2013年4月16日火曜日

公正な社会と生活保障賃金 6 アメリカの経験の調査・研究

 最低賃金の大幅な引き上げが何故雇用に悪い影響を与えなかったのか?
 その理由は決して理解しがたいものではありません。追跡調査は次のことを明らかにしました。
 1 たしかに賃金の引き上げは、経営にとって費用の増大を意味するものであることは否定できません。しかし、それは同時に人々の所得の増加を意味します。そして人々の所得の増加は、まわりまわって消費支出の増加を意味し、企業(全体)にとっては需要の拡大を意味します。特に最低賃金の引き上げによって利益を得ることのできる所得階層は、所得を貯蓄せずに消費にまわします。
 2 このように述べても、賃金の引き上げを行なった会社と、それによって需要を拡大し利益を得る会社は異なるのではないかという懸念・心配をする人がいます。特に最低賃金が連邦(全国)規模ではなく、州や郡、市に限られている場合、そのような心配があるかもしれません。
 たしかにこの点は否定することはできません。しかし、次の点を考える必要があります。それは、最低賃金の引き上げによって利益を得る労働者は、従業員の中の一部だということです。また会社の費用は賃金だけではありません。費用の中には、賃金以外に物的費用(減価償却費、原材料費、その他)が含まれています。したがってRobert Pollin教授の計算では、ある都市の場合、最低賃金の大幅な引き上げをすべて商品価格に転嫁しても、1%程度に過ぎませんでした。
 社会的公正さを求めて最低賃金を引き上げるとき、その市民のこの程度の価格引き上げを許容できないことはありません。もし、それを許容できないというならば、2008年のリーマン・ショックによって多数の人々がどれほどの被害を被ったかを思い出すべきです。またリーマン・ショックや人々が蒙った災難の原因となったマネー・ゲーム、「強欲資本主義」の作用を思い出すべきでしょう。
 しかも、さらに重要なことは、最低賃金の引き上げが当該従業員の生産性を引き上げたという事実です。それは従業員のabsenteismをなくし、勤務態度を改善しました。経済学でいうところの「効率賃金仮説」が実証されたわけです。それは部分的には上の1で示したように有効需要を拡大するという効果によるところがあったかもしれません。その結果、多くの企業は1%の価格引き上げさえ不必要でした。
 3 このように最低賃金の引き上げに対する反対キャンペーンが反対の根拠としていた事柄、すなわち当該州や郡、市から企業が流出するという懸念も現実のものとなりませんでした。
 調査に対して、ほとんどの当該企業や当該企業の従業員は、経営状態が悪化してはいないと述べ、雇用の削減・解雇がなかったこと、企業の他所への流出が生じなかったことを明らかにしています。もちろん、その理由は上の事情にありますが、仮に費用のいくばくかの上昇があったとしても、企業は利益があがっている限り、流出しません。そもそも流出する理由がありませんし、それに流出するには法外な費用がかかります。その中にはかつて実施した設備投資などの埋没費用を無駄にしなければならないという事も含まれます。またその上で新しい地で設備投資などの巨額の費用が必要となります。
 4 反対論は、その他に代替効果を主張していました。つまり、最低賃金を引き上げると、会社は不熟練労働者の雇用をやめ、高熟練労働者を雇うことになり、結局は低賃金労働者の職を奪うであろうというキャンペーンです。
 確かに理論上、そのような主張をまったく無視することはできないかもしれません。しかし、実際には代替はほとんど生じませんでした。何故でしょうか? その理由も簡単です。会社にとっては、はるかに高賃金の高熟練労働者を雇い、それにふさわしい高額投資支出を行なうことのほうがははるかに費用対効果が小さいからです。
 
 さて、失いことは少なかったという結果が明らかになりました。
 しかも、生活保障賃金によって得られるものがあったという事実も重要です。これについても追跡調査は多くのことを明らかにしていますが、これについては後日に紹介します。その前に上で紹介した調査・研究の結果(資料、文献)をあげなければなりませんが、それも後日に行います。

公正な社会と生活保障賃金 5 最低賃金の引き上げは雇用を縮小させなかった

 米国では、1980年代と1990年代の最低賃金の実質的な低下に直面して、1990年代から Living Wage 運動が活発化します。そのハシリとなったのが、1994年のボルティモア市における生活賃金条例の制定です。当時の連邦レベルの最低賃金は長期にわたって据え置かれたままであり、$4.25のままでした。前回述べたように、1979年以来、最低賃金はインフレーションによって実質的に大幅に低下していました。
 これに対して、ボルティモア市の条例は、市と業務委託契約を結ぶ会社に1996年に時給$6.10以上を支払うことを義務づけ、1999年までに$7.70に引き上げること、その後はインフレ率に合わせて改訂することを規定しました。これはいわゆる日本で言うところの「公契約条例」に相当するものであり、政府や地方自治体が民間企業と公共事業や業務委託契約を結ぶとき、当該企業の労働条件に特定の条件を付すものです。
 しかも、こうした生活保障賃金条例は、その後、ニューヨーク、ロサンゼルス。ボストン、ミルウォーキー、ミネアポリス、ポートランド、オレゴンなどの市でも採択され、さらに現在までに140もの州、郡、市などに普及しました。
 ここで注目されるのは、ボルティモア市の1999年の$7.70が1994年当時の連邦レベルの最低賃金$4.25を大幅に(80%も)超えていたことです。
 こうした運動に対しては、予想されたように、様々な反対のキャンペーン、批判、非難の運動が展開されました。反対意見は主に、大幅な賃金率の引き上げが雇用に悪い影響(つまり失業の拡大)をもたらすという点に向けられました。またそうしたキャンペーンの影響下に、公正の観点から生活保障賃金条例に共感を寄せていた多くの良心的な人もそれを心配していたことは事実です。
 しかし、その後、米国の経済学者によって行なわれた実証的な追跡調査・研究は、最低賃金の引き上げが雇用に悪い影響を与えることがなかったことを明らかにしました。(ちなみに、イギリスで1997年に復活した最低賃金制も雇用に悪影響を与えることはありませんでした。)
 その理由はどのように説明できるでしょうか? 次にこの点を実証研究の結果に即して説明することとします。

2013年4月15日月曜日

公正な社会と生活保障賃金 4 米国とイギリスの負の経験

 米国では、1930年代に連邦レベルの最低賃金制度が制定され、現在の制度の基礎となっています。
 ところが、1980年代と1990年代にかけて、つまりレーガン大統領とブッシュ大統領(ともに共和党)の時代に、最低賃金(貨幣額)は凍結されました。漸く最低賃金が引き上げられたのは、クリントン大統領(民主党)の時代の1999年です。この時、$4.25から$5.15に引き上げられました。この間に米国のGDPは50%以上増え、かなりのインフレーションが進行していたにもかかわらず、です。
 これを1997年の物価を基準として計算すると、最低賃金は実質的に$7.35から$5.15に低下したことになります。
 しかも、注目されるのは、まさにこの時期に米国の所得格差がふたたび拡大したことです。例えば議会予算局のデータでは、99%の人々の実質所得がほとんど増えなかったのに対して、1%の所得階層が所得を3.75倍に増やしました。
 「ウォール街を占拠せよ!」の運動が高揚する所以です。

 イギリスでも同様なことが生じました。1979年の総選挙で首相に就任した故サッチャー氏(保守党)は、最低賃金を改訂しなかったばかりか、1986年に最低賃金の制度を廃止しました。1997年になって労働党政権の下で最低賃金制は復活しましたが、その間の約20年弱の間、イギリスでは最低賃金制がなかったわけです。ちなみに、サッチャー時代は、大失業時代であり、そのマネタリズム政策によってイギリス経済は大不況に陥り、失業率が10%以上に上昇し、かつ賃金は徹底的に抑制されました。サッチャー氏は、様々な名言(間違いました迷言です)を残していますが、その中に「社会などというものはない」(There is no such thing as society.)というのがあります。
 私は、1996年にイギリスに滞在しているとき、多くの人が「サッチャーは顔も見たくない」などと言うのをよく聞きました。
 サッチャー氏は先日なくなりました。日本では、故人に対して鞭打つようなことを言うのは礼に反するかもしれませんが、また政治家は儀礼上、賛辞を贈るかもしれませんが、私ははっきり言わせてもらいます。彼女はこのような次第で評判がよくありません。スコットランドの作家、アーヴィン・ウェルシュ氏は、ツイッターで次のように書いています。

 サッチャーは、「社会などというものはない」と言ったが、今晩、スコットランド社会は(喜んで)踊っている。

 それはさて、イギリスで低賃金労働が拡大し、所得格差が著しく拡大したのも、このサッチャー氏(およびメジャー氏)の保守党政権時代でした。

 何故、生活保障賃金の制度が必要なのか? それはA*****のようなブラック企業が出現して、人々を「賃金の底辺に向う競争」に駆り立てないようにするためです。結局、レーガン・サッチャーの新自由主義政策は、ブラック企業を育て、社会の安定を保障する装置を破壊する役割を果たしたのです。彼らは歴史によってすでに審判をくだされています。



2013年4月12日金曜日

公正な社会と生活保障賃金 3 古典派の労働市場論の誤り

 生活保障賃金または最低賃金の引き上げはしばしば批判や反対運動に出会いますが、そうした反対・批判は一つには古典派の理論からなされます。古典派は、実質賃金率が上がるにつれ労働需要量(雇用量)は減り、労働供給量は増えると想定しているので、何らかの事情で実質賃金率が均衡水準より高くなると、失業(労働供給量ー労働需要量。ただし労働時間で計られる)が生じると、主張します。また古典派は、市場が均衡を達成するので、政府などが労働市場に介入することを批判します。つまり、市場の「自由」にまかせなさいというわけです。
 例えば、あの有名なクルーグマンも最低賃金制には反対しています。
 しかし、こうした古典派の労働市場論が現実はなれした奇妙な「理論」であることは、本ブログでも説明した通りです。
 しかも、様々な実証研究は、古典派の想定と正反対に、(少なくもマクロ・レベルでは)賃金が上がるにつれ労働需要量は増加し、労働供給量は減少することさえ示しています。(米国のダグラス少佐、日本の元一橋大学教授江村氏などの研究など。モーリス・ドッブの『賃金論』を参照。)
 もしそうだとすると、賃金を引き下げると、むしろ労働供給量の方が労働需要量より大きくなって、失業が拡大することになります。しかも、失業の拡大は、貨幣賃金をもっと引き下げるように作用するでしょう。すると、失業はもっと拡大することになります。そして、それは貨幣賃金をさらに引下げ、・・・と、賃金デフレーションのスパイラルが進行する危険性さえ認められることになります。
 この想定があながち間違いでないことは、1997年以降の日本における貨幣賃金の低下、失業率の上昇、デフレーションが累積的に進行したことからもうかがわれます。

 しかし、かつてケインズがしたように、経済学者は主流の「思想」の虜になっています。何といっても、彼らの頭には学生時代から労働経済学の講義で接した労働市場論が何の疑いもなく刷り込まれてきているのですから。
 本当の学者ならば、少なくとの一度は疑いをもって自らの分析装置を検討しなければならないはずですが、そのようなことを考えたこともない人が多いのでしょう。経済学者の中には、ケインズの『一般理論』を呼んだこともない人が(しかも、「ケインズは死んだ」という人が)いるようです。ケインズを盲信しなさいとはいいませんが、恐ろしいことです。

2013年4月11日木曜日

公正な社会と生活保障賃金 2 底辺に向かう競争

 かつてマルクスは、「万国の労働者よ、団結せよ」と言いました。いまは、あたかも多くの人々が「万国の労働者よ、競争せよ。賃金の底辺に向って」とでも命じられているかのようです。
 
 少し具体的な話をしましょう。近年、ブラック企業と呼ばれるものが多数現れてきました。例えばA**zonという有名な会社がありますが、英国でも米国でもドイツでも日本でもその労働環境の劣悪さが問題とされています。英国では The Times が取り上げており、ドイツでは当局による調査が行なわれたようです。
 このような会社は、低価格販売を売り物にしていますが、それが徹底した(非人間的な)合理化と費用削減(賃金圧縮)を前提に成り立つことは言うまでもありません。そのような合理化は、雇用を拡大するでしょうか? とてもそうとは考えられません。むしろ、そのような企業は、既存の商店(本屋、家電店など)の存立基盤を崩し、雇用を縮小するでしょう。しかも、多くの消費者は現物を商店で見てから、A**zonで注文すると言われていますが、それは同社が市場の外部経済を享受していることを意味します。しかも、合理化によって生じる雇用の縮小分をA**zonが吸収することはありません。むしろ、より少ない労働力と賃金総額で済んでしまうからです。
 それを合理化とか、効率化とか呼んで、単純に評価することはできません。自分には関係ないことだと言っている人にも同じことが起こる可能性は十分あります。もし社会のあらゆる領域で同様なことが生じたたらどうなるでしょうか? 新しい産業が過剰となった労働力を吸収してくれるから、むしろ積極的にそうしたことを推進するべきだという経済学者もいますが、本当に必ずそうした新産業が登場すると言えるでしょうか? 
 実際は、過去の事例や理論が示すように、労働の生産性の上昇は、それに応じた有効需要の拡大を伴わない限り、雇用(労働需要)を減らします。しかも、社会全体における賃金所得の低下は消費需要を低下させます。
 これもマルクスの説明ですが、彼は、資本家(企業家)は、他の企業が賃金を引き上げることを欲し、かつ自分の企業は賃金を引き下げることを欲すると言いました。もちろん、それは社会全体では所得つまり有効需要が拡大するという状況が生まれ、かつ自分の企業は低賃金労働の実施によって低価格を実現し、販売を拡大することができるようになって欲しいという企業者にとって都合のよい希望を説明したものです。しかし、通常、このようなことは実現しません。ケインズが強調したように、すべての企業が賃金を圧縮すれば、社会全体の所得=有効需要も低下することになるからです。
 要するに、確かに森は木の集合体ですが、個々の木は森という環境の中でしか育たないのであり、これは生物学上の真実であると同時に、経済学上の事実でもあります。

 生活保障賃金を実現することは、公正な社会を実現するために重要なばかりでなく、本当は社会全体にとって、また最終的には企業にとっても利益のあることなのです。

公正な社会と生活保障賃金 1 最低賃金を引き上げよう

 OECDの統計データに載せられた日本の最低賃金率は、平均値(正確には中央値=メディアン)の50%に過ぎません。これはOECD主要国の中の最低値です。1998年に労働党政権によって最低賃金制(サッチャーによって廃止されていました)が復活したイギリスでも、その割合は日本より高く、またずっと日本より低かった米国でも、1994年のボルティモアにおける「生活保障賃金条例」および1999年以降の最低賃金率引き上げによって、日本より高くなりました。
 最低賃金率は、低賃金労働の拡大を抑制するための一つの有効な方策です。実際、最低賃金率の割合が1970年以降着実に引き上げられてきたフランスでは、低賃金労働の割合は低下してきました。逆に、最低賃金制のなかったドイツ、最低賃金制が廃止されていたイギリスおよびかなり高いインフレにもかかかわらずレーガンとブッシュの時代に(1999年まで)最低賃金率が改訂されなかったアメリカ合衆国では、低賃金労働が著しく拡大してきました。もちろん格差は著しく拡大してきました。
 つらい労働を強いられている人々も人間らしく生きるための所得を保障されるようなミニマムの賃金=生活保障賃金(Living Wage)を得ることができるように、社会運動を始めるときではないでしょうか? 米国でも、イギリスでも、ドイツでも、そのような運動は始まっており、むしろ高揚しているといってもよい位です。その成果も現れてきています。
 ところが、このように書くとかならず、それに反対する経済学者、エコノミスト、専門家なる人々が登場して、言います。曰く、最低賃金率を引き上げたら、彼らを雇っている企業が立ち行かなくなって、経営の縮小と解雇が行なわれる、最低賃金を引き上げた地域から流出する、と。
 しかし、本当にそうなのでしょうか?
 反対する経済学者の中には、現実の検討ではなく、理論的にそうだからと主張する者もいます。しかし、彼らの依拠する「理論」とはどのようなものなのでしょうか?
 
 そこで、本ブロブでは、以後、次に示す論点を検討・紹介することとします。
 1 米国・英国・ドイツ・日本における低賃金労働の拡大の要因
 2 英国と米国の「生活保障賃金」運動の経験(経過、結果)の検討
 3 雇用理論との関係の検討 
 4 日本における状態