結局、ケインズとハロッドの議論は、現代経済の長期動態に関係することになります。
その要点をもう一度まとめておきます。
長期の意味。
ここでは文字通り、短期・中期と比べて長期の時間を意味するが、以下に述べるように、長期では(設備)投資によって技術革新(労働生産性の上昇)が達成されるので、理論上は、投資によって技術革新が生じる長さの時間(統計上は一年以上か)と考えればよい。
供給側と需要側
現実の経済動態を見るには、政策、制度の進化などを見なければならないが、ここでは(時間の関係で)それらを捨象し、供給側と需要側の変化に限定する。
供給側とは、現代の資本主義経済では、もちろん営利企業が生産能力を生み出す/拡大する側の要因であり、いかなる時代でも成立するように、「生産する能力のないモノは生産できない」。
ハロッドやドーマーは、一国全体では、資本装備(資本ストック)の量(実際には金額)が生産能力(その資本装備を使って生産できる量。実際には金額)と比例関係にあることを発見した。
Y*=K/Cr またはY*=σ・K σ=1/Cr
(ここでは前者の式を用いる。)
例えばσ=0.3なら、Cr=3.3に等しい。
ここでCr(資本係数)は、時期や地域・国によってわずかに異なるが、ここでは説明の都合上、一定とする。(わずかに変化しても議論に支障はないが、説明が複雑になるので、そのように想定する。)
一方、有効需要の側だが、教科書経済学でも教えられるように、
Y=C+I+G+XーM (有効需要→実際の生産)
ただし、やはり以下の説明を簡単にするために、政府Gと貿易X−Mは捨象する。
現代の資本主義経済(企業者経済)では、この両者が一致するのは偶然にしかすぎない。しかも、通常は、Y*>Y である。(なぜならば、企業経営者は、生産能力に余裕を持たせてプラントを設計させている。)
したがって通常 U=Y/Y* 利用率は1より小さい。 U=Y/Y*<1
投資の二重性
以上から容易に分かるように、(設備)投資の役割は二重である。一つは生産能力を拡大する役割、もう一つは有効需要の一項目。投資需要 I は、注文を受けた企業の機械生産を可能とするとともに、注文し投資した企業の生産能力を高める。
ただし、通常、企業が投資するのは、消費財の生産が増えており、将来も増えると期待されるときである。このとき企業は生産能力を拡大するために投資する。
要するに、長期動態を見るとには、供給側だけでなく、有効需要の側もみなければならない。
自然成長率の概念(ケインズとハロッド)
以上では、長期動態を考える場合に必要な労働力を見なかった。しかし、むしろ労働力の変化こそ長期動態を考える場合に最も重要な要素である。
ただし、ここでは労働力がどのような要因によって変化するかという大問題を取り上げることはできない。あまりに複雑すぎるからである。(これは別の機会に論じる。)
そこで以下では労働力の変化を所与のもの(外生的なもの)と考え、かつまた日本で生じているように人口(→労働力)が停滞・減少するものと仮定する。
また社会全体の生産能力ではなく、一人あたりの潜在的な労働生産性も一定と仮定する。(この仮定もはずしてもよいが、簡単に説明するため。)ケインズは、長期統計から一人あたりの労働生産性上昇率が一年に1%と推計した。
すると、人口(=労働力)の変化から考えると、社会全体の長期にわたって可能な成長率=自然成長率は、次のように示されることになる。
Yn=N'+ρ 自然成長率=労働力の増加率+労働生産性の上昇率
もし人口が毎年1%ずつ減少し、労働生産性が1%ずつ成長するならば、合計(可能な成長率)はゼロ成長である(つまり定常経済)。また労働生産性が2%ずつ成長しても、合計は1%である。これ(自然成長率)が現実の成長率が可能となる限度である。
補足を一点。かりに失業者がかなりいれば、失業者を雇用し自然成長率を高めることは可能となる。しかし、それは長期的には(失業者がいなくなれば)不可能である。
企業の求める成長率が現実の成長率(=<自然成長率)より高い場合
しかし、もし企業が利潤の急速な増加を求めた場合はどうなるだろうか?
例えば現実の成長率(自然成長率に等しいとする)が1%であり、企業が3%の成長率を求めるような場合である。
この場合、3%の成長率を長期的に達成するためには、企業(社会全体)はそれに相応の(設備)投資を実現しなければならない。もし生産能力に余裕があれば、それほどの設備投資は必要ないが、長期的には生産能力は枯渇する。
要するに、資本ストックの3%に等しい投資(したがって貯蓄)が必要となる。
計算すると、I=S=0.03×K
ところが、Y*=K/Cr=K/3.3 とすると、I=0.03×K=0.03×3.3×Y*=0.1×Y*
つまり、国民所得の10%の貯蓄が必要となる。
さて、この貯蓄=投資が実現されたとしよう。それは年に3%ずつ生産能力を高める。しかし、実際の生産(←有効需要)は1%しか増えていない。これは明らかに投資が過剰だということを意味する。巨額の費用を投じたのに売れないという事態である。
この時、企業は過剰投資を修正するために、次期に投資支出を減らさなければならない。それは機械類に対する需要の縮小を余儀なくする。景気は悪化するだろう。
では、逆に、貯蓄=投資が1%の生産能力しかもたらさない規模(国民所得の3.3%)でしかなかった場合はどうであろうか?
このときは、もし企業がその状態に満足すれば、特段の問題は生じない。だが、企業がもっと多くの貯蓄=投資を実現しようして、利潤の増加のために賃金を圧縮するような場合は別である。このときには、(社会全体の)労働者の賃金所得が圧縮されるにつれ消費需要が低迷・縮小して、景気が悪化するだろう。
社会全体の行動が不変であるときに(ceteris paribus)個別企業にとって成立することでも、社会全体で合成されると(ceteris paribusは成立せず!)誤った結果がもたらされることは言うまでもない(合成の誤謬)。
実は、1997年以降に日本経済に生じたことは、以上で説明したことと大いに関係している。またそれは藻谷氏の指摘・問題提起と重なりあう。
ケインズ、ハロッド、ドーマー、カレツキなどがかつて指摘(危惧)したことを古いなどとあなどってはならない。
参考文献
ジェームス・ガルブレイス、他『現代マクロ経済学』第4章(TBSブリタニカ、1998年)。
根井雅弘『経済学とは何か』(中央公論者、2008年7月)。
伊東光晴『アベノミクス批判』第4章「人口減少下の経済」(岩波書店、2014年7月)。
藻谷浩介、他『金融緩和の罠』第1章(集英社新書、2013年)。
ケインズとハロッドについてバックナンバー。
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