2014年5月16日金曜日

ジョン・メイナード・ケインズ「国民的自給」(1933年)を訳す

 1933年にケインズは「国民的自給」という論文を執筆し、発表しました。
 John Maynard Keynes, "The National Self-Sufficiency," The Yale Review, Vol.22, no.4 (June, 1933), pp.755-769.

 この論文は、ケインズがいわばグローバル化と自由貿易主義に決別を告げた宣言書とでもいうべきものです。
 原文は、私が出会った中でもかなり難解な英文で書かれていますが、一読の価値ある論文と考えて日本語に訳してみました。間違っているところがあるかもしれませんが、以下に紹介します。なお、公表から50年以上過ぎており、著作権の問題はありません。



 私は、ほとんどの英国人と同様に、自由貿易は理性的で教養のある人ならば疑ってはならない経済学上の教義であるばかりでなく、またほとんど道徳律の一部として尊敬すべきものと教育されてきた。私はまた同時に、自由貿易からの離脱は愚行であり、非道であるとみていた。百年近くも維持されてきた英国の揺るぎない自由貿易に対する信念はイングランド経済の優位性を人に対して説明するものでもあり、神に対して正当化するものでもあると考えていた。私は一九二三年になっても次のように述べていた。「自由貿易は基本的な真理にもとづいており、適当な修正を施して表現すれば、言葉の意味を正しく理解できる人ならばそれに異議を唱えることはできない」。
当時私が述べたこの基本的な真理の表明を今日ふたたび読んでみても、反論しようとは思わない。しかし、私の考えの方向は変わった。そして、この考えの変化は他の多くの人々と共有される。確かに私の経済理論の背景は部分的に変化した。私は、当時、ボールドウィン(S. Baldwin)氏を「最も粗雑な形の保護貿易論という誤りの犠牲者」として非難したが、彼は既存の条件下で関税はある程度失業を減らすと信じていたのであるから、現在、彼を非難するべきではない。しかし、私の展望が変わったのは、主としてそれとは別の何か、つまり希望、恐れおよび先入観のためであり、世界中の現世代の多く、またはほとんど(と私は思う)の人々の、昔とは異なった希望、恐れおよび先入観のためである。戦前の一九世紀の思考習慣から抜け出すには長い努力がいる。しかし、今や二〇世紀も三分の一が過ぎようとしており、われわれの多くはとうとう一九世紀から脱しつつある。二〇世紀の中頃までには、各世紀の人々が自分たちの先人とは異っているように、われわれの思考様式や関心事も一九世紀の方法や価値とは異なっているだろう。
それゆえ、この考えの変化の本質が何なのかを発見するために、何らかの調査、分析、診断を試みること、そして、この新しく発見された変化の熱狂をまだ包んでいる考えの混乱の中で、あの特徴的な一九世紀の知恵の真珠をガラクタと一緒に洗い流すという不必要な危険を冒すべきでないかを調べることは、有益である。
一九世紀の自由貿易論者は、最も理想主義的で公正無私な人たちであったが、何を成し遂げていると考えたのだろうか。
まずこう言いえばおそらく公平と思うが、彼らは、自分たちがまったく賢明であり、また人日の中で自分たちだけが明晰であり、理想的な国際分業に干渉しようとする政策は常に自己利益に反する結果になると信じていた。
第二に、彼らは貧困の問題を解決しつつあり、またよき家政婦と同様に、世界の資源と能力を最大限生かすことによって世界全体のために貧困の問題を解決していると信じていた。
また彼らは、経済的な最適者の生存だけでなく、自由、個人の創意と才能に役立つ自由の大きな原因、創造的力の原因、特権と独占の力および旧弊に抗する束縛されない精神の輝かしい能力などに奉仕していると信じていた。
最後に、彼らは、平和、および諸国民と進歩のもたらす利益を拡大する人々との間の国際協調と経済的正義の友であり保証人であると信じていた。
 もし当時の詩人の心に、商人が決して来ないところに放浪し、野生の羊の毛をつかんで捉えたいという不思議な欲求が湧いたとしても、疑いなく心地よい反発がやって来た。
  私は、私たちの輝かしい利得のない狭い土地で放牧する。
大した欲望もない野獣のように、大した苦しみもない野獣のように
 これにどのような欠点があるだろうか。表面的にみる限り、何の欠点もない。しかし、われわれの多くは実際の政策理論としてはそれに満足していない。何が誤っているのだろうか。われわれは自分たちの疑いの源を見つけ出そう。正面攻撃によってはでなく、散策によって、つまり私たちの政治的心情の欲求の場所を見つけるための異なった方法のまわりを散策することによって、そうしようと思う。
 平和の問題から始めよう。今日われわれは強い信念をもつ平和主義者であり、そこで、もし経済的国際主義者はこの点で説得的ならば、すぐにわれわれの支持を再獲得するだろう。しかし、外国貿易の獲得のために国民的努力を集中することや、外国の資本家の資源と影響が国の経済構造に浸透すること、そして外国の変動しやすい経済政策に自国の経済生活が大きく依存することなどが国際平和を守り、保証しているようには見えない。経験と洞察によれば、正反対であると主張するほうがもっと容易である。国の現存の海外権益の保護・新市場の獲得・経済的帝国主義の進展は、国際的な専門化の極大化と資本の最大の地理的拡張をめざす(その所有権がどこにあろうと)メカニズムのほぼ避けがたい特徴の一部である。もし「資本の逃避」として知られている現象が不可能となれば、もっと容易に賢明な国内政策が立案できるようになる。資本所有と実際の経営責任との分離は、企業の株式会社化の結果、財産が無数の大衆の間に分散化され、これら大衆が今日買い明日売り払い、たまたま現在所有しているものに対しては知識と責任を欠いているとき、国内でも深刻な事態となる。しかし、同じ原理が国際的に適用されるならば、非常時には耐え難いものとなる。私は自分の所有するものに対して責任を負わず、私の所有する企業を預かる経営者は私に対して責任を負わない。私の貯蓄は資本の最大の限界効率または最高の利子率を示す地球上の場所に投資するべきであるということが有利であることを示す何らかの金融上の計算はあるかもしれない。しかし、所有と運用とが遠く離れていることが人間関係に災いをもたらし、また長期的には金融上の計算を無にしてしまうような緊張と敵意を醸成しやすく、それとも確かに醸成することは経験が示している。
 それゆえ私は、国民間の経済的な紛糾を最大化する人々よりも、最小化する人々に共感を寄せる。思想・知識・科学・歓待・旅行、これらはその性格上国際的であるべきものである。しかし、財については、合理的および便宜的に可能ならばいつも、国内生産にしよう。とりわけ金融は主として国民的にしよう。ただし、それと同時に国を経済的な紛糾から脱却させようとする者はゆっくりと、かつ用心深く行動しなければならない。それは根を断つような問題ではなく、植物を違う方向にゆっくり育てていくような問題でなければならない。
 このような強い理由から、私は、移行期が終わった後には、一九一四年に存在していた以上の規模の国民的自給と諸国民間の経済的非依存関係が構築され、そうでない場合よりも平和の原因として役立つという信念に傾いている。とにかく、経済的国際主義の時代は戦争を避けるという点で特別に成功したということはなかった。そして、もしその支持者が、経済的国際主義の失敗はその成功の不完全さゆえに公平な機会が与えられなかったためだと反論するとしても、もっと大きな成功が将来見込まれることはほとんどないと指摘するのが妥当である。
 各人が自分の意見に執着するために判断の難しいこれらの問題から、より純粋な経済学の問題に移ろう。一九世紀には経済的国際主義者は正当にも、その政策が世界をより豊かにし、 経済的進歩を促すと言い、またもしこの政策を逆転させるならば自国も隣国も貧しくなると主張することができた。これは経済的利点と非経済的利点とのバランスという容易には解決できない問題を提起する。貧困は大悪である。経済的利点は真の利益であり、これは明白に小さな比重を占めるのでない限りその代わりとなる真の利益の犠牲となるべきではない。私は、一九世紀には経済的国際主義の利益が他方の不利益を凌駕するような二つの条件があったと確信している。当時、大規模な移民が新大陸に向かったが、そのとき人々は旧大陸の技術の物的成果を新大陸に持ち込み、移民を送り出した人々の貯蓄をもたらした。英国の移民を新しい農地や牧場へ運ぶために英国の技術者によって線路と鉄道車両が建設され、その事業に英国人の貯蓄が投資され、その果実はそれを可能とした節約(貯蓄)を行った人にそれなりに還元されたのであるが、こうした投資は、遠くから見ると本質的にシカゴの投機家によるドイツ企業の部分所有やイングランドの独身女性によるリオデジャネイロ市の公共事業の部分所有に似た経済的国際主義ではない。しかし、それは結局投資で終わる貯蓄を促進するのに必要なタイプの組織であった。第二に、異なった諸国民の間で産業化や技術的訓練の機会の程度に大きな相違がある時には、国民的な高度な専門化の利益は非常に大きい。
 しかし、今日国際分業の経済的利益が以前とまったく同じように大きいという主張に私は同意できない。私がある点を超えて議論を展開していると理解されてはならない。合理的な世界では、かなりの程度の国際的な特化が必要となるが、それは気候・天然資源・国民性・文化の程度および人口密度の点で大幅な相違が見られる場合である。しかし、ますます拡大する範囲の工業製品、またおそらく農産物では、国民的自給の経済的損失が生産と消費をしだいに同じ国民的、経済的および金融的組織の範囲内で進めていくことの利益を大きく上回っているという主張に私は疑いを持ち始めている。ほとんどの国や地域で近代的な大量生産プロセスの大部分がほとんど同じ効率で行えることを証明する経験が蓄積されつつある。その上、富の増大とともに、住宅・個人サービス・地域的快適さのような同じ程には国際的な交易の対象とならないものに比べて、一次産品や工業製品は国民経済の中で相対的に小さい役割しか果さない。その結果、国民的自給の拡大に伴う第一次産品と工業製品の実際の費用の適度な増加はそうでない場合の利益とのバランス上大きな問題とならない。要するに国民的自給は、多少の費用がかかっても、われわれがその実現を望むならば、手に入れることのできる贅沢品となっていくことができるものである。
 われわれが国民的自給を欲するようになってよい十分なよい理由はあるだろうか。古い学派で育ち、同時代の経済的ナショナリズムに伴う被害と経済的損失に怒る多くの友人が私にはおり、彼らにとってはこれらの発言の傾向は痛みや悲しみと感じられるだろう。
 戦後われわれは退廃した国際的な、しかし個人主義的な資本主義の手の中にいるが、それは成功とはいえない。それは知的ではなく、美しも、正しくも、美徳でもない。要するにわれわれはそれを嫌悪しており、軽蔑し始めている。しかし、それを何に代えるかを考えるとき、われわれは極めて困惑する。
毎年、世界では多様な政治・経済的実験が始っており、様々なタイプの実験が様々な国民的気質と歴史的環境に訴えていることが明らかになっている。一九世紀の自由貿易論者の経済的国際主義の想定では、全世界は私的な競争的資本主義、および法の強制力によって不可侵として守られた個人契約の自由を基礎に組織されてきたし、また組織されるだろうが、もちろんそれらは複合性と発展の諸局面を通じて完成すべき一般的な目的であり、決して破壊するべきではない一つの型に収束していくとされていた。一九世紀における保護主義は効率性と事物のこうした図式中の良心における一つの汚点であるが、経済社会の基本的な性格に関する一般的な仮定を修正するものではなかった。
しかし、今日、各国は相次いでこれらの仮定を捨てている。ロシアはまだ単独で独白の実験を行っているが、古い仮定を捨てているのはもはやロシアだけではない。イタリア・アイルランド・ドイツが政治経済学の新しい流行に注目し、今も注目している。私は断言するが、ますます多くの国々が新しい経済の神を求めて従うだろう。英国や米国のような国は基本的には古いモデルで一致しているものの、そこでも水面下では新しい経済計画を追求している。結果がどうなるか分からない。われわれは、私の予想ではわれわれのすべてが、多くの誤りを犯すだろう。今のところ、新しい体制のどれが最善なのかを言うことは誰にもできない。
しかし、ここに私のこの議論のポイントがある。われわれにはそれぞれ自分自身の夢がある。われわれは既に救われたとは信じていないので、それぞれ自らの救済策を案出することに努力したいと考えている。それゆえわれわれは、自由放任の資本主義と呼んでもよいような理想的な原理に従って何らかの統一的な均衡を実現しているとは思わず、または実現しようとしている世界の諸勢力の意のままにされたいとは思っていない。古い考えに固執している人々はまだいるが、今日の世界のいかなる国でも重大な勢力とみなされてはいない。少なくとも当面の間は、また現在の過渡的、実験的な局面が続く限り、われわれは自らを律し、外部世界からの干渉から可能なかぎり自由であることを望んでいる。
そこで、この視点から見るならば、国民的自給を拡大するという政策は、それ自体が目標なのではなく、他の理想を安全かつ適切に追求できる環境の創造を目指すものと考えるべきである。
私の考え出したドライな一例をあげよう。それは近年私の心を大いに捉えている考えと関連しているために選んだものである。私は、中央統制とは区別して、経済の細部については可能な限り私的な判断と企業を守ることに賛成である。しかし、私は次のように確信するに到った。すなわち、古いラインで作動していた自然的な力によって実現されるよりもかなり低い率に利子率が低下しなければ、私企業の構造を守ることと、技術的進歩が可能にしている物的な豊かさとは両立できない、ということである。確かに私が望ましく描いている社会の変容は、次の30年間に、利子率がゼロの近くまで低下することを必要とするかもしれない。しかし、通常の金融諸力の作動下で、リスクのようなものを考慮した後で利子率が世界で同一水準になるようなシステムのもとでは、それはほとんど起りそうもないことである。私はここでは詳しく論及できないが、複合的な理由により資本および貸付資金の自由な移動ならびに貿易財の自由な移動を容認する経済的国際主義は、次の一世代の間に、別の体制下で達成されえたものよりもずっと低い物的繁栄に陥れてしまうかもしれない。
しかしこれは単に例示にすぎない。私の議論の中心点は、次の諸点である。次の世代には広く言って一九世紀に存在したような世界的な均一の経済体制が形成される見込みはない。またわれわれが必要としているのは、将来の理想的共和国に向けての実験を有利に進めるために、できる限りどこか外部の経済的変化から自由になることである。さらに国民的自給と経済的独立をめざす運動は、過大な経済的費用を伴わずに成し遂げられる限り、われわれの課題を容易にするだろう。
 われわれの考えを新しい方向に向わせることについては、もう一つの説明がある。一九世紀にかなりの長期間、人々は私的行動や団体行動によって行われるどんな経済行動についてもその可否の基準として「金融収支」と略称される指標を利用してきた。すなわち、生活運営全体が会計士の悪夢のある種のまねごとになったのである。すばらしい都市の建設のために大幅に増加した資材と技術的資源を用いる代りに、一九世紀の人々はスラムを建設した。彼らがスラムの建設を正しと考え、スラム建設を奨励したのは、スラムが私的企業の評価基準からみて「ペイ」したからである。一方、すばらしい都市は、金融界の常套句に言う「将来を抵当に入れる」ようなばかげた贅沢と考えられた。偉大で栄光ある作品の今日の建設が何故将来のわれわれを貧しくするのかを、誰も(自分の考えが不適当な会計学からの誤ったアナロジーに包囲されるまで)見ることができないにもかかわらずである。今日でも私は、もし失業者や遊休している機械が(失業したままで支援されているときよりも)多くの必要な住宅の建設のために用いられるならば、国民全体が必ずもっと豊かになる、とわが同胞を説得するのに時間を使う(半分は成功せず、半分は確かに成功している)。というのも、現世代の人々の心はまだ偽りの計算によって曇らされているので、そのような運用がペイするかどうかを疑う金融収支システムに依存しており、正しい明確な結論を信用していないからである。われわれは貧しくなければならないが、それは豊かになることはペイしないからである。われわれは粗末な家に住まなければならないが、それは立派な家を建てられないからではなく、そのための支出の余裕がないからである
同じような自滅的な金融収支計算の規則は生活の隅々に及んでいる。われわれは田舎の美しさを破壊するが、それは占有されていない自然のすばらしさが経済的な価値を持たないからである。われわれは太陽と星を遮ることができるが、それは太陽と星が配当を支払わないからである。ロンドンは文明の歴史の中で最も豊かな都市の一つであるが、その住民は最高水準の達成能力があるのに、そうする実現する「余裕」がない。それがペイしないためである。もし今私にその力があったならば、各主要都市の市民がそれぞれ実現することのできる最高水準の芸術と文明の付随物でそれらを装飾しようと最も意図的に着手するべきである。私は、私の作り出すことができるものを実現する余裕があると確信しており、またこのように使われたお金が失業手当よりもよいからだけではなく、失業手当を不要にすると信じている。戦後にイングランドで失業手当に支出された金額があれば、われわれはイングランドの都市を世界における人類最高の作品にすることができただろう。
あるいはまた、われわれはもし(外国からの穀物輸入によって)パンを一銭でも安く手に入れるためならば、土地耕作者を荒廃させ、農耕に付随する長期にわたる人々の伝統を破壊することがわれわれの道徳的な義務であると最近まで考えてきた。このMoloch(生け贄の神)とMammon(富の神)に犠牲を捧げることが義務とならないもの何もなかった。なぜならば、われわれは、これらの怪物を崇拝することが貧困という悪に打ち勝ち、複利の結果、次の世代を安全かつ快適に経済的平和に導くと心から信じていたからである。
われわれは今日幻滅を味わっている。それは以前よりも貧しくなったからではない。それどころか、少なくとも大ブリテンでは、以前のどんな時期よりも高い生活水準を享受している。そうではなく、われわれが幻滅を感じているのは、他の価値が犠牲にされたように思われているためであり、また不必要に犠牲にされたと感じているためである。何故かと言えば、われわれの経済体制は、技術進歩によって可能となる経済的富の可能性を最大限まで引き出すことを可能としておらず、それに遠く及ばないため、もっと満足できる方法でマージンを使い果たしたほうがましだと感じさせるようにするからである。
しかし、いったん会計士の利益計算に従わないようになれば、われわれは文明を変え始める。そしてわれわれは慎重に注意深く意識的に行わなければならない。というのも、通常の金銭計算を賢明に保つべき広範な人間活動の分野があるからである。その基準を変える必要があるのは個人というよりも国家である。捨てなければならないのは、大蔵大臣をある種の株式会社の社長と見なすような思考である。いま、もし国家の機能と目的がこのように拡大されるならば、広く言って何を国内で生産し、何を外国と交換するのかの決定が政策目的の最高順序に位置づけられなければならない。
 国家の本来的な目的に関する以上の考察から、私は現代政治の世界に立ち戻ることとする。今日、多くの国が国民的自給に向かう衝動を感じているが、その衝動の根本にある思想を理解し正しく評価しようとするとき、われわれは一九世紀に実現された価値の多くを実際にあまりにも安易に捨てていないか注意深く考えなければならない。国民的自給の主導者が力を得た国々では、私の判断では例外なく、数多くの愚行が行われているように見える。おそらくムッソリーニは分別をつけつつある。しかし、今日、ロシアは、行政上の無能さ、および生き延びる価値のある生活を融通の利かない上層部のために犠牲にした点で、世界が経験したおそらく最悪の例を示している。ドイツは無責任のなすがままの状態である。ただし、ドイツを判断するには早すぎる。アイルランド自由国は、高い経済的費用を負担すれば実現するかかも知れないが、高度の国民的自給を実現するためにはあまりに小さい経済単位であり、もし実行されたら破滅しかねない計画を議論している。
 ところで、古いタイプの単純な保護主義を維持するか、すぐに採用しようとしているこれらの国々は、若干の新しい計画割当を追加してはいるものの、理性的に弁護できない多くのことを行っている。かくして、世界経済会議が関税の相互引き下げを達成し、地域的取り決めを準備しているならば、それは心から賞賛すべきことであろう。というのも、私は、今日の政治的世界で経済的ナショナリズムの名でなされていることすべてを支持していると考えられてはならないからである。全く別である。しかし、私は、現代世界の必死の実験に親しみを感じ共感している者、それを欲しその成功を欲する者、自分自身の実験を展望している者、そして終局的には金融報告が「ウォール街における最良の見解」と呼ぶのを常とする事物よりも地上のすべての事物を好む者として、私の批判を伝えようとしている。私が指摘しようとしているのは、われわれが不安をいだきながら向っている世界はわれわれの父親たちの理想的な経済的国際主義とは全く異っていることであり、また現代政治を昔の信仰の格言にもとづいて評価することはできないということである。
 私は経済的ナショナリズムと国民的自給に向う動きのなかに、その成功を危うくする三つのきわだった危険を見ている。
 第一は、愚かさ、教義家の愚かさである。真夜中の大仰な話しから何か突然行動の領域に移るような動きの中にこの愚かしさを見い出すことに何の不思議もない。最初、われわれは、人々の同意を得るために用いたレトリックの色彩とわれわれのメッセージの真理の内実とを区別しない。移行には不真面目なものは何もない。言葉は無思想に対する思想の攻撃であるから、当然ながら少し荒々しい。しかし、権力と権威を手中にしたならば、もはや詩的な破格表現はなくすべきである。
 したがってわれわれはわれわれのレトリックが軽蔑していた一ペンス(一銭)にいたるまで費用を計算しなければならない。実験する社会は、もし安全に生き延びるためならば、古い体制の社会よりはるかに効率的でなければならない。それは本来の目的のためにそのすべての経済的マージンを必要とするだろう。またそれは柔軟な頭脳と空論的な実行不可能性に道を譲ってはならない。空論家は行動に進むとき、いわば、自分の教義を忘れなければならない。というのは、行動の中で文字を覚えている者はおそらく彼の求めているものを失うからである。
 第二の危険は、愚かさよりも悪い危険は性急さである。ヴァレリー(Paul Valery)の次の警句が引用に値する。「政治的な紛争は重要なことと急を要することの区別についての人々の意識を歪め、乱す」。社会の経済的移行は緩慢に実施しなければならない。私が議論してきたのは、突然の革命ではなく、永続的なトレンドの方向である。われわれは、正気を失って、必要がないにもかかわらず急ぐという害悪をもたらしているロシアの恐ろしい例を眼にしている。移行のもたらす犠牲と損失は、ペースを強いられるときわめて大きくなる。私は漸進性の不可避性を信じているわけではないが、漸進性は信じている。これはとりわけ国民的自給と計画的な国内経済への移行に当てはまる。なぜならば、時間をかけて根づくのが経済的過程の性質だからである。急激な移行は多くの富の純粋な破壊をもたらすため、新しい状態は最初は古い時代よりも悪化するだろう。そして、壮大な実験の信用は地に落ちるだろう。というのは、人々は情け容赦なく結果によって判断するから、しかも初期の結果によって判断するからである。
 第三の危険、三つの中で最悪な危険は、指示された批判に対する不寛容と弾圧である。新しい運動は通常、暴力や暴力に準じた局面をへて権力を手に入れる。彼らは反対派を説得するのではなく、打倒する。宣伝を利用し、言論機関を掌握するのが近代的な方法であり、きわめて有害な(私はまだ旧式であり、そう信じている)方法である。人々の心の働きを思いのままに麻憚させるために思想を化石化し、あらゆる権威の力を用いることが賢明かつ有益であると考えられている。なぜなら、権力を奪取するためにはどんな手段であろうと必要であると知った者にとっては、建設という大義のために、予備的な家屋取壊しに使ったのと同じ危険な手段を用い続けることが非常に魅力的だからである。
 ロシアはまたも批判を拒絶することによって体制が大失敗したという実例を提供している。戦争中に両サイドに常に見られる無能さは、軍隊制度が高度に命令的であるために批判をかなり免がれたことによって説明できるかもしれない。私は政治家を過度に賞賛するつもりはないが、彼らはいつも批判にさらされて育ってきたという意味で軍人よりもはるかに優秀である。革命は軍人に反して政治家によって指揮される場合にのみ成功する。逆説的であるが、軍人たちが政治家に反して指揮して成功した革命がこれまでにあっただろうか。しかし、われわれはみな批判を嫌う。ただ根づいた原理だけによって私たちはよろこんで批判にさらされることになるだろう。
 だが、われわれが試行錯誤しながら向っている新しい経済モデルは、その本質において実験である。われわれはまさに何を望んでいるのかについて予め心中に明確な考えをもっていない。われわれは進みながら発見するであろうし、経験を積み重ねて形作っていかなければならないだろう。いまやこのプロセスにとっては大胆で自由でかつ痛烈な批判が究極的な成功の必要条件である。われわれは、時代の輝く精神の共同作業を必要としている。スターリンは、すべての自由な批判的精神を、たとえ一般的に見て好意的であっても排除した。彼は精神の進行を退化させる環境を作り出した。頭脳の柔軟な回路を硬直化させたのである。拡声器によって増幅された叫び声が柔らかい人声の抑揚にとって代った。宣伝の大声は野鳥や獣たちをも麻憚させている。スターリンの試みは実験を行おうとする人々にとって恐ろしい例であるが、それはスターリンのことである。とにかく私は、すぐに私の古い一九世紀の理想に戻ることになると思っている。この理想の中では、心の行動が心のままに私たちのために遺産を創出したのであるが、現在、われわれは父親たちが私たちのために入手したものによって豊かになりながらも、その遺産を自分たち自身の適切な目的にそって変えようとしているのである。

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