日本の金融・財政が破綻したならば、すさまじいインフレーションが生じ、金融資産(預金や株式、国債など)が失われてしまうのではないかと心配する人が多いかもしれません。実際にどうなるかは措いておき、過去のハイパー・インフレーション、ハイ・インフレーションがどのように生じ、どうなったかを、検討しておきましょう。
まずは、1921年~1923年にかけて生じたドイツのハイパー・インフレのケース。
話しをさかのぼればキリがありませんが、とりあえず1919年にパリのベルサイユ宮殿で結ばれたヴェルサイユ条約を出発点にとります。
この会議では、ドイツが英仏をはじめとする連合国側に巨額の賠償金を支払うことを約束させられました。その額は、なんと66億英ポンド(£)であり、当時(1920年~1921年初)の為替相場では、1ポンド=240マルクほどでしたから、1兆5840億マルクに相当しました。仮に戦前の平価(1£=20マルク)で計算しても、132億英マルクです。この天文額的数字を支払うことは不可能でしたが、一年に1億英ポンドを支払い続けても、1921年から1987年(!)まで支払いつづけるなければなりません。これが想像を絶する額だったことは、多くの研究によって明らかにされています。
もちろん、これがドイツ経済を破滅に追いやり、後にドイツにナチス(全体主義)を台頭させる要因の一つになることはよく知られていると思います。ヴェルサイユ講和交渉にイギリスの委員として参加したジョン・ケインズがこれに反対し、警鐘をならし、後の世にとんでもない災いをもたらすと批判したことは有名な話しです。
当時、ドイツでは、社会民主党(SPD)・カトリック中央党・民主党の3党が「ワイマール連合」を形成しており、世界でもっとも民主的といわれた「ワイマール憲法」の下で、当初は国民多数の支持を得ていましたが、しだいに信頼をうしなってゆきます。
1920年代には、このワイマール連合の他に、ドイツ共産党(KPD、左派)、国家人民党(帝政派)、ナチス党がありました。このうちドイツ共産党は、第一次世界大戦の勃発に際して社会民主党がそれまでの反戦の主張をくつがえし、戦争に協力したことを批判した人々が抜け出して結成して党です。これに対して国家人民党とナチスは、協力関係にあった党派(極右派)でした。
さて、ハイパー・インフレですが、それは1921年にドイツが賠償金を支払いはじめたことから始まります。1921年、ドイツは20億金マルクの支払いを実施します。もちろん、それを行うためには、支払いのためにマルクを売り、外貨(£やフランやドル)を買わなければなりません。そのために、ドイツ・マルクの価値はしだいに減価していきます。(下表を参照。)1921年1月に1£=215~262マルクだった相場は、1922年1月には790~862にまで減価しています。しかし、それでもドイツ政府は、外貨では支払うことができずに、現物(石炭、鉄、木材)で支払いをしました。
こんな状況では、第2回の支払いが行えるはずもありませんでした。ドイツが価値の下がったマルクを売り、外貨を得ようと涙ぐましい努力をしている間に、マルクの対外価値はさらに下がってゆきます。1922年12月には、ついに1ポンド=31,000~ 39,000マルクになりました。ドイツが支払いをすることができないことは誰にとっても明らかでした。この間、ドイツは賠償金の500億マルクへの減額を求めますが、フランスによって拒否されます。ここで事件が起きます。1923年1月、フランスとベルギーは、ルール地帯(ドイツ領)を占領しました。これに対して、政府の国民に対する訴えもあり、ドイツ国民は抵抗し、132人が殺され、15万人が追放されたとされています。
このような状況の中で、それまでドイツ経済に期待を持っていた外資(外貨)も流出し、ドイツマルクの減価はいっそう進みました。1923年末には、実に1£=15~25兆マルクになっています。マルクの価値は、1000億分の1に低下したことになります。
http://www.history.ucsb.edu/faculty/marcuse/projects/currency.htm
このように1923年のドイツのハイパー・インフレーションは、戦争とそれにともなう巨額の賠償金支払い、外国軍による軍事的占領によって、もたらされたものでしたが、ここで注意しなければならないことがいくつかあります。
その一つは、このような外からもたらされたインフレであっても、それが実体経済を破損し、いっそうインフレーションを加速するということです。占領と受動的抵抗運動、一揆、生産の低下にもかかわらず、ドイツ政府は、ルール地域の労働者に生活のための資金を提供しなければなりませんでした。つまり、生産の縮小と、それにもかかわらず、貨幣量(→名目購買額)が増加したのであり、それが賠償金支払いに加えて、インフレをいっそう加速する要因になりました。もちろん、政府がそのために使ったお金は、ドイツの中央銀行によって供給されたものです。
ただし、ひとたびハイパーインフレーションが生じてしまうと、貨幣供給とインフレーションとの因果関係は逆転してしまいます。つまり、貨幣量が増えるから、インフレーションが進行するのではなく、インフレーションが進行し、貨幣量を増やさなければ対応できないという関係に変わるのです。その証拠はいくつかありますが、名目貨幣量(総額)急激に増えているにもかかわらず、多くの人には不思議にみえる「貨幣不足」が生じることです。そのため、「バーター取引」(つまり貨幣を介さない現物取引)があちこちで生じることになります。こうした現象は、ロシア革命後のソヴェト・ロシアでも生じましたし、1989年のソ連崩壊後のロシアでも生じており、「謎」とされていました。
しかし、このことは、統計的には、Y=名目GDP、M=貨幣量(貨幣ストック)としたとき、その比 M/Y がしだいに低下してゆくことによって示されます。これはもはや中央銀行が貨幣供給量を増やすからインフレーションが進行するのではなく、むしろ中央銀行はそれを抑えようとしても、物価が激しく上昇するとともに貨幣需要が急速に拡大するので、貨幣を供給せざるを得なくなる、ということです。見方を変えると、これは貨幣の流通速度(V)が速くなるということもできる現象です*。
*かりに資産取引を無視すると、Y/M(M/Yの逆数)は、流通速度の定義に他なりません。「貨幣不足」の現象は、V=Y/Mの式に、時間の要素を取り入れれば、簡単に説明できますが、ここでは省略します。ただし、ある時期tにおけるVt=Yt/Mt を考え、仮にこの時期に均衡が成立しても、次の時期までに物価が上昇し、Yt+1が激しく増加するのに対して、Mt+1がその率(ペース)で上昇しないので、Vt+1が増加すると考えれば理解可能となります。
このことは、ハイパーインフレーションの中で、中央銀行が実質的には「タイトな金融政策」をとることになることにもつながってきます。
もう一つ重要なことは、しかし、ドイツの中央銀行がこの経験をいまでも引きずっており、インフレーションに対して極度に警戒的であり、また(彼らがインフレーションの原因と考える)貨幣量の増加に対して大きな注意を払っていることです。特に名目賃金の増加に対する警戒感にはかなり強いものがあります。これについては、別の文脈で触れたことがあるので、ここでは割愛します。
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