2014年3月8日土曜日

地球温暖化詐欺 BBC 1

 地球温暖化(global warming)は自然科学上の大問題となっていますが、それにとどまらず社会科学上の大問題ともなっています。

 そもそも地球温暖化とは何でしょうか?
 全地球的な平均気温の上昇のことであり、そこには原理上海水温の上昇や陸地気温の上昇も含まれるはずですが、主に問題となっているのは大気の平均気温の上昇です。
 ここで、あらぬ誤解を避け、問題をきちんと理解するためには、出発点で少なくとも次の点に留意することが必要となります。
 1)地球温暖化とは、全地球的な平均気温の上昇を意味しており、地域的・局所的な気温変化とは区別しなければなりません。例えば19世紀から21世紀にかけて人口の集中する都市部では、局所的に平均気温が(例えば摂氏3度も)上がりました。それは「ヒートアイランド」現象などと呼ばれていますが、地球温暖化ではありません。その他に様々な事情により地球の様々な地域が様々な温度変化を経験していますが、それらを平均した温度の上昇が地球温暖化といわれるものです。したがって原理上、地球温暖化を事実として示すためには、①地球上の全地域の経年温度変化を調べ、その平均値を計算するか、②(それが不可能なので)代表的な地域を選んで、温度変化を調べ、適切な方法で平均値を計算することになります。
 実際には、温度計が発明・実用化されてからまだ150年ほどしか経過しておらず、しかも、主に計測地点が都市部に集まる傾向があったため、きちんとした計測値を得ることはかなり難しい仕事となります。
 2)世に地球温暖化が問題とされている理由の一つは、19世紀の産業革命以来、特に20世紀になってから大量に化石燃料が燃やされ、二酸化炭素が大気中に放出されてきたという事情と関係しています。私は自然科学者ではないので、基礎的な知識の多くを自然科学の研究成果に負うしかありませんが、その一つは、二酸化炭素が「温室効果ガス」(greenhouse effect gas)だというものです。そのような効果を持つ物質としては、二酸化炭素の他に、水蒸気(水)、メタンなどがあるようですが、それらに共通しているのは、昔化学の時間に習ったように、原子が多くの「手」で結びついて分子を構成しているという点です。例えば二酸化炭素(CO2)は、炭素が二本の手で酸素と結びついており、水蒸気(水、H2O)は酸素が二つの手で水素と結びついています。
 そこで次の問題は、現在問題となっている地球温暖化が二酸化炭素という「人為的な」温室効果ガスの大気への放出によるものか否かという点にあります。
 もちろん、二酸化炭素であれ何であれ温室効果ガスが増えれば、温暖化が生じるのではないかと考えられますから、この点から見れば、「人為的な」二酸化炭素の増加が地球温暖化を起こして来たことは間違いないと言えるかもしれません。
 しかし、それほど簡単ではありません。というのは、大気中の温室効果ガスとしては、二酸化炭素はごくわずかであり、ほとんどは水蒸気だからです(これも自然科学者からの教示によります)。地球大気に対する比率で言えば、二酸化炭素は0.032%ほどであり、温室効果ガスの中では、水蒸気が約90%に対して、二酸化炭素は10%以下です。したがって地球温暖化が生じているとしても、それが人為的な二酸化炭素の放出によるものであるかどうかが、大きな問題となってきます。
 この問題は、地球気温に影響を与える要因は、二酸化炭素の増減しかないのかという質問に結びついてきます。そこで、近代以前の気温変化が問題となってきます。
 3)地球の気温が過去の時代において歴史的にどのように変化してきたかを調べる学問分野があります。これは大別して、いわば自然科学的に行う方法と、文献学的に行う方法があります。
 前者は、樹木の年輪や古い時代にできた氷の中に閉じ込められている物質(二酸化炭素など)を調べる方法などです。なお、これについても私は素人であり、様々な研究者の研究成果をそのものとして受け取ることしかできません。
 一方、後者は過去の文書(新聞、日記、その他の記事)から各地域の気温に関連する情報を集め、推測するという方法です。有名な例では、例えばグリーンランドが現在では、氷に覆われているけれども、ヨーロッパ中世の温暖期には氷のない緑の地(グリーンランド)であり、バイキングが移住して住んでいたと言われています。ところが、中世温暖期が終わり、グリーンランドがふたたび厚い氷に覆われ始めたため、バイキングは故国に戻らなければならなくなったというような事例があります。17世紀には、ロンドンを流れるテムズ河が凍ってしまい、人々が氷上で遊ぶことができるほどだったということもよく知られています。
 またこれもよく指摘されることですが、日本では、第二次世界大戦後に寒冷化が顕著となり、1970年代にはもっと寒冷化が進行することが心配されていました。
 なお、戦時中の1940年代初頭に日本の各地域が暖冬を経験していたことは、本ブログでもエピソード風に紹介しました。
 こうした歴史的な気温変化をもたらしたのが何だったか、これについては(地球の外部の要因としては)太陽活動の影響、太陽と地球の位置関係の微妙な変化などが指摘されており、(地球内部の要因としては)大気の複雑な変化などが指摘されていますが、これについては、後で詳しく触れることにします。またそれがどの地域で、どのようなものであったのかも後に詳しく触れることにしたいと思います。
 ともかく、このように人類が大量の二酸化炭素を大気中に放出していない過去においても地球の各地(といってもかなり広域的です)ではかなり激しい気温変化が見られていることが知られています。
 したがって人為的な地球温暖化は一つの重要な「仮説」(hypothesis)としては無視できない重要なものですが、決して疑問の余地なく解明され尽くした不動の真理だというわけではありません。私自身は、科学者としての良心・良識にもとづいた研究であれば、人為的温暖化説に肯定的な立場であれ、否定的な立場であれ、尊重したいと思っています。この立場は貫徹したいと思います。

 しかし、どうもきれいごとだけ言って済ますわけにもいかないようにも思います。
 というのは、地球温暖化という環境問題が政治問題となり、ビジネスにまでなっている気配があるからです。私が本ブログで、地球温暖化問題を取り上げ、タイトルを「地球温暖化詐欺」としたのもそのためです。

 BBCが地球温暖化詐欺(The great global warming swindle)という番組を制作したのは、もう数年前のことです。私は、それまで、近代以前にも地球気温が周期的に変化してきたという事実(多分)は知っていましたが、同時に「人為的(二酸化炭素)地球温暖化」説をも何の疑問もなく信じていました。しかし、この番組がきっかけとなり、また「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書をめぐる疑惑(いわゆるクライメートゲート事件)に関する何冊かの本を読んでから、考えを変えました。
 また昔からこの問題に取り組んでいた一人の自然科学者(名古屋大学名誉教授ですが、名前は伏せておきます)から、「人為的地球温暖化」説は決して科学的に証明されてはいないんです、という言葉を1990年代に聞いたことを思い出しました。その先生は温厚な人であり、人為的温暖化説を否定するとは言いませんでしたし、資源保護や地球環境(気温だけではない)の立場から化石燃料を浪費することは好ましくないとも話されていました。しかし、自然科学も(経済学などの社会科学同様)きわめて複雑な科学であり、簡単ではないとも言われていました。<人為的温暖化は疑いない、それで決まり>といった態度は科学的な態度ではないということだったように記憶しています。

 さて、このような訳で、複雑な科学の一つを代表する地球気温学について、科学的な良心をもった研究に対しては尊敬の念を表わしたいと思います。しかし、それがビジネス化したり、政治化したり、特にデータの改竄などの「疑惑」が生じているとなると話はまったく別です。
 本来研究者は、真理を明らかにするために国家(政府)から資金を受け取り、研究を行うわけですが、それが逆転して資金を受け取るために政治が求める結論を積極的に求めるとなれば、科学の死に他なりません。
 しかも、すでに高度の経済発展を成し遂げた「先進国」ではともかく、途上国にとっては化石燃料の禁止的ともいえる措置は死活問題です。

 本当に疑惑、詐欺と呼ばれるようなことが生じているのでしょうか? 
 かつてケインズは、多くの経済学者が現実離れした研究成果を出す理由を、「思想」(信条・信仰)と「権益」(vested interest)によって説明しようとしましたが、私もそれと同じ精神から当該問題について出来るだけ追求して見たいと思います。
 繰り返しますが、私は何らかの気象学上の結論を出そうとしているわけではありません。ただ何があっても人為的地球温暖化を信じるというタイプの人の意見を変えることは到底できないと思いますが、かつての私のようにそのように信じこんでいたという人には大いに意味があるかもしれません。

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