下げられるとします。またそれによって失業率が(例えば)10%からゼロ%に低下したとします。このケースでは、実質賃金総額は、0.9×1.1=0.99(ほぼ1)に等しくなります。
さて、このとき貨幣賃金、商品価格や利潤はどのように変化するのでしょうか?
おそらくこの理論の提唱者は、一方では、貨幣賃金引下げとともにそれに比例して価格が低下するから商品に対する需要が増え、それに応じて生産が増え、失業者が減ると考えるのでしょう。つまり賃金だけでなく、物価も10%低下すると考え、そして生産物が(例えば)10%増加する、というわけです。この場合には、もちろん利潤総額は不変です。
しかし、奇妙ではありませんか!? もし貨幣賃金率が10%低下し、物価が10%低下したら実質賃金率はまったく低下していないことになります。それでは、新古典派の労働市場論は役割を果たしていません。
そこで次に、貨幣賃金率は低下するが、物価はそのままに固定することによって、実質賃金率を引き下げる方法を考えます。(上の例も、後者も多くの考えうるケースの一つですが、その他の多くのケースを考えるときの基準となりえます。すべてのケースは、この2つの組み合わせで説明されます。)この場合、物価は変化せずに、そのままです。(もちろん、利潤は増えます。)しかし、このケースでは消費者や投資家(企業)が何故生産を拡大しうるのかがまったく理解できないことになります。何故ならば、物価が変化していないのですから。その上、もし生産が増えないならば、利潤が増加したとしても賃金が同じだけ低下するだけであり、所得総額は同じになります。
こんな中学生でも理解できることを「正気の経済学者」がどうして理解できないのでしょうか? ここでもバカと天才は紙一重と言わざるを得ません。(上のような説明は、もう少し洗練された方法で、ケインズも提示しています。)
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