多くの人は、普通常識的に、費用と所得とはまったく異なるものと考えている(もののようである)。
確かにある意味で両者が異なることは事実である。例えば、A氏が1000円の費用をかけてモノを生産し、1500円で売った場合、1500円ー1000円=500円がA氏の所得となり、1000円が費用である。つまり常識的には、費用と所得はまったく別物である。また費用を節約すれば(圧縮すれば)、所得が増えるという関係も正しい。(ただし、これはその他の条件が等しいならばという条件つきである。)
しかし、視点を変えて、今度は、例えば B 氏が A 氏から1500円でモノを買う場合を見てみる。この場合、B 氏にとっては1500円は費用以外の何物でもない。つまり購入したモノが消費財であれば、生活のための費用であり、別のモノを生産するために買った原材料ならば、生産費の範疇に入ることになる。
また A 氏に1000円のモノを売った諸氏( C 氏、D 氏など)を見ると、彼らは、そのモノを生産するためにかかった費用(例えば400円)を超える部分(600円)を所得として実現している。またC氏、D氏にモノを売った別の諸氏も同様である。この連鎖はずっと続く。
こうしたことは、社会全体では、費用は所得に完全に等しいことを意味している。ただし、その際、ある人にとっての所得が別の人にとって費用となることは言うまでもない。
この事実は次のようなことを意味する。
社会全体では、費用を節約し圧縮するということは、所得を圧縮することを意味する。「蜂の寓話」ではないが、例えば、皆が節約して珈琲屋でコーヒーを飲まなくなれば(コーヒーの費用をゼロにすれば)、珈琲屋の売上げはゼロになり、店は破産する。他の産業でも同じである。会社が経費(費用!)を節約すれば、その節約分だけ、他の企業が売上げを減らす。
また政府が土木事業の費用をゼロにし、支出を完全にやめれば、建設会社などはその分の所得を減らし、苦しい経営状態に陥る。同じことは、もちろん教育、ヘルスケア、社会保障(年金)、軍事・警察、一般行政、その他、どのような分野にも当てはまる。
だから例えば政府が軍事費(武器購入費)を削れば、軍事企業(およびそれらとつながりのある企業)が売上げ・所得を減らし、軍事費を増やせば軍事企業等が売上げと所得を増やすことになる。
また政府が介護労働者への支払いにあてる費用を削減すれば、介護労働者の所得が低下し、増やせば介護労働者の所得が増加する。前者(所得低下)の場合には、結局、公的負担(費用)の減少分を個人が負担増によって補わなければ、介護事業が成立しなくなるであろう。そこで、個人が費用を負担しなければならなくなり、個人負担が介護事業者・労働者の所得(利潤・賃金)を構成するようになる。
さらに企業と労働者の関係についていえば、企業が人件費を減らせば減らすほど、労働者が受け取る賃金(所得)は減少してゆく。その究極的な点は、人件費(費用)=賃金(所得)が社会を崩壊させるような水準になること(「ボトムへの競争」)である。
もちろん、逆も成立し、会社のボスたち(CEOsなど)が高給(高所得)を得ているということ、あるいは企業が株主の巨額の配当(所得)を分配することは、それだけ社会的に巨額の費用がかかることを意味している。しかし、何故か、このことを大きな声で主張する人は誰もいない。通常、聞こえてくるのは、従業員の賃金(人件費)が高いというボスたちの大合唱である。この大合唱は、ある時には(競争が激しく、苦しいという)「泣き」、別の時には(費用が高いから外国へ逃げるという)「脅し」の歌声を伴う。
事はこのように関連している。個々の経済主体(家計、個人、企業、政府)が費用を節約さえすれば、社会全体でもムダをはぶくことができ、所得を増やすことができるというのは、まったくの嘘である。
繰り返すと、個々の経済主体にとっては、<所得=付加価値=売上高ー費用>が成立し、費用イコール所得ではない。しかしながら、社会全体では、費用イコール所得である。
ただし、言うまでもなく、この等式は、所得分配のことについては何も語っていない。所得分配は、政府の働き・機能を除けば、市場に委ねられている。そして、むきだしの「自由市場」では、力のある者(従業員に対する企業、中小企業に対する大企業など)がより多くの所得を実現するという明確な傾向がある。1980年代以降の米英を中心とする新自由主義政策の中で、「対抗力」(countervailing power)が奪われ、所得格差が拡大してきたのは決して偶然ではない。
以上のことは、現実を直視する経済学にとってはABCだが、ケインズも嘆いたように、必ずしも社会的常識となっていない。ともあれ、私たちは経済事象を一面的にではなく、総合的に見なければ、正確に理解したことにならないことは確かである。
1)社会全体でみた場合、費用=所得であるという関係は、グローバル経済でも言えることなのでしょうね!2)費用=所得として、所得分配の内、利益・利潤が発生する正当性(社会の発展に寄与するということ)は、どのように理屈がつけられるであろうか?3)資本が増大し、利益が生まれない(企業でいうとROA/ROEがゼロとなる)とき、所得分配をめうるコンフリクトは、どうなるのであろうか?
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