E・トッド氏の『世界の多様性』(藤原書店、2008年)は、世界のすべての家族・相続類型を論じた興味深い著書・大作であり、巻末に家族類型の地理的分布図を示していますが、細かなところではいくつかの修正が必要なように思います。
その一つはいわゆるバルト地域です。この地域は、19世紀末には帝政ロシアの版図に含まれており、当時の行政区画では、バルト諸県(リーフラント、エストラント、クールラント)に分かれていました。また現在のリトアニアに編入されている範囲はおおむね(ということは完全には一致しないということですが)帝政ロシアのリトアニアに対応していました。このリトアニア地域には、バルト海に面したコヴノ県(カウナス県)とそこから内陸に向かういくつかの県が含まれていました。コヴノ県は、別名で言語によってサモギティア(Samogitia)とか、シャーマイテン、ジェマイティア(ドイツ語:Schamaiten、リトアニア語:Jemaitia)とも呼ばれていた地域です。
さて、問題となるのは、以上のうち、バルト諸県からコヴノ県にかけての沿バルト海(ドイツでは東海)地域です。ここで支配的だったのは、外婚的な共同体家族(均分相続制を伴う)ではありませんでした。
そこで支配的だったのは、ドイツの多くの地域で見られたような直系家族(一子相続制を伴う)でした。ただし、バルト諸県やコヴノ県からヴィリニュース県を経て内陸に向かうと状況は大きくことなってきます。これらの内陸諸県では、リトアニア諸県でもしだいに、また白ロシアでは決定的に支配的な家族は複合的な共同体家族の様相を強めてゆき、また相続も均分相続になります。
このことは、リトアニアと白ロシアの地域については、ドイツ人の社会史家、ヴェルナー・コンツェ氏のモノグラフィー(東方研究)で疑問の余地なく明らかにされています。
Werner Conze, Agrarverfassung und Bevolkerung inLitauen und Weissrussland, Bd. 1 (1940).
おそらくトッド氏は、英語文献とフランス語文献を中心に検討され、ドイツ語とロシア語の文献については精査されなかったためと思われます。しかし、別の場所(372〜373ページ)では、ロシア帝国内でバルト海地域からのロシア内陸部への文化的テイクオフについて触れており、バルト海沿岸地域が高い識字率で注目されることなど、文化的・経済的に特別な位置にあったことは認めており、非常に興味を引きます。
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