2015年11月1日日曜日

「共生」(symbiosis)関係と歴史的妥協 労使関係の歴史的概観

 「共生」という言葉(term)がしばしば使われる。この言葉は二つの起源を持つように思われる。(ただし、共通する点も多いように思われる。)
 第一は、「共に生きる」という表現に示されるように、共生は、人々が平和的に恊働しつつ生きるという倫理的な意味合いをもって語られる。これは例えば明治・大正時代の浄土宗の僧侶、椎尾弁匡の「事事無碍の法界縁起」という仏教思想にもとづく「ともいき」の思想・運動に通じる。縁起というのは、すべての事象は、それ自体として他の事象から独立して存在する実体(すなわち自性、self-ness)ではありえず、むしろ相互に依存しあって生起している(dependent-rising)(したがってものごとの境界は相互に溶け合っている)という意味のようである。この相互依存性の思想は、現代の経済学、現実世界を理解する上でも重要であろう。現在でも主流派の伝統的経済学(新古典派)は、社会(他人)と無関係に自己の「効用」の極大化を行動原理とするという原子論的個人主義の思想に立脚しており、この非現実的人間観から抜け出すことができないでいる。しかし、仏教の認識論は、すでに以前からそれを超越していたといえよう。
 第二に、生物学の「共生」(symbiosis)であり、これも語源的には、共(sym)+生(biosis)である。しかし、生物学でいう共生は、上記の共生とは少し異なり、異なった種類の生物が生命を維持してゆく上で、本質的に、何らかの関係を持つことを前提としているという意味合いを持つようである。それは相互に利益を与え合う「共利共生」のこともありうるが、一方が他方から利益を受けるだけの「片利共生」のこともありうる。ここでは紹介できないが、もっと多様な相互関係がありそうである。だが、おしなべて言えば、生物学上の共生は、異なった種類の生物相互の「妥協」(compromise)を前提とするようである。ラテン語の元々の意味では、妥協とは「相互約束」。これは、結局、自分が理想とし、他人に要求する高い要求水準を、相手の存在を考慮し(相手も自分に高い要求水準を要求するのであるから)、引き下げることを意味する。この種の共生は、現実の経済社会でも頻繁に見られることである。
 現実の経済社会では、妥協は常に見られた。例えば、人々を雇用する企業者は、労働者が勤勉に長時間の低賃金労働を提供することを求めるか、少なくともそれに大きな利益を感じる。しかし、雇われる側の利益と要求はその正反対(短時間労働、高労働条件)である。もしそれぞれがお互いの利益を思う存分主張すれば、紛争は果てしなく続き、終わることがない。企業者と労働者の「共生」は、常に何らかの「妥協」点を見いだす。
 ただし、この妥協は歴史的に常に同じというわけではなかった。そこには、両者の力関係の変化があり、そうした力(forces)に影響を与える歴史的諸条件があったからである。
 きわめてラフに描くと、マルクス・ヴェブレン・ケインズ、および戦後の経済学者の描いた当該事象の妥協の歴史的な変遷は次のようになるだろう。
 17世紀。今日の意味での、企業者経営は十全には発展していなかった。存在したのは、広範な独立職人の手工業、手職である。そこで、例えばジョン・ロックは、私有財産権を<自己労働の産み出した果実(生産物)を正当に自分のものとする権利(私有権)>という思想によって正当化した。彼はまた政治的自由と私有財産との強い関係を発見し唱導した。これはその後の社会思想、そして社会自体のありかたに大きく影響した。
 18世紀。しかし、産業革命の前夜から初期にかけて、歴史上、はじめて賃金を支払われて他人(企業者)のために働く労働者が広範に出現する。これは、ジョン・ロックの思想が前提としたのとは異なる事態である。これに対して18世紀の法律家たちは「有害にも既得権と莫大な財産との神聖化に捻じ曲げた」(ケインズ)。この時代の(イングランドの)労働法は、団結禁止法(コモンロー)と少しのちの主従法(制定法)であり、それは<個人契約かつ自由であるべき>とされた労働市場(だけではないが)に対する団体(労働組合、企業者団体)の介入を禁止し、違反には厳罰(禁固3ヶ月)をもって望んだ。しかし、それが実際には主人(経営者)の大きな力の前に労働側の無力を意味したことは、アダム・スミス『諸国民の富』(1776年)が示す通りである。
 19世紀。この状態に対する本格的な批判は、マルクスによって行なわれた。彼は、私有財産制度がジョン・ロックの時代のものとは本質的に異なっており、自己労働にもとづく所有から<資本家的領有>(企業者による巨額の利潤取得)へと転回している事実を発見し、批判した。マルクスの批判は、この領有の転回によって圧倒的多数の人々(労働者)が個人の自由を失っていることの告発だった。(今日、このマルクス本来の意図は忘れ去られており、あたかもマルクスがソ連型の国家社会主義の創設者であるように語られている。)しかし、19世紀には企業の巨大化(独占化)はいっそう進み、賃金の抑制・圧縮と利潤シェアーの拡大は持続した。(これについては、経済史家の明らかにした様々な所得分配データを参照することができる。)
 20世紀。31年戦争(第一次世界大戦〜第二次世界大戦)ののち、事情は大きく変化した。戦争のインパクト、社会主義理念の高揚、マルクスによる批判、そしてケインズによる資本主義の修正提案などの影響下に、「歴史的妥協」(フォーディズム)が成立し、労働保護立法(最低賃金や失業保険などの社会保障、団体交渉権の承認、解雇規制など)も手伝って、歴史上はじめて労働生産性に応じて実質賃金が増加する体制が実現した。これは個々の企業者にとっては、経営上苦々しい出来事だったかもしれないが、社会全体では人々の可処分所得・購買力・消費支出を増やし、経済を成長軌道に載せる上では、大きくb貢献した。これが戦後の「黄金時代」の背景にあった制度である。
 しかしながら、事態はふたたび変化する。1980年代の英米で生じたサッチャー・レーガンの「マネタリズム」(通貨主義)・「新自由主義」の「構造改革」は、ふたたび労働側の力を削ぐ結果をもたらした。すなわち労働側に「対抗力」(countervailing power)をもたらしていた前提条件は、全面的には崩壊したわけではないとしても、大きく後退する。それは再び賃金抑制の傾向をもたらし、反対に利潤(CEOs、株主の配当、金融)を優遇する政策をもたらした。だが、それはこれまでに金融崩壊、所得・資産(富)の格差拡大、貧困の拡大をもたらしてきた。
 かつてケインズ(「デモクラシーと効率」1939年)は、「19世紀の自由放任国家から脱して自由社会主義の時代に入ってゆく」べきことを主張した。それは「個人(選択、信仰、精神、表現、事業、財産の自由)を尊重し、・・・社会的経済的正義を実現するために組織された共同体として私たちが行動できるシステム」である。繰り返すと、私たちの住む現代は、ジョン・ロックの社会(自己労働にもとづく所有)ではなく、巨大企業が貨幣賃金を支払って諸個人を雇用する「企業者経済」である。いちいち名指ししないが、現代の経済学者には、このことを忘れたり、あるいは意図的に粉飾することに腐心する経済学者がいた。私たちが一挙にすべてを解決する魔法のようなユートピアを構築することができないかぎり、どのような「共生」関係、「妥協」を受容するのか、これが大きい課題であり続けている。 

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