1950〜1955年には、OECD諸国でも、合計特殊出生率(TFR、女性が一生の間に生む子供の平均的な数)は、OECD諸国でも2.5以上であり、中南米、アフリカ、中東、南アジアおよび東アジアでは5以上の国・地域が多く見られました。この時期はグローバルな人口爆発が心配された時期でした。
しかし、21世紀初頭までに事情は大きく変わりました。先進国の多くでは、TFRは2以下に低下し、他の国・地域でも2〜3またはそれ以下に低下しています。サハラ以南のアフリカ諸国では依然として4以上、中には7を超えている国も見られますが、中南米、中東、南アジアおよび東アジアでは、かなり低下しています。
こうした変化は決して否定的に捉えるべきことではありません。一つには、伝統的な社会では高い乳幼児死亡率が見られたため、次世代の人口を維持するには多産が必要でしたが、現在までに乳幼児死亡率は決定的に低下しました。またTFRの低下は女性の家庭内における地位、社会的な地位の上昇を反映していると考えることができます。もちろん「持続可能な発展」の観点からみても、人口爆発が生じることは決して好ましいことではないでしょう。かつて心配された世界人口の爆発の心配はなくなりました。
しかし、言うまでもないことですが、TFRの2以下の水準への低下は、長期期には人口が減少してゆくことを意味しています。現在、例えばイギリス、フランス、米国などが2前後になっており、ドイツや日本、韓国などが1.3前後の水準になっています。このままの状態が続けば前者では人口は長期的に安定的に推移しますが、後者では人口がかなりのテンポで減少することになります。
その際、人口が減少することが問題というわけでは決してありませんが、あまりに急速な人口減少が大きな問題をもたらすことは間違いありません。そのことは極端な例を示せばあきらかでしょう。例えば仮にTFRが0(ゼロ)になれば、ほぼ80年で当該国・地域の人口はゼロになります。それは破局的な状態を意味しています。
それではどのような数値が好ましいか? これは社会哲学的な問題を含んでおり、誰もが合意できる明らかな正解というものはないと考えられます。結婚するのか否か、また何人の子をもうけるのか、それは個人の自由の領域でもあります。そして、社会全体の結果は諸個人の行動結果の集計という一面を持っています。
しかし、他面では、各個人の行動は、社会全体の環境によって制約されます。経済学でも現在のアメリカの主流派のように、ケインズの経済学を批判しようとして、マクロ経済学をミクロ経済学によって(のみ)基礎づけようとするものもありますが、それは完全に失敗しています。経済主体のミクロ的行動はマクロ(社会全体)=社会全体の環境によって影響を受けているからです。人口についても同じことがいえます。
もし子供を持ちたいにもかかわらず、それを不可能にする困難な事情があるならば、改善が必要となります。日本の統計(厚生労働省)でも、同じ年齢階層で結婚した女性の合計特殊出生率は決して低くありません。しかし、未婚者の出生率は低く、また男女とも未婚者の多くは非正規雇用者であることが示されています。TFR(1.3〜1.4ほど)を前提条件として今後の日本の経済社会のありかたを考えるのか、そうではないのか、大いに議論が必要です。
0 件のコメント:
コメントを投稿