安倍晋三氏が「成長」を政策目標としてきたことは、これまで繰り返し説明してきたとおりである。
しかし、経済政策を分析する者は、それにとどまらず、さらにその先を、すなわち、その目的が如何なる妥当と思われる手段によって達成されるのかを問うと同時に、その目的が政策立案者の如何なる価値理念と関連しているのかを問わなければならない。これは、かつてマックス・ヴェーバーが「社会政策」を論じたときに、提起した事柄である。もちろん、その価値理念が政策達成手段とどのような関係にあるかも問わなければならないことは言うまでもない。
さて、「チーム・アベノミクス」(安倍、黒田、岩田、浜田、他)が全体としてどのような価値理念を共有しているかは、必ずしも明らかではないが、安倍晋三氏については、かなり明らかである。一言でいえば、それは日本の軍事大国化であり、改憲、とりわけ戦力(軍隊)の保有を禁じている憲法9条の改訂し、合憲的に海外で戦争することができるようにすることにおかれている。
このことは、浜矩子さんが「アホノミクス」を分析した著書の中で、はっきりとさせている。詳しくはそちらに譲ることにして、ここではできるだけ簡単にすませることにしたい。
「新・三本の矢」の一つ、(名目)GDP600兆円もこの軍事をねらいとして出されてきたものである。
このような「価値理念」(ここではさしあたりそれに対する価値評価を保留する)に沿った政策手段は、もちろん、例えば格差の縮小や、社会保障の充実を目的とした政策手段とはおおきく異なることとならざるをえない。
例えば、これまでの日本で大きな問題とされてきた正規従業員と非正規従業員の所得格差を解消するための政策を採用する場合、それもまた名目GDPの増加をもたらす政策になることが予想される。
簡単のために、実質GDPの増加がない場合を考える。出発点において例えば70%を占める正規従業員の賃金率を(例えば)2500円/時間とし、30%を占める非正規従業員(労働時間はフルタイムの半分とする)の賃金率を(例えば)1000円/時間とする。もし後者を2倍に上げる(2000円/時間)とすると、企業の人件費総額は、8%ほど増えることになる。それが平均して8%のデフレーターの変化(物価上昇)をもたらすとすると、名目GDPも8%ほど増えることになる。500兆円のGDPは540兆円となる。増加した40兆円は、主に低賃金の非正規雇用者の所得の増加に充てられることになる。それは所得再分配政策の結果生まれたインフレーションということができる。
しかし、アベノミクスが志向しているのは、このような方策ではない
確かに安倍晋三氏は、様々な演説の中で、社会保障の充実に触れないわけではない。しかし、それは社会保障政策の充実を重要視している国民・有権者に対するいわば「おまけ」、「隠れ蓑」、「リップサービス」であり、彼の軍事優先政策を実現するための有権者の瞞着にほからない。
安倍氏が成長、名目GDP600兆円にこだわるのは、それが軍事費の拡大を許容することにつながるからである。GDPが名目であれ増加しないことには、国民の間での軍事費増は反感を買うだけである。そのことは、安倍氏もよく承知している。
だが、安倍氏の場合には、それはきわめてわかりやすく演説等に現れている。その最大の目的が軍事(「強い国を取り戻す」)にあることは、氏の発言や具体的な政策項目にきわめてよく示されている。しかも、それはなりふりかまわず名目GDPを増やすための様々な資源を動員しようとする政策と結びついている。
1,統計の動員(規準の改定など)
もっともてっとりはやいのは、GDP統計の処理法である。これによって、かなりの程度のGDPの水増しが期待できる。実際、これは米国ではずっと以前から実施されてきたことであり、必ずしも新基軸ではない。もちろん、専門家は騙されないが、一般の国民すべてが専門家というわけではない。
2,兵器輸出、原発輸出、観光業の促進
安倍氏は、兵器であれ原発であれ、それが世界の平和運動に逆行しようと、いっさいおかまいなしに輸出を促進する。
観光業もまた輸出サービスの一つである。その結果かどうかは別として、現在日本には中国や韓国を中心として東アジア、東南アジアから多数の観光客が日本を訪れいている。こうした政策志向が、安倍氏によって潜在的な敵国と見なされている(らしい)中国や、(安倍氏を熱烈に応援してきた)ネトウヨなどが嫌っている韓国からの観光客に依存しているいことは皮肉である。
3,「一億総活躍社会」、労働の強制、企業に対する激=指令
「働き方改革」などというと、ちょっと聞くと聞こえはよいかもしれないが、内実は「働かせ改革」となっている。労働者を「付加価値製造装置」なみに扱い、何としてもGDPを拡大してみせたいという安倍氏個人の期待がみえみえである。
浜矩子氏がしているように、「同一労働同一賃金」も「世界一企業が自由にできる国」を標榜するだけあり、企業経営者の意向にそった制度構築に他ならない。労働に即した制度構築ではなく、企業の付加価値および利潤の産出に対する貢献という観点からの「同一労働同一賃金」がおよそどのような帰結をもたらすかは、はっきりしている。
年金給付開始年齢を75歳に引きあげるという提案も、決して国民のためのものではない。たしかに、それは有権者の多くを反対に向かわせるのではなく、むしろ高齢者vs生産年齢人口との間に亀裂・対立をもたらす可能性(危険性)もある。しかし、現在の生産年齢人口も将来の高齢者である。それは年金制度の基礎を掘り崩し、その結果、現役世代の消費をけずってでも貯蓄をするという性向を高めるかもしれない。だが、その結果はさらなる消費の低迷と、その結果として生じる設備投資の低迷、労働生産性の停滞を導く確率・蓋然性がきわめて高い。
安倍氏は、日本人が長期停滞の中で「自信」を失っており、その自信を取り戻させると言い、また明治や昭和の日本人に出来たことが現在の日本人にできないはずがないと檄をとばしているが、日本人が失ったのは「自信」などという心理的なレベルのことではない。もし失われたものが「自信」であるならば、たしかに「自信」をつけさせるのは大切なことであろう。
しかし、本ブログでも述べてきたように、日本社会が失ったのは、橋本・小泉構造改革によって破壊された様々な領域における様々な制度である。その中でも、労働生産性の上昇を労働時間の縮小や賃金引き下げにつなげるような制度的破壊がすさまじい。人々はただこの制度的破壊に対応した行動をとっているにすぎない。
政府は相も変わらず「トリクルダウン」の類推に頼っているが、そんなものは自動的には生じないし、生じる道理もない。経済は穴のあいた「たらい」ではない。たらいならが、降雨とともに雨水が下に漏れるだろう。しかし、企業が貯めたマネーは、企業が賃金(人件費)として従業員に配るように決定しない限り、いつまでたっても庶民にはまわってこない。こんなことは、中学生や高校生でも理解できる初歩的な事実である。いつまでも国民を騙し続けることはできない。(だから政府も公式の答弁では、トリクルダウンを否定している。)
こうした状況の中で、「自信」を失っているからとして、「自信を取り戻しなさい」と檄をとばし、「一億総活躍社会」といって人々に労働を指示し、企業に指令する。現在では人は自分のことは自分で決める。そのための制度的な基礎を構築するのが政府の役割である。指示・指令は、余計なお節介であり、まるで一昔前のソ連のようだ。そこでは、党中央や中央の計画機関が様々なスローガンをかかげて檄をとばしていた。もっとも、それに対するめざましい反応はなかったため、ソ連は崩壊したのであるが・・・。
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