2017年6月21日水曜日

安倍氏の経済政策の経済的帰結 2

 アベノミクスと新自由主義はどのように関係しているだろうか。

 その前に、そもそも新自由主義(ネオリベラル)政策とは、何か?
 普通、「ネオ」(新)を関した語は、かつて存在した事象が様相を若干異にしつつふたたび登場する場合に用いられる用語であり、例えば「ネオ・ナチ」、「新古典派」などの言葉に見られる。
 したがって新自由主義がかつて存在した自由主義と共通性を有することは言うまでもない。それは一言でいえば、市場原理主義または市場優先主義に他ならない。つまり、それは、人々の経済活動は、自由市場(free market)に委ねておけば、効率性、安定性、均衡などが達成するという思考原理、およびそれにもとづく一連の政策と言い換えることができる。
 こうした思考法の原形が18世紀および19世紀の経済学の中に存在したことは否定できない。とりわけ、アダム・スミスやD・リカードゥ、J・S・ミルのような一級の経済学者は別として、彼らの通俗化を試みた(普通には名前も知られていない)一連の経済学者たち、英語でvulgarizers(「通俗化する人」の意味)の中にそうした学者がたくさんいた。
 しかし、それが抽象的な原理にまで高められたのは、19世紀末のことであった。
 財市場、金融市場、労働市場における需要と供給の関係によって均衡価格と量が同時に決定されるという思考法が、すなわち 新古典派の economics (物理学 physicsをまねて作成された新造語)が成立するとともに、それは体系化され、次いで大学の経済学部で教えられるようになった。
 だが、それは決して現実の経済社会の実相を反映するものではなく、現実には存在しない智恵のある人々頭の中の「仮想空間」の中でしか、当てはまらない代物である。そこで、T・ヴェブレン、J・M・ケインズ、P・スラッファ、M・カレツキなどの一流の経済学者は、この現実離れした経済学に代わる政治経済学(political economy)の構築に尽力したしだいである。

 すでに以前のブログで説明したので、ここでは最小限の説明にとどめなければならないが、新古典派の思考は、例えば労働市場の説明において完全に破綻している。それは、一方で、労働供給(雇われて労働する側)の右上がりの曲線を想定しており、他方で、労働需要(労働者を雇う側)の右下がりの曲線を想定している。つまり、労働者は、賃金率が高いほど長時間働くことを欲し、賃金率が低いほど低時間しか働きたがらない。これは、財市場における供給と需要の関係と平行的な関係である。(価格が高いほど、多くを供給することを欲し、逆は逆。)
 しかし、これほど現実離れした理論はない。この非現実性は、アメリカでもイギリスでも日本でも厳しく批判されてきた。例えば、労働者は、賃金率が低いほど、一定の生活水準を維持するために長時間働くことを欲する(実際は、働かなければならない)。
 それに、新古典派の説明では、労働者は賃金率に応じて自分の労働時間を決定できるかのような制度的背景が前提とされているが、これも現実離れした想定である。これを読んでいる人の中に自分の会社では、自分で自分の労働時間を決めることができますという人がいたら、是非知らせて欲しい。
 ともかく、ケインズなどは、こうした理論の非現実性=虚構性を厳しく追及してきた。だから、新古典派の経済学者にとってケインズは憎むべき敵であり、それゆえにケインズ殺しを行ってきた。「ケインズは死んだ」という警句は何度も繰り返されてきたが、それはケインズが決して死んでいないことを意味している。

 さて、こうした理論も、それに支えられた政策も1930年代の大不況の中でひとたびは死に絶えたかに見えた。しかし、1970年代のハイ・インフレーションの中で、ケインズ批判の大合唱が起こり、1980年代初頭の米国において政策(レーガノミクス)として採用されるに至る。
 詳しくは述べないが、こうした新自由主義による市場原理主義の復活の背景には、①1970年代における混乱があるが、それだけではなく、②大企業や金融業の利益(利権や権益)が市場原理主義によって保護されるという側面や、③学者や政治家の中には、純真にもその思想を信じる人々がいたという面も否定することはできない。

 しかし、新自由主義政策によって実現された市場原理主義の強化が、その後の経済に与えた影響は深刻であった。そのようなものとしては、失業率の上昇(それはもはや政策によって克服されるべき対象ではなく、高賃金のなせる業として放置されるべきとされるようになった)、賃金の停滞、金融上の純利得の拡大(これは「株主価値」の賞賛の中で生じた)、富と所得における格差の拡大、金融危機、富裕者・大企業の大幅減税(税制のフラット化)と財政危機などをあげることができる。

 近年の英米における暴動、抗議運動、左派の躍進などの政治的変化は、もちろん一部はこうした現実に対する反発から生じたものであり、変化の兆しがないわけではないが、今でも新自由主義の政策が完全に放棄されたわけではない。

 それでは、わが国のいわゆる「アベノミクス」においては、事態はどうなっているだろうか? 安倍氏の経済政策は、多くの国民にとって福祉を増進させるような政策に転じてきただろうか?
 
 もちろん、答はノーといわざるを得ない。
 具体的に少し詳しく検討しておこう。

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