マスコミでは、しばしば次のような半ば「常識」(「社会的信条」というべきか)となった言説が流されます。
・「少子高齢化社会で、少数の若者が高齢者を支えなければならなくなっている。」
・「65歳までの雇用義務化。若者を中心に雇用を圧迫か?」
ただし、この2つの言説が同じ番組や紙面で同時に報じられることはありません。明らかに矛盾しているからです。しかし、人はそれに別の番組、別の時間に接すると、それぞれについて「なるほど」と受け入れてしまいます。(このような矛盾した報道は、他にもあるのですが、ここでは上の例にとどめておきます。)
この2つの言説が組合わさるとあやしい主張となることを示しましょう。
まずは上の2つの言説が矛盾していることを示します。
たとえば100人の村(または町)があり、そのうち、60歳以上の人(高齢者)が20人、労働年齢人口(15歳〜60歳)が60人、若年者(15歳未満)が20人だとしましょう。現役世代60人が20人+20人=40人を支える必要があります。一人あたり2/3人になります。
少子高齢化がすすんで、100人の村の構成が次のようになったとしましょう。例えば高齢者が35人、若年者が15人、現役世代が50人です。現役世代50人が50人を支えることになります。一人あたり1人になります。
このとき60歳〜65歳の人(例えば5人)が現役世代にとどまれば、55人が45人を支える勘定になります。一人あたり9/11人となり、一人あたりの負担は軽減されます。それで問題があるのでしょうか? (ただし、ここでは、60歳〜65歳の人が働きつづけたいかどうかは、問わないことにします。)
ところが、今度はそれが若者の雇用を圧迫するという言説が出てきます。
こんな馬鹿な論理があるでしょうか?
よく考えてみましょう。例えば戦後から1980年代まで、日本の労働力人口はずっと増加してきました。が、だからといって、その時に雇用が圧迫されて、失業者が街にあふれるというような状態になったでしょうか?
もちろん、そんなことはありません。当時、日本は世界でもまれなほど低い失業率を誇っていました。
どうしてでしょうか?
理由は簡単です。雇用は、所得をもたらします。そして所得は支出され、消費財に対する有効需要を構成します。有効需要があれば、企業がそれに応じた生産を行い、それに応じて人々を雇用します。
もう少し詳しく企業がどのように雇用を決定するのを見ておきましょう。
ケインズ『一般理論』の第18章は、それをきわめて現実の経済に即してリアルに説明しているので、それにもとづいて説明します。
簡単に言えば、ここでの要点は、雇用は企業家のいだく「期待」に依存しているということにあります。
「期待」という理由は、企業は特定量の生産を開始する前に資本装備や労働力を準備しなければならないからです。企業がこれから始まる期間(月、四半期、年など)に自分の会社の生産する商品に対して有効需要が十分あると判断すれば、それに応じて労働者を雇います。そして期待が高ければ、雇用量も増加します。戦後、1980年代まで労働力人口が増えても失業率が高くならなかったのは、このような期待があったからであり、そのような「期待」が今度は経済成長と雇用の拡大を実現したからです。
けっして60歳〜65歳の人々が労働市場に残っても、それがただちに若者の雇用を圧迫するわけではありません。
65歳定年延長が若者の雇用を圧迫すると心配するマスコミ人はおそらく、何となく雇用量が一定だと考えて、単純な引き算を行ったのでしょう。もしあらかじめ雇用量が一定だと仮定すれば、その仮定が成立する限り、定年延長は若者の雇用を間違いなく圧迫するでしょう。しかし、そのような仮定が間違っていることは言うまでもありません。
もちろん、65歳に定年延長をするときに、その給与水準や労働内容については、それ相応の配慮が必要になることは言うまでもありません。
私の言うことが正しいことは、現実の統計からも言えます。
「就業構造基本調査」などが示しているように、そもそも若者の雇用が1990年代から現在にかけて劣化してきました。つまり、20代、30代の男女を通じて非正規の低賃金労働が拡大してきたのです。実は、そのこと自体、そしてそのような状態をもたらした日本企業の「雇用戦略の転換」(非正規・低賃金労働の拡大による人件費の圧迫)が大きな問題です。それは、日本全体の勤労所得を圧縮し、消費支出を縮小し、それによって企業自らの「期待」を大きく縮小させてきたからです。
最初に掲げた言説は、とにかく「高齢者の存在が問題だ」と主張し、問題の本質をそらしたり、政府に失業や低賃金労働拡大の言い訳を許す言説以外の何物でもありません。
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