2013年11月30日土曜日

フリードマンの苦しい言い訳

 このブログでも何回も書いてきたように新古典派(米国の主流派)の経済学は、いくつかの非現実的な公準(仮定、前提)にもとづいています。
 ケインズが『一般理論』(1936年)で問題としたように、①規模に関する収穫逓減(ただし最終的にケインズは、これに妥協しました)、②労働者側の労働時間の限界負効用の逓増、③セイ法則(供給はそれ自らの需要を創り出す)、④ミクロ→マクロの因果関係(逆を認めない)、⑤その他、などがそれです。

 多くの場合、この学問的批判に対して新古典派は黙りを決め込むことが多いのですが、時として反論することもあります。その一つを取り上げましょう。
 あるときマネタリストのミルトン・フリードマンが苦し紛れに次のように言ったことがあります。つまり、物理学でも、アインシュタインの言っていることは現実離れしているではないか、と書いたのです。確かに、素人ながら、アインシュタインの物理学(特殊相対性理論や一般相対性理論)を解説書などで勉強すると、絶対空間から独立の時間を認めなかったり、空間が曲がっているとされたり、時間の伸び縮みの話が出て来たりして、素人にはとても「常識」離れした議論のように思えます。
 しかしながら、
 アインシュタインの理論は、決して現実離れした仮定・想定にもとづいているわけではありません。時間は空間との関係なしに存在しえないという想定、等価原理、光速度一定などは、「常識」に反しているように見えても、それが「現実」なのです。
 あるとき私が大学で数学・物理学を勉強している子供にそのことを話したら、馬鹿ではないかと言って笑っていました。自然科学であろうと社会科学であろうと、現実離れした想定にもとづいて作り上げられた理論(仮想空間の性質に関する理論)が役立つ訳がありません。ケインズが考えたのもそのようなことでした。「経済社会の実相」に対立する特殊理論が現実の経済社会の問題解決に役立つ訳がありません。

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