近年(1980年代から現在まで)、欧米日の諸国では強い賃金圧縮圧力がかかり、貨幣賃金も実質賃金も抑制されてきました。特に第三次産業では低賃金労働が著しく拡大し、それが大きな社会問題となってきています。
しかし、1994年に米国のボルティモア市で「生活賃金」(Living Wage)運動が功を奏し、生活賃金条例(Living wage ordinance)が制定されてから、米国でも、ヨーロッパ(英国、ドイツなど)でも、生活賃金運動が拡大・深化してきました。
今日は、日本で生活賃金運動を始める際の参考になると考え、欧米の状況について紹介することとします。
最初に欧米と日本で低賃金労働がどのように広まってきたかを示します。
下図は、平均賃金(正確には中位の人の賃金、時給)の3分の2未満の低賃金労働者の割合が時間の経過にともなって変化してきた様子を示します。ここから、米国では、もともと低賃金労働者比率が高かったのに、1980年代から1990年代前半に(レーガン・ブッシュ期に)上昇したことが分かります。また英国では、1980年頃から1998年にかけて低賃金労働者比率が急速に上昇し、ドイツでも1992年頃から上昇したことが分かります。ただし、デンマークのようにずっと低率のところもあり、フランスのように低下してきた国もあることがわかります。
こうした相違が様々な要因にもとづいていることは間違いありませんが、一つの理由は、労働市場制度の相違にあり、その中でも最低賃金制度の有無と差異にあります。
そこで下図を見てください。いくつかの注目される点があります。
第一は、フランスですが、平均賃金に対する最低賃金の割合がずっと増加してきました。これは、フランスが1970年にSMIGと呼ばれる最低賃金制度をしいたことと関係しています。この制度の法制度化以降、フランスは、インフレ率だけでなく成長率にも比例して最低賃金を引き上げてきました。
第二は、アメリカですが、レーガン以降、インフレにもかかわらず、最低賃金はずっと据え置かれたままでした。そのせいで最低賃金(実質の値)は大幅に低下してきました。
第三は、イギリスです。ここでは、サッチャー・メージャーの保守党政権時代に最低賃金制度は事実上(1986年、1993年の法改定で)廃止されました。しかし、1998年に労働党(ブレアー)の下で最低賃金制度が復活し、それはきわめて大きな役割を果たすことになります。
第四は、日本です。最低賃金の比率は1990年代の後半から上昇していますが、これは最低賃金が引き上げられたのではなく、むしろご存知のようにに低賃金労働が拡大し、中位の人の平均給与が低下したため、相対的に最低賃金の割合が上昇したに他なりません。それでも低下してきた米国と同じほどの低水準です。
こうした状況の中で、米国、英国、ドイツでは1990年代から新しい動きが生まれてきました。それが「生活賃金」(Living Wage)の運動です。
まず1994年に、米国のボルティモア市で教会や市民団体、労働組合の協同の下に市議会が「生活賃金条例」を制定し、ボルティモア市の公共財政と関連を持つ企業(補助金対象企業、業務委託企業、公共事業を請け負う企業など)の労働者の賃金を「相場賃金」とすることを決めました。
後で詳しく述べるように、最低賃金を引き上げることや、「公契約条例」により「相場賃金」を義務づけようとすると、失業者が生まれるとか、企業が流出するとかいった批判が必ずなされます。しかし、米国では、そのような(一見正しそうに見えても実は)根拠のない非難に対してRobert Pollin氏のようなまともな経済学者が実証研究をしてきちんと反論しました。現在までに、ボルティモア市に続いて百数十もの州・郡・市が最低賃金条例を制定することに成功しています。
英国では、1998年の法律で「低賃金委員会」が最低賃金を計算し、政府が定めることになりました。最初、この法律が制定される前にも、それが失業者を増やすという激しい批判がなされましたが、実際には、そのようなことは一切ありませんでした。イギリスでも様々な研究者が新最低賃金制の効果の実証的な調査・研究を行なっています。
イギリスの経験は、米国やドイツの運動にも大きな影響を与えました。また経済学者による研究のレベルでは、David Card & Alan Krueger(1995年)の研究も影響を与えています。彼らの研究は、賃金水準の高低、労働市場制度(柔軟か硬直か)、所得格差の大小は失業率と何ら相関しないというものです。
こうした生活賃金運動の経験や、低賃金労働の拡大という現実、研究者の実証研究は、ドイツにも大きな影響を与えています。ドイツでは、従来、国民的な重要性を持つ製造業における労使協議慣行の重要性もあり、最低賃金制度に対して労働組合、市民、各種団体が否定的な態度を取る傾向がありましたが、低賃金労働の拡大や第三次産業の拡大とともに、最低賃金制の必要性が認識されるようになってきました。最低賃金を引き上げると失業者が増えるという脅しも、イギリスの実例に照らして、虚仮威しに過ぎないことがわかりました。2006年以降、ついにSPD(ドイツ社会民主党)や労働組合が最低賃金制の導入にむけて舵をきり、ついに保守派のCDUも有権者の態度を見ると反対できないような状況になりました。
次のドイツ総選挙では、生活賃金の考えにもとづく最低賃金制が争点になると予想されます。
日本でも、生活賃金にもとづく最低賃金の引き上げが大きな課題になっています。
それは公正な社会を実現するはずです。また多くの低所得者の所得を増やすことは、有効需要を増やすという効果もあります。
ただし、世の中には、必ずそれに反対する人々がいます。
彼らの批判の手口はいくつかありますが、その中で最も中心的なものは、賃金を引き上げると、企業はそれを価格に転嫁しなければならなくなるが、そうすると需要が減り、企業は生産を縮小しなければならなくなるので、雇用を減らす(失業者を増やす)ことになるという紋切り型の言説です。
それは新聞、テレビ、ラジオ、雑誌など様々な媒体で流されます。そして、もちろん、それが正しいか否かに関係なく、それを聞いた普通の人々は不安になります。なんどもなんども聞かされると、頭の中に刷り込まれてしまうのは、よくある事です。
しかし、日本と違って、米国や英国、ドイツ等では、まともな経済学者が要所要所にいて、実際はどうなのかを調査研究しており、上の批判に答えています。
このブログでも、そうした調査研究の成果を随時紹介することにします。
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