この図を見て気づくことがいろいろあるだろう。
まず英米の失業率に注目すると、1960年代末の「資本主義の黄金時代」末期から失業率は徐々に上がり始め、1970年代の二次の石油危機を経て1980年代にピークに達する。その後、失業率は若干低下するが、1990年代にまた上昇する。(この図では、2008年のリーマンショック後の失業の増加については示していない。)
次に日本の失業率を見ると、人は、全体として日本の失業率が英米に比べて低いこと、しかし、近年、特に1992年頃から失業率がじわじわと上昇してきたことに注目するかもしれない。また1987年から1990年頃の期間(真性バブル期)の失業率の低下に注目するかもしれない。
しかし、欧米人なら間違いなく、日本の失業率がかなり低い水準にある(あった)ことに興味を抱き、その理由を知りたがるだろう。私も昔イギリスでそのことを質問されたことがある。しかし、それだけではない。欧米であれば、失業率は普通景気変動に応じてかなり上下する。しかし、図からも明らかなように、日本の失業率は多少の変動を示すものの、折線が全体として「のっぺり」した状態にある。一体どうしてなのか?
出典)Ameco, online databaseより作成。
以上にあげたいくつかの点をひとつずつ説明してゆこう。
出典)Groningen University, the Centre for growth and Development, Economic Growth dataより作成。失業者については、一部、Ameco online databaseを利用。
ここでは、イギリスとフランスを素材として、かつ雇用率の変化の側から説明しよう。上図で、雇用率(ε)の変化率(対前年度比)は、実線の折線で示されている。プラスが雇用率の上昇を、マイナスが雇用率の低下を示す。
前回示したように、雇用率は産出量の増加関数である。この図でも産出量の増加率が高い年には、雇用率も好転していることが示されている。
しかし、産出量が唯一つ雇用率を決定する要因ではない。労働生産性(ρ)も大きく影響する。しかも、それ自体としては(つまり労働生産性の上昇がそれ以上の産出量の増加をもたらさない場合には)マイナス要因である。この労働生産性(年あたり)は、労働生産性(時間あたり)(r)と労働者の年平均労働時間(t)に分解される。イギリスやフランスの例が示すように、労働生産性(時間あたり)はかなりのペースで上昇してきた。したがって産出量が相当程度のペースで増加しても、雇用率は低下する場合が多い。
こうした労働生産性の上昇による雇用率の低下を抑制するのが、労働時間の短縮である。ヨーロッパでは、ここで検討している期間にはほぼ一貫して労働時間の短縮が実施されてきた。言うまでもなく、それは労働生産性(年あたり)を抑制し、失業率の上昇を防ぐ役割を演じてきた。換言すれば、ヨーロッパでは、一種のワークシェアリング(work-sharing)が実施されてきたということができる。
出典)同上。
日本ではどうだろうか?
上図に示したように(また上で失業率に即して説明したように)、雇用率は変動しているものの欧米に比べて「のっぺり」とした形状を示している。
雇用率を高める役割を果たす産出量の増加は、1980年代までかなり高い。基本的には、これが日本の低失業率の「一つの」要因であったことは間違いない。
ここで注目されるのは、イギリスやフランスでは、早くから年間労働時間の縮小が労働生産性(ρ)の上昇をかなり抑制し、失業の拡大にブレーキをかけていたのに対して、日本では逆に労働時間が1980年代いっぱい長くなっていることである。しかし、それでも雇用率がさほど低下しなかったのは、産出量の高い成長率によるものであった。
しかしながら、1990年代に急激な変化が日本を襲っていることが図からも示される。
第一に、産出量の成長率が急速に低下した。
第二に、それでも労働生産性(時間)はかなりの速度で成長している。(ただし、1980年代と比べると低下していることは間違いないとはいえ。)
第三に、年間労働時間は、1990年代に低下しはじめたが、そのペースは失業の拡大を抑制するほどのものではない。しかも、この年間労働時間の縮小(それは1997年と2001年に集中している)は「非正規の低賃金」雇用の拡大という形で実施されたのであり、それ自体が問題を持つものであった。
さて、以上の結論は、われわれの分析の出発点に過ぎないが、それでもいくつかの事実を教えてくれる。そのうちの2、3を示しておこう。
第一に、失業は、経済状態全体の複雑な変化に関係しており、特に産出量の低下によってもたらされたものである。
第二に、このことはわれわれをより難し問題、つまりいつまで経済成長を続けるのかとう問題に導く。しばしば<われわれは十分に豊かな社会を作り上げたのであるから、これ以上の経済成長は不必要ではないか>という主張がなされる。この主張はきわめて重要であり、尊重すべき意見である。(「いつまでも経済成長が続きうると考えるのは、バカと経済学者だけ」という名言もある。)しかしながら、現代の資本主義経済には、一つのやっかいな特徴がある。それは産出量が増えなくても、産出が前年と同じ水準で行われている限り、したがってまた設備投資が同じ水準で行われている限り、労働生産性(時間あたり)が上昇しつづけるという否定しがたい事実である。そしてそれは雇用率を押し下げ、失業率を押し上げる働きをする。
第三に、したがって現代の経済で、失業率を上げないようにするためには、投資(正確には純投資)をゼロにして労働生産性を引き上げないようにするか、それともワークシェアリングを通じて一人あたりの労働時間を縮小するしかない。ただし、その場合、純投資をゼロにしても、減価償却分に等しい投資(粗投資)は行われるので、何らかの技術革新は可能である。
私は、この最後の点に賛成である。多くの人もそれに賛成するだろうと思う。
しかし、問題は現代の営利企業や強欲な人々、特に富裕者がそれを認めるだろうかという点(政治的問題)にある。私はこの点に関する限り悲観的にならざるを得ない。
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