その決定的瞬間は、2001年1月の中央省庁再編のときでした。
このとき経済企画庁が消滅し、内閣府に事務が引き継がれました。
2003年2月の衆議院予算委員会の審議(小泉構造改革の最中です)
竹中平蔵(経済財政政策担当大臣)の発現
「いまの労働市場は、構造的に大変厳しい需要と供給のミスマッチを抱えている。それをとにかく放置しておいては大変失業率が上がる。それを何とか食いとめるために様々な措置を講じたい。その中の重要なものを予算の措置でお願いしているわけですが、この構造的な部分というのはかなり根強いものがありまして、結果的に失業率は若干高まるということを甘受せざるを得ない。・・・」
ここには、大変問題となることが述べられています。
1 失業は構造的なものであり、需要と供給のミスマッチによる。
2 そのための政策措置(だけ)を講じる。
一体「構造的」とは何のことでしょうか? 「ミスマッチ」ということでしょうか? つまりいわゆる「摩擦的失業」と考えられて来たものでしょうか?
もしそうだとしたら、竹中氏はそのことをどのようにして解明したのでしょうか? かれは唯そう断定しているだけであり、何も証明はしていません。
私のブログでも縷々説明してきたように、失業をそのような「ミスマッチ」、「摩擦」、「構造」によって説明することにはほとんど根拠がありません。どのようなミスマッチがあったというのでしょうか? もしそうならば、特定の産業や地域に失業があり、他の産業・地域では労働力不足があったはずですが、それはどの地域・産業にどの程度あったのでしょうか?
本当は、ケインズの理論が明らかにしたように、失業率の上昇は、1992年以降の金融危機に端を発する長期不況・停滞の中で、人々の消費支出が停滞し、企業の長期期待(投資誘因)が低下していたからに他なりません。1997年以降の金融危機の再燃、不況、さらに2000以降の金融危機の再燃、不況がこれに加わりました。
ところが、そうした本質的な要因を一切無視して、ミスマッチによって説明するということは、別の地域・産業・職に移動すれば、失業が解消するのに、解消しない人々(特に若者)の責任だと、責任を転嫁するものです。
私の出席した審議会等(何とは言いませんが)でも、さかんに「ミスマッチ解消」のための措置が盛んに喧伝されるようになり、私は嫌気がさしてきた覚えがあります。2001年〜2003年といえば、1990年代末以降の企業の「雇用戦略の転換」に応じて非正規低賃金労働の拡大によって日本全体の賃金所得(勤労所得)が大幅に低下しはじめた時期です。むしろ、それによって勤労者の消費支出が減少し、日本経済の健全性が損なわれ始めていた時期です。
とにかく、この時期は、日本政府が公式に完全雇用政策を積極的に放棄したという意味で記憶に残る年月です。私たちはそのことを知り、決して忘れてはなりません。
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