小泉純一郎は、小泉構造改革を始めた頃、「抵抗勢力」というキャッチーな言葉をしきりと使った。敵ながら、ある種の「政治的性格」(political character)を持っていたことは認めなければならない。このキャッチコピーに騙されて支持した人も多いかと思う。しかし、それがまやかしのキャッチコピーにすぎないことを以下で説明したいと思う。
さて、「抵抗勢力」とは何かを少し考えてみる。
英語では、まず 'forces of resistance' などと訳すことができるだろうか?
文字通り、抵抗の勢力、抵抗する勢力であり、レジシタンスなどというカタカナ語からは、ナチズム、ファシズムに抵抗する人々という肯定的なイメージも浮かんでくる。
しかし、小泉純一郎がこの言葉を用いた文脈ではそうではない。それは「守旧派」、つまり反動的な勢力、推進するべき改革に抵抗する勢力といったところだろうか。
英語には、insurgent という単語もあるが、こちらは反乱者、造反者という意味合いがあり、政府に反乱を起こした者、党内で造反した者という意味のようである。彼が「自民党をぶっ潰す」といった時には、彼自身が造反者だったという見方もできるが、彼の側から見れば、構造改革に造反する者を抵抗勢力といったとする見方も可能かもしれない。
さて、私がここで言いたいことは、実は、そんなキャッチーな用語の語義の事ではなく、もう少し経済の歴史に即したことである。
「構造改革」(restructuring)の思想は、自由市場礼賛、市場原理主義、市場優先主義の思想に由来することは、今ではよく知られるようになっている。この思想は、19世紀後半の新古典派経済学にまでさかのぼることができ、またこの新古典派の思想は、それ以前の古典派経済学、またはむしろ そのバルガライザー(vulgarizers)、つまり古典派経済学の難解な経済学を通俗化しようとした人々にまでさかのぼる。
自由市場が経済を効率化し、安定化し、成長させ、自然的な分配を実現する、等々という思想は、19世紀に一連の経済学者によって打ち立てられた。もちろん、そのためには、現実の経済社会の実相とは異なる様々な想定(虚構)が必要であった。そのような虚構との中でも重要なのは、規模に関する収穫逓減(費用逓増)、セイ法則(供給がそれ自らの需要を創出する)、需給による価格決定などである。
しかし、19世紀は同時に、これらの想定が経済社会の実相とは異なる虚構にすぎないことを明らかにする経済学をも生み出しはじめていた。マルサス、マルクス、ヴェブレン、リストなどこちら側の経済学者も多数いる。
しかも、これらの流れは、20世紀前半に圧倒的となった。もちろん、スラッファ、ケインズ、カレツキ、ヴェブレン、ジョウン・ロビンソン、カルドア、ハロッドなど蒼々たる経済学者の尽力によるところも大きいが、それ以上に市場原理主義にもとづく経済運営が破綻したことの意義も大きい。このことは、1929年10月の米国の大恐慌が自由な金融活動と金融バブルの膨張による金融破綻によって生じ、1930年代初頭に大不況にまで進展したことを考えれば、容易に理解することができる。それはドイツにおけるナチズムの形成の一大要因となってしまった。また19世紀末から20世紀前半にかけて政治的民主主義が進展するとともに、産業民主制の思想が伸張したことも作用した。
かくして市場原理主義(およびそのひどい帰結)は、人々の脳裏に焼き付けられ、自由な市場ではなく、「規制された市場」(regulated market)と「産業民主制」こそが人間の顔をした経済であることを人々は理解した。
だが、である。ここで三つのことを指摘しなければならない。
まず歴史は忘却されるということである。第二次世界大戦後の規制された資本主義経済の高成長、「黄金時代」の到来とともに、新古典派の経済学者の中には、それが「自由市場経済」によるものであるという主張をなすものがふたたび台頭していた。また人々も、ソ連や中国の失敗を見ながら、その主張に同調しはじめた。
もうひとつ、企業、とりわけ大会社の利害関係者(経営者、株主)や金融にとっては、市場に対する規制ほど我慢ならないものはなかった。高い法人税率、高い限界所得税率、一連の労働保護立法(これは企業の社会的負担を意味する)、金融規制(各国によって方法は異なる)などに対する不満を並べるのは、言うまでもなく、彼らの仕事である。
そして、1970年代に石油危機が生じ、インフレーションと不況、景気停滞が同時に生じると、 古い自由市場体制を懐かしむ経済学者・理論家、企業者、政治家の声は絶頂に達した。
これが、1980年代の英米の新自由主義政策と「構造改革」(restructuring)の思想の台頭を許した背景である。
日本では、1990年代の金融危機(それ自体が米国の新自由主義によって強要された金融自由化の所産だったが)の結果、経済成長率が低下し(それでも今よりは高かったが)、企業や金融機関が不良債権の処理に悩まなければならなくなるとともに、いっそう新自由主義=構造改革の思想とそれを受け入れる背景は強まった。
しかしながら、それは今日までに経済成長を加速するものではなく、むしろ格差を拡大させるようなものであったことがわかっている。
結論しよう。新自由主義=構造改革派こそが、大きな経済史の流れの中では、19世紀末~20世紀初頭のレジームに戻そうとする「抵抗勢力」に他ならない。この抵抗勢力は、現在でも、大きな勢力でありつづけている。いや、資本主義経済が続く限り、それはなくならないであろう。
しかし、それを修正しようとする反対勢力(forces of resistance)も決してなくなることはない。その証拠に、どんなに構造改革を推進したといっても、現実の市場は「規制された市場」(coordinated market)にとどまっている。政府の財政規模は、先進国の中で最も低い財政比率を持つ日本でも、30パーセントを超えているのである。
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