ある暗闇の街角。
ちょうど街灯のある下で一人の男が何かを探しているらしく、腰を曲げて探している。
通りがかりの人が、
「あなたは何を探しているのですか」と聞くと、
男は、
「実は大切なカギを落としたのです。そのカギを探しています」と答える。
通りがかりの人がさらに、
「落としたところはこの辺なのですか」と聞くと、
男は、
「それはわからないのです」と答える。
通りがかりの人、
「では、なぜここで探しているのですか?」
男、
「ここが明るいからです。」
さて、このように答えたのは、経済学者であった。
この話はわりあい流布していて、例えば都留重人の『経済の常識と非常識』(岩波書店、1987年)にも載っています。
この話がいわんとしていることはもちろん明らかです。解明するべきある問題(主題、テーマ)があるとき、経済学者はすでに知られている概念やトゥール(だけ)を用いて分析し、説明することが往々にしてあり、しかし、それがポイントをついているかは保証の限りではない。まあ、そんなところでしょうか。
例えば雇用量(労働需要)の変化は、本当は、リアルタイムの時間の経過とともに労働生産性や産出量がどのように変わるかを説明して始めて理解できるものですが、(新)古典派の労働市場論では、短期(つまり無時間)の空間の中で実質賃金率と労働供給・労働需要(時間)がどのように関係しているかという静学理論を用いて説明がなされています。これなどは、物理学で言えば、静力学でロケットや天体の軌道を計算しようとするようなもので、まったく科学的とはいえません。しかし、経済学では、そのようなことが行われているわけです。つまり、「ここが明るいから探しているのです。」
もちろん、経済学がいつまでもこんな非科学的なことをしていたら、そのうち多くの人に知られてしまいます。
ジョーン・ロビンソンが言ったように、「経済学者に騙されないために経済学を研究する」というくらいの精神を持った人がもっと現れることを期待するしかありません。
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