ある時期から(1980年代以降であることは間違いありません)多くの日本人の間に広まってきた奇妙な思考習慣の一つに「円高恐怖症」とでもいうべきものがあります。あるいは、もう少し広く言うと「輸出不能恐怖症」といったらよいでしょうか。市民向けの話しをした後でも、話しを聞かれた人たちから必ずといってよいほど出て来る質問があります。大体、次のような趣旨の質問です。
・身のまわりを見ると、中国製・東アジア製の工業製品だらけになっている。日本は、資源希少な加工貿易の国で、外国から第一次産品・原材料を輸入しなければならないのに、日本の人件費が高いため(あるいは海外への技術移転や在外生産が進んでいるため)、外国との競争に負けて輸出できない(あるいは輸出できなくなる)のではないか?
・円高になると、日本の輸出が減って、景気が悪くなるのではないか。(あるいは、日本の景気をよくするには、輸出を増やすしかないが、そのためには円安が好ましく、円高は好ましくないのではないか。)
こうした質問をしたくなる気持ちは、(この十数年に及ぶ賃金所得の低下を考えると)分からなくなくもありません。しかし、少なくとも次のような決定的な事実を忘れていることは否定できません。
その一つは、日本は経常収支の黒字国(一昨年の震災後はちょっと事情が異なりますが、同様に貿易収支の黒字国)であり、輸出が輸入を超過している国であるという事実です。しかも、国際収支は世界全体ではゼロになるという事実があります。つまり一つの国が貿易収支を大幅黒字にしたならば、外国(世界全体の残り)は必ず赤字になるため、すべての国が黒字を達成することは原理的に言って不可能なのです。そのため、昔から、為替相場や関税率の操作などによって貿易相手国の貿易収支を赤字にしてまで自国の輸出を拡大し(つまり外国から需要を奪い)自国の経済成長をはかることを「隣人窮乏化政策」と呼んできました。
もちろん、日本が外国から輸入できないほど外貨の不足している国であるならば話は別です。しかし、繰り返しますが、日本は経常収支の黒字国です。輸入するための外貨がない訳ではありません。
とはいえ、質問をした人が以上の指摘で納得することはありそうにありません。そもそもそのような人は外国への輸出の拡大なしに景気を良くすることができないと一途に思い込んでいるのですから。しかし、本当にそうならば、論理的には、世界のどの国も同じ状況にあるはずです。したがって日本が輸入を拡大する以外に世界の景気を良くする方法はないことになります。
二番目に重要な事実は、日本は決して輸出依存度の高い加工貿易の国ではないということです。私も小学生の時、先生から日本はオランダと同じように資源の乏しい加工貿易の国であると教わった経験があります。しかし、自分で経済学を学んでから、それが事実ではないことに気づきました。確かに日本がある種の資源に不足していることは間違いありません。しかし、日本にも沢山の資源はあります。しかも、何より日本はきわめて多種多様なセットの産業を持つ国であり、その輸出依存度もきわめて低い水準にあります。もちろん、アメリカのようにより大きな、より資源の豊富な国はもっと輸出依存度が低くても済みます。これに対して開発途上国、特に小さな途上国は、経済成長のために大量の資本財や中間財を輸入しなければならず、そのためにも輸出依存度を上げなければなりません。しかし、日本はそんな国ではありません。
日本は、領土は小さいながら豊かな自然と技術、優秀な人材を持ちます。その内需を拡大し、賃金所得を増やすことによって、もっと内需を拡大し、安定した経済を造り出すことが可能です。
ところが、輸出しなければならない、そのためには競争力をつけなければならない、そのためには賃金を縮小しなければならない、といって人々の所得=購買力=内需を圧縮してきたというのが事実なのです。
しかし、このように言うと必ずといってよいほど、次のような言説がなされます。その一つは<日本の物価が高い>という宣伝まがいの言説です。しかし、日本の物価が高いという言説は実は事実に即してきちんと実証されたことがありません。
繰り返しますが、そもそも日本の貿易収支が黒字だったことに注意してください。このことは、貿易収支を均衡させる為替相場を基準として見ると、円安(つまり日本の商品価格が安い)を意味しています。あるいは、百歩譲っても、日本製品の価格は割高かもしれないが品質がそれをカバーして余あるということに他なりません。
もちろん、日本が輸入しているモノの中には日本製品より安価な商品が多数あります。(例えばオーストラリアの牛肉など。)しかし、それはどこの国でも同じことです。各国にはそれぞれ比較優位の財と比較劣位の財があることは経済学の初歩の知識です。だからこそ、貿易(輸出・輸入)が行なわれるわけです。
非貿易財については、どうでしょうか? 例えば(私は乗ったことがありませんが)エジプトのタクシー運賃が日本のタクシー運賃より安いことは疑いありません。仮にエジプトと日本の間でまったく自由に(言語、文化、宗教、法律、移動などの障害がなく)行なわれるようになれば、日本のタクシー運賃はエジプトなみに低下することになるでしょう。もちろん、その時はタクシー運賃だけでなく、あらゆるサービス業の料金が低下し、その結果、日本人の大多数の人の所得も低下します。(このことが示すように、価格の安価さは所得の低さと結びついていることに注意しましょう。)
もう一つの問題は、販売を拡大するには個々の企業がリストラ(賃金圧縮)、円安などを通じて製品価格を引き下げなければならないというミクロの「事実」が邪魔をしてしまうために、雇用の拡大・内需の拡大は総生産=総所得の拡大を必然的に伴うというマクロ経済の真実を理解できない点にあるように思います。これはケインズが「合成の誤謬」として定式化したことにかかわっています。
マクロ的には、いま価格を一定とすると、雇用Nは所得Yの増加関数です。
N=αY÷ρ (ρは労働生産性)
また Y=W+R=C+I+(XーM) です。
この式からも分かるように、企業がリストラをして労働生産性を上げれば、より少ない労働者で生産できるのですから、雇用量(労働需要)は減ります。一方、生産量は必ず所得増加をもたらし、それは賃金Wか利潤Rかの増加を導きます。このような制約下で、しかも賃金の上昇なしで経済成長が可能かどうかは、それこそ小学生でも理解できます。
実際には、個別企業がリストラを行い賃金を引き下げたならば、しかもすべての企業または産業がそうしたならば、総所得=総購買力は減少し、総生産も低下します。これが「合成の誤謬」です。
先日もあるテレビ番組で、浜矩子同志社大学教授とニトリ社長が対談していましたが、結局、浜氏が「合成の誤謬」を指摘したのに、ニトリ社長は理解できなかったようですね。
そりゃそうだろうなと思いました。浜氏は、多くの企業がニトリ化すると<社会全体の有効需要が低下する>でしょう、と言いたいのですが、社長の方は自分の企業の事情しか考えていないわけですから。安価なものをつくれば売れる。これかし考えていません。皆が同じようにリストラしげ賃金を引き下げて同じ事をやっても、最初から<社会全体の有効需要は一定>と前提してやっているわけです。
昔、フォード社の社長、ヘンリー・フォードは、労働者の賃金が社会の最大の所得であり、購買力をなすと考え、生産性を上げつつ、それに比例して賃金を上げるシステムを普及させようとしました。いわゆるフォーディズムです。
いまニトリ社長のやっていることは、それとはかなり違います。それは日本の総有効需要を拡大するのではなく、それを一定と前提して、安価な製品を供給しようとしています。しかし、その過程で日本国内の従業員の給与を引き下げているならば(私は詳しく調べたわけではないので、このような言い方にとどめておきます)、そしてそれが日本企業全体のやり方になるならば、総所得=総購買力=総需要を減少させることにつながるでしょう。いわゆるデフレ圧力の拡大です。
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