実は、どんなにつまらない事に思えても、「規模に関する収穫逓減」と「限界効用の逓減」(それに後で触れる「労働の限界不効用の逓増」)といった前提が否定されると、新古典派の理論体系はガラガラと崩壊してしまいます。つまり、これらの諸前提は、それほど重要なものなのです。
そこで、新古典派の経済学者はそれを守ろうとして必死に努力します。
あるときは批判を無視します。そして、批判される心配がないところ(おとなしい学生のいる教室、批判者のいないマスコミ、教科書の中など)では、その見解を主張します。
また例えば西村和雄氏のように、「新古典派を捨てたら、経済学は科学でなくなる」と言う人もいます。(『複雑系入門』、NTT出版、1998年)
しかし、彼の言う「科学」とは一体なんでしょうか?
実は、そのことを理解するためには次のような歴史を知る必要があります。
その昔、経済学は political economyと呼ばれていました。これは古代ギリシャのアリストテレスのようにオイコス(イエ)を営むための家政学ではなく、近代の市民社会=政治的社会全体の経済学であるという意味合いを持っていました。しかし、19世紀末に経済学はeconomics になりました。この言葉の語尾(cs)を見てください。これは物理学(phisics)や数学(mathematics)を意識して作られたことを暗示しています。
古典物理学では、距離、速度、加速度、質量、温度、抵抗、電流、電圧、などが計測され、数学を使ってそれらの関係、つまり諸法則が示されます。経済学者がそれにあこがれをいだき、生産量、価格、所得、労働量、資本などの諸量の関係を数学的に取り扱いたいと熱望したふしがあります。しかも、その際、彼らは社会法則を自然法則と同じものとして扱いたいと欲したふしがあります。それがアダム・スミスなどの古典派経済学者と19世紀以降の新古典派の経済学者の大きな相違です。新古典派は、資本主義経済の中で人々が行う諸行動を自然法則として記述しようとしたのです。
しかも、ここにもう一つ重要な特徴点が加わります。それは資本主義経済を歴史的なものとしてではなく、自然的なものとする限り、彼らは現実の「企業家経済」を容認する道を選ぶしかなかったことです。それはとりもなおさず、資本主義経済の支配的階層・階級の利害を容認することを意味します。さらに、彼らが教える相手(学生)は、富裕者階級出身の子弟だったことも見逃せません。
マーシャルのように「暖かい心と冷静な頭脳」を持つように言い、ロンドンのイーストエンドの貧困に眼を向けさせようとした良心的な学者もいましたが、そのような人は少数派だったに過ぎません。経済学の堕落と、「裸の王様」化が進展しました。
しかし、イギリス国内では在野の経済学者として資本主義の歴史性を主張したマルクスがおり、その社会的影響力は決して無視できませんでした。またマルクス以外にもウエッブ夫妻のような人々(産業民主制にもとづく社会改良派)がいました。新古典派は、それらの人々からの批判に常にさらされていました。20世紀前半にケインズや、カレツキ、ロビンソン、カルドアなどが現れる土壌が存在したわけです。
さて、どんなに高等数学を使い、現代の経済を自然法則的に扱うことができるというポーズをとったところで、それの扱う対象が現実離れした「仮想空間」である限り、経済学は「裸の王様」であることを免れません。近代の科学、特に自然科学は、物理学であれ化学であれ、現実に即した諸前提から出発して学問体系を組み立てています。なぜ、経済学だけ現実離れした諸前提にもとづいて理論を組み立てることが許されるのでしょうか。
「科学」を自称する新古典派経済学の「裸の王様」ぶりをさらにみてゆくことにします。
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