2019年7月23日火曜日

漱石もマルクス『資本論』を読み、金権腐敗の輩に筆誅を加えていた 私も見習わねば・・・

 1997年に財界(大企業)が雇用戦略を転換し、労働条件の改悪、賃金抑制を実施しはじめたことは、経済学をやっている人ならほぼ誰でも知っている。実際、賃金率は名目・実質ともに低下しはじめた。それがデフレ不況(本質的には賃金デフレ)の開始である。当時、比較的ましだった日銀は、それに警鐘をならした。賃金低下→購買力低下→有効需要不足→不況→デフレ圧力→賃金低下のスパイラルを懸念したからである。
 本来なら政府も「そんな馬鹿なことをしてはならない」と諭すべきところだった。ところが、橋本、小泉「構造改革」(リストラ)は、諭すどころか、推進さえした。
 そして、多くの有権者が「構造改革」というキャッチコピーに踊らされた。マイナス思考の構造改革を批判する私などがむしろ守旧派と非難される始末だった。しかしである、1906、7年頃になるとさすがに雰囲気が変化しはじめてきた。賃金低下、非正規雇用の増加に疑問を持つ人が増え始めたのである。以前は私の言うことに聞く耳をもたなかった人が「佐藤さんの言うことが分かってきました」という人も現れてきた。その間、実に10年もかかっている。そしてその間に非正規雇用は増え、賃金水準は低下し、出生率は低下しつづけ、ブラック化する企業が増えた。
 今また「アベノミクス」なるキャッチコピーに踊らされている人がいる。たしかに小泉「構造改革」と異なっているところがある。それは盛んにデフレ克服、「物価上昇」を叫んでいるところだ。しかし、人々(特に零細業者や労働者)の名目所得(賃金、年金)の引き上げが先行する物価上昇(例えば名目所得が年に2パーセント上昇し、その結果1パーセント物価が上昇するなど)ならともかく、金融操作でまず物価を2パーセント引き上げるなど、愚の骨頂だ。人々の所得が増えないままに物価が上がったら、実質所得が減り、そして人々はますます節約するばかりである。
 私が元持っていた新潟市のある社会人経済教室では、年金生活者の一人がそのことに激怒さえしていた。
 アベノミクスは実際には「アホノミクス」であり、「アベコベノミクス」である。それが日本の社会経済に活気をもたらすことは原理的に言ってありえない。というのは、それは、人々、特に日本の80パーセントを占める個人業者、中小零細企業で働く人々、年金生活者の労働条件と生活をよくする方策ではないからである。それは以前として下請け企業や労働者をt犠牲にして大企業に内部資金をせっせとと蓄えさえ、その内部資金を守るための官制の株価を維持する政策にすぎないからである。
 現在の安倍政治は、金権政治(plutocracy)であり、一部の財界(グローバルな巨大企業)の利益をはかるものにすぎない。それを支える政治屋はいつもは金満家のご機嫌をうかがいながら、選挙のときだけは有権者に愛想わらいを浮かべる。その証拠に、消費増税は財界のご意向であり、内外金融利害の圧力によるものであり、それによってのみ大企業や富裕者の減税の穴埋めができているという「事実」がある。ただし、これが「事実」だということは、ここでは詳しく展開しません、よ。

 ここまで書いてきたとき、ふと明治・大正時代に同じようなことを述べた文学者がいたことに気づきました。
 夏目漱石です。彼もまた「金権腐敗」の輩が多い、世が激しい格差社会だということに激怒し、ペンをもって「筆誅」を加えんとしていたわけです。実は、漱石は、経済社会のことについては、相当の知識をもっており、また様々な社会経済事象を考え抜く力を持っていました。これについては、近く新しい記事を書いて、紹介したいものです。
  私などはもちろん文才は漱石の足元にも及ばず、漱石の思考力にひれ伏すしかありませんが、せめて「筆誅」を加えんとする志だけは漱石にまけないようにするつもりです。



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