前回、社会全体の生産額(付加価値額)あるいは所得額が(個人経営を考えないと)賃金プラス利潤(W+R)に等しくなることを示した。
したがってGDP(国内粗生産)や国民所得(National Income)が利潤も賃金も増えずに増加することはありえない。また、現実の経済的メカニズムを考えると、賃金の増加なしに、利潤だけが増えることは考えずらい(まずない)。
よく、「景気が回復してくれば、(例えば)1年後か2年後に賃金も増えてくるでしょう」などと言うエコノミストがいた(現在でもいるかもしれない)が、その人たちは、まず利潤が十分に増えたあとで、次に賃金が増えるとでも考えているのだろうか? そのようなことを頭の中で想定することは勝手だが、現実にはほぼありえない。
論より証拠。アメリカ合衆国と日本の統計を比べれば、そのことがわかるだろう。
図は、国民粗所得の最も重要な構成部分をなす雇用者報酬(賃金の他に経営者報酬が含まれる)、営業純利潤、固定資本減耗(減価償却費)を示す。米国では賃金も粗利潤も1994年から現在まで拡大しているのがわかる。(ただし、2008年から2009年にかけては金融崩壊のインパクトによりいずれも若干低下している。)
これに対して、日本では、1997年から現在(図では2013年まで)雇用者報酬は低下してきた。(2014年、2015年も実質賃金率は低下している。)ただし、利潤は、大企業による賃金圧縮のために、若干増加ぎみだが、かといってそれほど増えているわけではない。
出典)BEA(米国)および国民経済計算統計(日本、財務省)から作成
いったい、この差はどこから来るのか?
経済学の常識的知識から言えば、有効需要が増えないから、消費財の生産が増えず、したがって企業の設備投資が行なわれず、機械・設備の生産がふるわないことになろう。しかし、なぜ消費支出が増えないかといえば、雇用者報酬が増えず、家計の可処分所得が増えないし、その上、現在日本国民の多くは将来不安でいっぱいである。現役世代は、所得を抑ええ貯蓄しようとし、高齢者も欲しいものがあっても、貯蓄を思いっきり消費にまわすことはできない。
要するに<賃金抑制><将来不安><消費低迷>という景気の悪循環の存在が背景にあることは疑いない。
多くの人は忘れているかもしれないが、1995年、経団連は『新時代の日本的経営』なる雇用戦略を打ち出し、非正規雇用の拡大、任期制・能力給によって賃金圧縮をはかることを宣言した。1997年の橋本金融危機がそれを実現する上で大きな力となった。政府も構造改革とか、雇用の柔軟化とか口当たりのいいことを言いながら、低賃金労働の拡大に大いに貢献した。
しかも、藻谷浩介氏が指摘しているように、1997年頃は、生産年齢人口の持続的低下が生じはじめた時期である。つまり、賃金率が一定不変でも労働者(国民の多数)の可処分所得が減るのに、大企業が中心となって賃金圧縮を行なっているのでは、なおさらである。そして、2007年前後についに団塊の世代が60歳を越えていっせいに退職した。それは個別企業にとっては人件費の大幅縮小を実現するよい機会だったかもしれないが、日本経済全体では、可処分所得を大幅に減らすことになり、いっそう国内需要を中心にGDPを縮小した。
アベクロノミクスは、この問題に根本的に取り組んだか?
ノーである。問題は第一の矢(異次元の金融緩和)などとは何の関係もない。それに人々に不安を与える第二の矢、第三の矢は毒矢である。最近は、菅氏のように女性に出産を強要するような発言もある。
現在、必要なことは、人々の将来不安をなくす、あるいはせめて出来るだけ軽減することである。また企業も人口減少社会でやみくもに利潤(配当、内部留保など)を増やそうとするのではなく、労働生産性の上昇にふさわしい賃金の引き上げを実施するべきである。もちろん、最低賃金の引き上げ、「同一労働同一賃金」の実現(嫌韓の右翼には刺激的な言説かもしれないが、日本と韓国はきわめて不平等だという点で同じである)、フルタイム雇用を希望している人が正規雇用に移ることのできる制度改革、子供を育て易い環境の整備、などが必要である。それは社会全体にとって好ましい結果をもたらす。
とりわけ賃金を引き上げることが経済にとって好ましい影響を与えることは、世界の多くのまともな経済学者によって明らかにされている。
例えばMarc Lavoie(カナダ)とStockhammer(トルコ)の『賃金主導型成長』(ILO, 2014)は、賃金を抑制する経済が全体といていかに悲惨な結果をもたらすか、反対に賃金を増やす経済がいかによい経済発展をもたらすかを実証的に示している。現在の日本が直面している問題の根本を理解しなければならない。
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