先のブログでも書いたが、資本と労働が分離している現代の経済体制では、資本(大企業、経営者、株主)の「力」は強力であるが、個々の労働者はその大企業体制の前に無力である。
しかも、企業は「競争」を理由に(もちろん、その競争が現実のものである場合もあるが、単なる「泣き」や「脅し」の場合もある)、労働条件の引き下げ(あるいは引き上げの拒否)を強要する。さらに政府がそれに同調して雇用の柔軟化(労働市場の規制緩和)を押し進めている。
近年、「ワタミ」「ユニクロ」などブラック企業が横行しているのは、こうした状況のためである。
したがって、働く人々が安心して働き、住むことのできる社会をつくるためには、労働側に「対抗力」(アメリカの伝説的な経済学者ジョン・ガルブレイスの言葉)をつけなければならない。
対抗力は、完全雇用の実現、最低賃金の引き上げ、失業保険制度の充実、解雇規制(の撤廃反するたたかい)、低賃金・非正規雇用者の待遇改善、そうじて労働保護立法やそのための制度の拡充によって実現される。
このように言うと、必ず次のような反論が出てくるだろう。
日本の企業は「競争」の中で苦しんでいる。労働条件の改善は、企業の人件費を引き上げ、競争力をなくす、と。
しかし、これこそが根拠のない主張である。
1)国内では、すべての企業が従う普遍的なルール(規制)をしけば、企業はそれに従うだけであり、競争上の不利益はない。むしろ、労働条件を下げれば、その下げた条件で企業活動を行なう企業、ブラック企業が出現し、それは経済社会を崩壊させる。人口ももっと減るだろう。企業はお互いの首を絞め合うことになる。
2)対外的にも、人件費の高い国がひどい経済状態に陥ることはない。豊かな国は、消費も投資も拡大し、利潤が増加する。したがって輸入も輸出も増加する。対内直接投資額も増える。その一例はドイツである。
近視眼的には労働条件を引き下げることが国際競争にかなうように見えるかもしれないが、事実は逆である。日本のひどい経済状態は労働条件の低下に起因している。労働側の「対抗力」を!。これが近年の保守政治に対する代替案に他ならない。
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