昔、岡倉天心(たしか)が「アジアは一つ」といったことは有名です。しかし、現実のアジアはいろんな意味で一つどころではありません。ヨーロッパはどうでしょうか? ヨーロッパも多様です。
試しにエマニュエル・トッド氏(Emmanuel Todd)の『新ヨーロッパ大全』や『世界の多様性』(どちらも藤原書店の出版)を見ると、宗教、家族形態や相続慣行、イデオロギーなどの点で、ヨーロッパが実に多様であることがわかります。すべての国・地域を見る余裕はありませんが、イギリス(連合王国)、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ギリシャだけでも、ざっと次の通りです。
優勢な宗派/(伝統的な)相続慣習・家族
連合王国 旧教(カソリック)、新教(カルバン派)の諸教派、イングランド国教会 /不平等相続と核家族、不平等相続と直系家族
フランス 旧教(カソリック)、カルバン派の諸教派・核家族と平等相続、直系家族
ドイツ 新教(ルター派)の諸教派/一子相続と直系家族
イタリア 旧教(カソリック)/平等相続と核家族、共同体家族
スペイン 旧教(カソリック)/平等相続と核家族、一子相続と直系家族
ギリシャ ギリシャ正教:平等相続と核家族
もちろん、人口統計学的相違や雇用率・失業率・参加率、一人あたり国民所得の水準、教育、産業構造などの相違など数えあげれば、きりがありません。(ここでは、具体的な統計データは省略します。)
そのような多様な国・地域が経済統合を成し遂げ、さらには単一通貨(Euro、€)を使うようにすることにどのような意味があるでしょうか?
よく行われた言説(レトリックというほうがよいかも知れません)は、たくさんありましたが、主要なものが次の2つに要約できるでしょう。
・人・モノ・お金の国境を越えた自由移動は、経済を効率化し、経済を成長させる。
(規模の経済、周辺国のより高い成長率とヨーロッパの高水準への収斂)
・(単一通貨の場合)為替リスクの消滅;為替業務コストの低下
その他に、米国に対抗できる広域的な市場の創設、米ドル($)に対抗できるヨーロッパ単一通貨の創設の意義、(フランスからは)東西ドイツの統一によるドイツの勢力拡大に対するバランスの維持など、さまざまな思惑があったことも間違いないでしょう。
しかし、このような様々な利点は、抽象的な言辞としては、きわめてよく理解できます。しかし、それが本当に実現するか否かは、まったく別の問題です。
しかも、「ユーロ圏」(ここでは主に通貨統合を検討します)は、決して政治・財政統合を伴いつつ創設された通貨圏ではありません。今では昔となってしまいましたが、以前、「最適通貨圏」(optimun currency areas)の議論を展開した経済学者(R.A.Mundell*)がいましたが、現実に生まれたユーロ圏がこの「最適通貨圏」であるか否かが、きわめて大きな問題となります。
ここで、回り道になりますが、ちょっと昔のことを思い出しみましょう。戦後成立・発足したブレトンウッズ体制は、「準固定相場ドル本位制」とでも名づけられるものでした。ここで、ドル本位制という意味は、純金1オンス=35米ドルという平価にもとづいて、各国の中央銀行が米国の連邦準備銀行にドル為替の金との交換を要求できるという約束がなされていたことに関係しています。また固定相場制が採用され、例えば1ドル=360円とされていたことは、よく知られている通りです。各国は、それを維持するような政策を行うことを求められていました。
しかし、固定相場は絶対に維持しなければならないものではありませんでした。戦時中の米英仏間の交渉でも大きな問題となりましたが、戦後に構築されるべき国際通貨体制においては、貿易収支(または経常収支)は均衡すべきという理念がありました。ケインズ案(ケインズ全集、第40巻)では、国際収支の赤字国だけでなく、黒字国にもペナルティが課され、黒字のかなりの部分を途上国支援に差し出すことが求められていたほどです。ところが、実際に実現されたブレトンウッズ協定では、赤字国だけが、自国通貨の切下げによって国際収支の均衡を達成するべきことが求められました。
詳細は略しますが、戦後、英国はしばしば国際収支の赤字に陥り、彼らのプライドを大いに傷つけることになりました。つまりIMFから厳しい条件をつけられながら、貸付を受け、かつポンド(£)を切下げることを余儀なくされたのです。(詳しくは、宮崎義一氏の『現代の資本主義』(岩波新書)を参照。)
このエピソードは、政治・財政統合を果たしていない諸国間では、国際収支の不均衡が通貨危機をもたらしたとき、「為替調整」が国際収支の不均衡の問題を処理するための最終的な手段の一つであることを示しています。
しかし、上で示したように、ユーロという単一通貨を用いるユーロ圏では、為替調整自体が存在しません。(少なくとも名目為替相場についてはそうです。)そこで、例えばある国(G)の国際収支が赤字となり、その赤字(債務)を基本的にその国(G)の政府が負っているようなケースを考えます。その場合、通貨危機は、すぐに政府の財政危機(ソブリン危機)に直結します。しかし、為替調整は、少なくとも統一通貨圏の内部では、ありえません。それに同じ統一通貨圏の別の国の政府が支援する義務もありません。それぞれの国が責任をもって政策を行うしかないのです。
かりに日本が統一通貨(円)を持つけれども、財政は地方ごとに完全に独立しているといった仮想の事例を考えましょう。あるとき、何らかの事情で、ある地方(H)が何らかの事件(金融危機・経済危機でも自然災害でもかまいません)のために歳入の減少や支出の増加などで財政的に破綻したとします。しかし、他の地方やその財政、中央政府からの支援の義務はありません。H地方は、緊縮財政政策を取ることを余儀なくされ、さらなる苦境に陥ることになります。これは、現在、ギリシャなどの置かれたのと同じ状況です。もちろん、現実の日本はこのような世界ではありません。中央政府が存在し、(十分かどうかは別として)それなりに再分配の機能を果たしています。
しかし、話が先ばしりしすぎたかもしれません。
多様な地域・国が単一通貨(ユーロ)に統合されるための準備を始めたとき、さらに実際に統合がなったとき、何が生じたのかをきちんと見極める必要があります。はたして経済統合・通貨統合は「ユーロ圏」の周辺諸国の経済を発展させ、収斂を実現したのでしょうか?
ヨーロッパにおける現実の単一通貨圏(ユーロ圏)の形成は、1989年頃、つまりドイツ統一(西ドイツによる東ドイツの併合)の前後にまでさかのぼります。その中で出て来たのが、「マーストリヒト条約」でした。(続く)
*Mundell, R. A. A Theory of Optimum Currency Areas, American Economic Review, 1961, 51 (4).
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